車の中でさんざんブロッシュにお説教され、ラッセルは緑陰荘の重いドアを開いた。重いのはドアよりも気持ちだった。
「ただいま」
なるべく自然を装って言った後、ラッセルはすばやく自室に上がろうとした。
しかし、階段を下りてくる弟に捕まった。10日ぶりに会う弟。顔を見るのが怖かった。
(怒っている、だろうな)
今になって気づく。途中の駅からでも電話をすべきだった。
そうすればせめて弟の怒りを分散…しても無駄かもしれないが。
「兄さん」
いきなり手首をつかまれた。逃がしてはもらえないようだ。
「ただいま、エドの機嫌はどうだ」
比較的当たり障りのない話題を振る。情けないが語尾がわずかに震えた。
弟はにっこりと微笑む。その上機嫌振りが怖い。
「ここ何日かは悪くないよ。昨日は少し手間取ったけどね」
「そうか」
「しばらくお風呂に入れてなかったから昨日髪を洗おうとしたらいやがられてね、仕方ないから無理やり洗ったよ」
弟はまた笑う。小さいときと同じえくぼがいとしさを増す。しかし、それを見ている兄はエドに同情した。一日早く帰って俺が入れてやればよかったと心底思う。さぞかし、エドは泣いたことだろう。
フレッチャーがエドを乱暴に扱うということはない。むしろ大事にしすぎるぐらいである。ただ、これはエドの心理面の問題である。治療ならともかく日常生活を『弟』に面倒見てもらうというのが『兄』には耐えられない。しかしすでに神経系に障害が出始め痛覚が麻痺し始めたエドは介助なしでは生活できなかった。
「ところで兄さん、僕に言うことはないの」
(きたな)とラッセルは身構えた。これから弟に何時間説教されることかと思うと早くも気が遠くなりそうだ。
コートを脱ぎかけると足元に砂が落ちた。
気のせいか口の中まで砂利ついているようだ。
「先にシャワー浴びてくるから」
そう言って弟の手を外そうとする。
「フレッチャー。離し」
「外して見せてよ。簡単でしょう」
それほど昔ではない。ほんの数ヶ月前までは簡単だった。
しかし、今兄は弟の手を振り払おうとはしない。できないのはわかっていた。
「強くなったな」
兄はシャワーをあきらめたのか、ソファーに座った。
握られた手首が痛む。
「痛い」
汽車の中で眠ったはずだが熟睡できなかったのだろう。座ると全身がだるい。
痛いと言われて弟はあわてて手を離した。
(弱くなった)
こんなに簡単に握りこめる腕ではなかった。兄の手はいつも力強くて兄に守られていれば何も怖くなかったはずなのに。
うかつに触ったら折れそうな腕。
弟は話の前に一発殴ろうという思いを完全に消した。そんなことをしたら兄は壊れてしまいそうだ。
公平を期するとこれは主観の問題だった。ラッセルが弱くなる以上にフレッチャーが強くなっていた。
「シャワーはだめだよ。湯船で温まらないと風邪引くよ」
てっきりお説教が始まると構えていたラッセルは優しい弟に、なにか不思議なものでも見るような視線をあてた。
「何?」
「いや、お前がなかなか怒らないから」
言ったとたんラッセルは後悔した。自分は救いがたい愚か者らしい。わざわざ虎の尾を踏んで、なおかつ巣穴から引きずり出したのだから。
「ふーん、兄さん怒られるような事をした自覚はあるんだ」
弟の声が低くなった。
「何が毎日電話するだよ。何日たったと思っているのー!さんざん人に心配かけて!!ブロッシュさんがどれだけ兄さんの行方を捜してくれたか!!!キャスリンさんも毎日電話をくれて!!!!准将もあと一日連絡がなければ憲兵隊を使ってでも捜索させるって!!!!!
第一僕がどれだけ心配したか、少しはわかっているの?」
兄は弟がまったく息継ぎなしで言ったことに感心した。それからそれどころではないと顔色を変えた。
もうごまかしも引き伸ばしも効かないらしい。
「その…悪かった。気がついたら3日も経っていて、つい連絡しそびれて。その後は電話のないところにいたから…」
3日の間何をしていたかは弟には絶対言えない。まして、エドの機嫌を確かめたら情報やに行ってあの男から伝言が入っていないか確かめるつもりだったなどとはなおさらだ。
ドン!
テーブルの上に見覚えのある、鞄とコートが置かれた。
「これは?」
「兄さんのでしょ。憲兵隊から准将に回ってきたんだ。マフィアの本拠地からね。いったいどういうこと?!
捕まったの?!!心配するって思わなかったの?!!!」
「まぁ、いろいろあったから」
兄の返事はあまりにも歯切れが悪い。弟は理性の糸がまた一本切れた音を聞いた。
「これを逃したら、もう外に出るチャンスはないと思ったら、つい…」
「エドワードさん、注射を痛がらなくなった」
「…そこまできたか…」
フレッチャーはエドの注射を、意識的に痛みの感じやすいところに刺していた。別に嫌がらせではない。(まったく無いかは本人にもわからない) エドが感覚障害検査の質問にろくに答えないから正直に反応する注射のときを利用していただけだ。
(もって3ヶ月)
エドのことは何でもわかっていても毎日世話をしている弟の口から聞くと、重いものがあった。
(あの石を急ごう)
兄はシャワーをあきらめたのかソファーに座った。ミネラルウオーターを二つのグラスに注ぐ。一つを弟に差し出すが弟は取らなかった。兄は少しさびしそうな顔をしてから一口飲んだ。
セントラルの水道はまずいことで有名だった。水源汚染は健康規定最低基準値をはるかに超えていた。しかしそれを知る市民は少ない。
胸ポケットから薬のビンを出した。もうあまり残っていない。効いている時間が次第に短くなっていく。
薬のビンを開けようとする兄の手が震えている。ふたは1分立っても開かない。見かねた弟が無言でビンを取り上げてふたを開けた。
「兄さん。疲れているだろ」
「…少しな。少し眠い…」
エドの機嫌をうかがったら、5番街の情報屋に行って、帰りにはゼネラル血液製剤工場の研究所に行って何とか石を合成できるところまで今月中にこぎつけたかった。だが、薬を飲んだ後目が開かない。
「言い訳は後で聞くから少し眠ったら」
まだ、説教したりないのかとラッセルは絶望的な気分になった。それでも弟にそれを言うのだけは抑えた。
ソファーに横になってしまった兄が寝息をたてるまで1分とはかからなかった。
車を置いてきたブロッシュがいつもの毛皮を抱えて入ってきた。まるで兄が眠るのをわかっていたかのようだ。
自分でもなぜとはわからず機嫌の悪くなった弟は無言で部屋を出た。
目が覚めたときはもう夜中だった。起き上がるといつもどおりブロッシュがドアを守っている。前の椅子には軍服姿のマスタングが不機嫌を隠せない様子で座っていた。
「ラッセル、何をしに行った」
『お帰り』も、『心配した』も無い。いきなりの質問だった。
「アルを探しに」
ラッセルは少しかすれた声で答えた。
のどが渇く。ブロッシュが部屋を出た。お茶を持ってくるつもりだった。
数分後、ブロッシュはこのとき部屋を離れたのを後悔することになる。
ラッセルはマスタングから軍人のにおいを感じた。火薬と焔、そして血の臭い。
マスタングは大総統の名代の視察という建前で、人間兵器としての仕事から帰ったばかりだった。
メイドからお茶のセットを受け取ってドアを開いたとたん怒鳴り声がした。
「あなたにはわからない、あいつらがどれだけお互いを必要としているか!エドからアルフォンスを引き離してまで、やることがあるわけがない!」
ラッセルは立ち上がっていた。マスタングも立ち上がっていた。ブロッシュがドアを開けるのと同時に反対側のドアを開く男女がいた。
「大佐」
「帰ってたんスか」
男女の声にガッという強い音が重なった。
「私がどれほどあの二人を見てきたか、君のような若造にわかるものか!」
現役のしかも戦場から戻ったばかりのマスタングの右拳がラッセルのほほを打った。
ラッセルは打たれた勢いのまま吹っ飛んだ。大きな音を立てて壁に後頭部からぶつかる。
押し殺したような「ぐぅ」という声。
「「大佐!」」
男女の声が重なる。
「ラッセル君!」
「兄さん!」
ちょうどブロッシュの後ろから入ってこようとした弟が部屋に飛び込む。
だが、もう兄を抱きとめるのは間に合わない。壁の下に意識の無い兄が倒れている。急いで抱き起こしかけた。
「触らないで!!」
女の声に止められた。
「頭をぶつけたのよ。動かさないで!」
フレッチャーには十分すぎるほどわかっていることだった。しかし、倒れている兄を見たとき医学知識も何もかも吹っ飛んでいた。
「大佐!あんたなにやってんスか」
車椅子の男がそれ以上の暴力を止めるべくマスタングの両手を抑えた。
だが、もう押さえ込む必要は無かった。マスタングは自分の右拳を信じられないように見た。
「ハボック少尉、大佐を隣の部屋へ」
「イエス、マム」
「カートン先生を呼んできます!」
ブロッシュが部屋を飛び出した。カートン医師は定年を少し早めて病院の院長職を退き、今は紅陽荘にいる。理由は緑陰荘にいる二人の16歳のためである。
走りながら後悔をかみ締めた。なぜ側を離れたりしたのか。あの人にお守りがいるのはわかっていることなのに。
夜中にたたき起こされたカートン医師が来たのは2分後だった。
医師が来たときにはラッセルは目を開いていた。だがまだ言葉は出ない。自分がどうなったのかよくわからない様子だ。
医師は15分ほどラッセルを診ていた。
「軽い脳震盪ですね。ただ、一度ほかの事も含めて精密検査をしたほうがいいでしょう」
医師は何か言いかけるラッセルを無視してフレッチャーだけに訊いた。
「エドワード君を見てきていいかね」
「お願いします」
フレッチャーはカートン医師に深く感謝していた。兄が世話になっていただけではない。出歩くことの多い兄の代わりによくエドを診ていてくれる。術師ではないので錬金治療こそできないが医者としてはアメストリスでも有数の人である。
一方、隣の部屋に移ったロイとハボックである。
「大佐、そりゃズルイスよ。
あの坊やを大将並みに使っといて、大将並みに扱っていないんでしょ」
一通り話を聞くとハボックはさっきの件には触れずそう言った。
聞くとマスタングはラッセルを自分の子飼いとして軍内外での情報収集に使っているという。使い方は元気だったころのエドに比べてさえはるかに扱き使っている。その上、大総統のお気に入りになっているという。
「私はあの兄弟を巻き込みたくないだけだ」
「そりゃ嘘とは言いませんがね、あんたそれをあいつらに聞いたんスか?」
「聞くわけはないだろう。あの話はまったく言ってないのだからな」
「ここに連れ込んだ時点で坊やは大佐の子飼いに見えまスよ。
軍でもそう扱われているでしょうが」
「まぁな」
「理由もわからないまま敵の真ん中に放り込まれて、それじゃ身も守れないスよ。
それで大将のためにアルを探しに行ってやっと帰ってきたところを大佐に殴られた。俺ならそんな親は殴り返しちまいますかね」
「彼は弱っているからな。そんな余分な体力は無いだろう」
ぽろり、ハボックの口からタバコが落ちた。
「あんた、それがわかっていて殴り倒したんスか」
「う、弾みだ。あれが鋼のことで生意気を言うから」
「子供を相手にむきになってやきもちを焼き暴力行為に及んだ。そういうことで間違いありませんね。大佐」
ホークアイが氷水の入った洗面器を持って、台所からやってきた。
「悪かった」
ロイはがっくりと首をたれた。
「それは私ではなくあの兄弟におっしゃつてください」
「中尉、いや大尉になったんスね」
「いいわよ。ここでは中尉で。ハヤテに会いに行ってくれたのね」
「大きくなりましたね」
「軍用犬にはなれなかったわ」
「あいつは軍にはもったいないっすよ」
ハボックはごく自然にホークアイの手から洗面器を受け取った。
「様子を見てきます」
「それなら私も」
「大佐、そこで少しは反省してください」
ホークアイはお茶のセットを持って部屋を出た。車椅子のハボックが犬さながらについていく。
病室に入ると兄と弟が言い争っていた。
「大丈夫って言っているだろ」
「中で出血していたらどうするの。先生にきちんと検査してもらわないと」
「そんなにきつくは打ってない。こぶもできてないぐらいだ。第一、…」
兄は急に言葉を止めた。ホークアイの後ろから金髪の男が入ってきた。
「ブルー…。あ、失礼」
一瞬、ノリスの町でしばらく行動をともにしたブルーと思った。金の髪。青い瞳。骨太で筋肉質の体。だがその男はブルーよりだいぶ若かった。
「よぉ。坊主、なんだあいかわらずガリガリだな」
「あら、知っているの?」
「知ってるってほどじゃないすけど」
「タバコのおじ…お兄さん。あの時はお世話になりました」
「おじさんはひでぇなぁ。俺まだ20代だぜ」
「すいません」
「大佐に殴られたんだと」
「…俺が勝手をしましたから。それに殴られたといってもかすっただけですし」
ラッセルはむしろロイをかばっている。
ハボックから洗面器を受け取った弟は無言でタオルを濡らし絞った。
兄の後頭部に当てる。
兄はわずかに眉をしかめる。さっきから一言も痛いとは言わないがかなり痛んでいるはずだ。
ノックの音がした。ゆっくりとドアが開かれた。入ってきたのはロイである。
弟は敵意を隠さない目でロイを見上げた。兄を傷つけた。それは弟にとってロイを敵とみなすのに十分な理由だった。
「大佐」
「准将」
ホークアイとラッセルの声が重なった。二人とも相手に遠慮して次の声を出さない。
その隙間を弟が埋めた。
「准将、兄が落ち着くまで入らないでいただけますか」
「フレッチャー」
兄の声が弟をとがめた。しかし弟は平然とロイを見上げた。その目にはここに来たときからずっとあった敬愛も親和も無い。あるのは敵意だけ。
(弟か。もし鋼のに同じことをしたらアルもこうして私を見るのだろうな)
たった数ヶ月だが彼らは擬似家族だった。特に合成獣に襲われて一緒に戦ってから、ロイは父親のような思いでこの弟を見てきたつもりだった。
「フレッチャー、エドのところに戻れ。准将に話したいことがある」
「だって、兄さん」
「行け」兄はゼノタイムで赤い石を作っていたときのようにきつい命令形を使った。
「…うん」
弟は不満だらけの顔で立った。
弟が部屋を離れると、ラッセルはソファーの脇に立っていたブロッシュから皮のケースを受けとった。
ケースを開けようとしてハボックを見る。はたして彼がいるところで話していいのだろうか。
「この二人は私と同じに考えてかまわない」
「そうですか。それなら」
ケースを開こうとするが手が滑った。指先が震えている。
隣に立っていたブロッシュが当然のようにケースを開いた。
皮のケースから出てきたのは鎧の右腕。
ハボックは一瞬息を呑んだ。
(アルの腕。 いや違うな)
最初は間違いなくアルの腕と思った。
(違う、あの時の傷が無い)
ホークアイも一秒だけ硬直した。
「まずはこれが偽者だという根拠を教えていただきたい」
77 アルを探しに 破壊の腕
「ただいま」
なるべく自然を装って言った後、ラッセルはすばやく自室に上がろうとした。
しかし、階段を下りてくる弟に捕まった。10日ぶりに会う弟。顔を見るのが怖かった。
(怒っている、だろうな)
今になって気づく。途中の駅からでも電話をすべきだった。
そうすればせめて弟の怒りを分散…しても無駄かもしれないが。
「兄さん」
いきなり手首をつかまれた。逃がしてはもらえないようだ。
「ただいま、エドの機嫌はどうだ」
比較的当たり障りのない話題を振る。情けないが語尾がわずかに震えた。
弟はにっこりと微笑む。その上機嫌振りが怖い。
「ここ何日かは悪くないよ。昨日は少し手間取ったけどね」
「そうか」
「しばらくお風呂に入れてなかったから昨日髪を洗おうとしたらいやがられてね、仕方ないから無理やり洗ったよ」
弟はまた笑う。小さいときと同じえくぼがいとしさを増す。しかし、それを見ている兄はエドに同情した。一日早く帰って俺が入れてやればよかったと心底思う。さぞかし、エドは泣いたことだろう。
フレッチャーがエドを乱暴に扱うということはない。むしろ大事にしすぎるぐらいである。ただ、これはエドの心理面の問題である。治療ならともかく日常生活を『弟』に面倒見てもらうというのが『兄』には耐えられない。しかしすでに神経系に障害が出始め痛覚が麻痺し始めたエドは介助なしでは生活できなかった。
「ところで兄さん、僕に言うことはないの」
(きたな)とラッセルは身構えた。これから弟に何時間説教されることかと思うと早くも気が遠くなりそうだ。
コートを脱ぎかけると足元に砂が落ちた。
気のせいか口の中まで砂利ついているようだ。
「先にシャワー浴びてくるから」
そう言って弟の手を外そうとする。
「フレッチャー。離し」
「外して見せてよ。簡単でしょう」
それほど昔ではない。ほんの数ヶ月前までは簡単だった。
しかし、今兄は弟の手を振り払おうとはしない。できないのはわかっていた。
「強くなったな」
兄はシャワーをあきらめたのか、ソファーに座った。
握られた手首が痛む。
「痛い」
汽車の中で眠ったはずだが熟睡できなかったのだろう。座ると全身がだるい。
痛いと言われて弟はあわてて手を離した。
(弱くなった)
こんなに簡単に握りこめる腕ではなかった。兄の手はいつも力強くて兄に守られていれば何も怖くなかったはずなのに。
うかつに触ったら折れそうな腕。
弟は話の前に一発殴ろうという思いを完全に消した。そんなことをしたら兄は壊れてしまいそうだ。
公平を期するとこれは主観の問題だった。ラッセルが弱くなる以上にフレッチャーが強くなっていた。
「シャワーはだめだよ。湯船で温まらないと風邪引くよ」
てっきりお説教が始まると構えていたラッセルは優しい弟に、なにか不思議なものでも見るような視線をあてた。
「何?」
「いや、お前がなかなか怒らないから」
言ったとたんラッセルは後悔した。自分は救いがたい愚か者らしい。わざわざ虎の尾を踏んで、なおかつ巣穴から引きずり出したのだから。
「ふーん、兄さん怒られるような事をした自覚はあるんだ」
弟の声が低くなった。
「何が毎日電話するだよ。何日たったと思っているのー!さんざん人に心配かけて!!ブロッシュさんがどれだけ兄さんの行方を捜してくれたか!!!キャスリンさんも毎日電話をくれて!!!!准将もあと一日連絡がなければ憲兵隊を使ってでも捜索させるって!!!!!
第一僕がどれだけ心配したか、少しはわかっているの?」
兄は弟がまったく息継ぎなしで言ったことに感心した。それからそれどころではないと顔色を変えた。
もうごまかしも引き伸ばしも効かないらしい。
「その…悪かった。気がついたら3日も経っていて、つい連絡しそびれて。その後は電話のないところにいたから…」
3日の間何をしていたかは弟には絶対言えない。まして、エドの機嫌を確かめたら情報やに行ってあの男から伝言が入っていないか確かめるつもりだったなどとはなおさらだ。
ドン!
テーブルの上に見覚えのある、鞄とコートが置かれた。
「これは?」
「兄さんのでしょ。憲兵隊から准将に回ってきたんだ。マフィアの本拠地からね。いったいどういうこと?!
捕まったの?!!心配するって思わなかったの?!!!」
「まぁ、いろいろあったから」
兄の返事はあまりにも歯切れが悪い。弟は理性の糸がまた一本切れた音を聞いた。
「これを逃したら、もう外に出るチャンスはないと思ったら、つい…」
「エドワードさん、注射を痛がらなくなった」
「…そこまできたか…」
フレッチャーはエドの注射を、意識的に痛みの感じやすいところに刺していた。別に嫌がらせではない。(まったく無いかは本人にもわからない) エドが感覚障害検査の質問にろくに答えないから正直に反応する注射のときを利用していただけだ。
(もって3ヶ月)
エドのことは何でもわかっていても毎日世話をしている弟の口から聞くと、重いものがあった。
(あの石を急ごう)
兄はシャワーをあきらめたのかソファーに座った。ミネラルウオーターを二つのグラスに注ぐ。一つを弟に差し出すが弟は取らなかった。兄は少しさびしそうな顔をしてから一口飲んだ。
セントラルの水道はまずいことで有名だった。水源汚染は健康規定最低基準値をはるかに超えていた。しかしそれを知る市民は少ない。
胸ポケットから薬のビンを出した。もうあまり残っていない。効いている時間が次第に短くなっていく。
薬のビンを開けようとする兄の手が震えている。ふたは1分立っても開かない。見かねた弟が無言でビンを取り上げてふたを開けた。
「兄さん。疲れているだろ」
「…少しな。少し眠い…」
エドの機嫌をうかがったら、5番街の情報屋に行って、帰りにはゼネラル血液製剤工場の研究所に行って何とか石を合成できるところまで今月中にこぎつけたかった。だが、薬を飲んだ後目が開かない。
「言い訳は後で聞くから少し眠ったら」
まだ、説教したりないのかとラッセルは絶望的な気分になった。それでも弟にそれを言うのだけは抑えた。
ソファーに横になってしまった兄が寝息をたてるまで1分とはかからなかった。
車を置いてきたブロッシュがいつもの毛皮を抱えて入ってきた。まるで兄が眠るのをわかっていたかのようだ。
自分でもなぜとはわからず機嫌の悪くなった弟は無言で部屋を出た。
目が覚めたときはもう夜中だった。起き上がるといつもどおりブロッシュがドアを守っている。前の椅子には軍服姿のマスタングが不機嫌を隠せない様子で座っていた。
「ラッセル、何をしに行った」
『お帰り』も、『心配した』も無い。いきなりの質問だった。
「アルを探しに」
ラッセルは少しかすれた声で答えた。
のどが渇く。ブロッシュが部屋を出た。お茶を持ってくるつもりだった。
数分後、ブロッシュはこのとき部屋を離れたのを後悔することになる。
ラッセルはマスタングから軍人のにおいを感じた。火薬と焔、そして血の臭い。
マスタングは大総統の名代の視察という建前で、人間兵器としての仕事から帰ったばかりだった。
メイドからお茶のセットを受け取ってドアを開いたとたん怒鳴り声がした。
「あなたにはわからない、あいつらがどれだけお互いを必要としているか!エドからアルフォンスを引き離してまで、やることがあるわけがない!」
ラッセルは立ち上がっていた。マスタングも立ち上がっていた。ブロッシュがドアを開けるのと同時に反対側のドアを開く男女がいた。
「大佐」
「帰ってたんスか」
男女の声にガッという強い音が重なった。
「私がどれほどあの二人を見てきたか、君のような若造にわかるものか!」
現役のしかも戦場から戻ったばかりのマスタングの右拳がラッセルのほほを打った。
ラッセルは打たれた勢いのまま吹っ飛んだ。大きな音を立てて壁に後頭部からぶつかる。
押し殺したような「ぐぅ」という声。
「「大佐!」」
男女の声が重なる。
「ラッセル君!」
「兄さん!」
ちょうどブロッシュの後ろから入ってこようとした弟が部屋に飛び込む。
だが、もう兄を抱きとめるのは間に合わない。壁の下に意識の無い兄が倒れている。急いで抱き起こしかけた。
「触らないで!!」
女の声に止められた。
「頭をぶつけたのよ。動かさないで!」
フレッチャーには十分すぎるほどわかっていることだった。しかし、倒れている兄を見たとき医学知識も何もかも吹っ飛んでいた。
「大佐!あんたなにやってんスか」
車椅子の男がそれ以上の暴力を止めるべくマスタングの両手を抑えた。
だが、もう押さえ込む必要は無かった。マスタングは自分の右拳を信じられないように見た。
「ハボック少尉、大佐を隣の部屋へ」
「イエス、マム」
「カートン先生を呼んできます!」
ブロッシュが部屋を飛び出した。カートン医師は定年を少し早めて病院の院長職を退き、今は紅陽荘にいる。理由は緑陰荘にいる二人の16歳のためである。
走りながら後悔をかみ締めた。なぜ側を離れたりしたのか。あの人にお守りがいるのはわかっていることなのに。
夜中にたたき起こされたカートン医師が来たのは2分後だった。
医師が来たときにはラッセルは目を開いていた。だがまだ言葉は出ない。自分がどうなったのかよくわからない様子だ。
医師は15分ほどラッセルを診ていた。
「軽い脳震盪ですね。ただ、一度ほかの事も含めて精密検査をしたほうがいいでしょう」
医師は何か言いかけるラッセルを無視してフレッチャーだけに訊いた。
「エドワード君を見てきていいかね」
「お願いします」
フレッチャーはカートン医師に深く感謝していた。兄が世話になっていただけではない。出歩くことの多い兄の代わりによくエドを診ていてくれる。術師ではないので錬金治療こそできないが医者としてはアメストリスでも有数の人である。
一方、隣の部屋に移ったロイとハボックである。
「大佐、そりゃズルイスよ。
あの坊やを大将並みに使っといて、大将並みに扱っていないんでしょ」
一通り話を聞くとハボックはさっきの件には触れずそう言った。
聞くとマスタングはラッセルを自分の子飼いとして軍内外での情報収集に使っているという。使い方は元気だったころのエドに比べてさえはるかに扱き使っている。その上、大総統のお気に入りになっているという。
「私はあの兄弟を巻き込みたくないだけだ」
「そりゃ嘘とは言いませんがね、あんたそれをあいつらに聞いたんスか?」
「聞くわけはないだろう。あの話はまったく言ってないのだからな」
「ここに連れ込んだ時点で坊やは大佐の子飼いに見えまスよ。
軍でもそう扱われているでしょうが」
「まぁな」
「理由もわからないまま敵の真ん中に放り込まれて、それじゃ身も守れないスよ。
それで大将のためにアルを探しに行ってやっと帰ってきたところを大佐に殴られた。俺ならそんな親は殴り返しちまいますかね」
「彼は弱っているからな。そんな余分な体力は無いだろう」
ぽろり、ハボックの口からタバコが落ちた。
「あんた、それがわかっていて殴り倒したんスか」
「う、弾みだ。あれが鋼のことで生意気を言うから」
「子供を相手にむきになってやきもちを焼き暴力行為に及んだ。そういうことで間違いありませんね。大佐」
ホークアイが氷水の入った洗面器を持って、台所からやってきた。
「悪かった」
ロイはがっくりと首をたれた。
「それは私ではなくあの兄弟におっしゃつてください」
「中尉、いや大尉になったんスね」
「いいわよ。ここでは中尉で。ハヤテに会いに行ってくれたのね」
「大きくなりましたね」
「軍用犬にはなれなかったわ」
「あいつは軍にはもったいないっすよ」
ハボックはごく自然にホークアイの手から洗面器を受け取った。
「様子を見てきます」
「それなら私も」
「大佐、そこで少しは反省してください」
ホークアイはお茶のセットを持って部屋を出た。車椅子のハボックが犬さながらについていく。
病室に入ると兄と弟が言い争っていた。
「大丈夫って言っているだろ」
「中で出血していたらどうするの。先生にきちんと検査してもらわないと」
「そんなにきつくは打ってない。こぶもできてないぐらいだ。第一、…」
兄は急に言葉を止めた。ホークアイの後ろから金髪の男が入ってきた。
「ブルー…。あ、失礼」
一瞬、ノリスの町でしばらく行動をともにしたブルーと思った。金の髪。青い瞳。骨太で筋肉質の体。だがその男はブルーよりだいぶ若かった。
「よぉ。坊主、なんだあいかわらずガリガリだな」
「あら、知っているの?」
「知ってるってほどじゃないすけど」
「タバコのおじ…お兄さん。あの時はお世話になりました」
「おじさんはひでぇなぁ。俺まだ20代だぜ」
「すいません」
「大佐に殴られたんだと」
「…俺が勝手をしましたから。それに殴られたといってもかすっただけですし」
ラッセルはむしろロイをかばっている。
ハボックから洗面器を受け取った弟は無言でタオルを濡らし絞った。
兄の後頭部に当てる。
兄はわずかに眉をしかめる。さっきから一言も痛いとは言わないがかなり痛んでいるはずだ。
ノックの音がした。ゆっくりとドアが開かれた。入ってきたのはロイである。
弟は敵意を隠さない目でロイを見上げた。兄を傷つけた。それは弟にとってロイを敵とみなすのに十分な理由だった。
「大佐」
「准将」
ホークアイとラッセルの声が重なった。二人とも相手に遠慮して次の声を出さない。
その隙間を弟が埋めた。
「准将、兄が落ち着くまで入らないでいただけますか」
「フレッチャー」
兄の声が弟をとがめた。しかし弟は平然とロイを見上げた。その目にはここに来たときからずっとあった敬愛も親和も無い。あるのは敵意だけ。
(弟か。もし鋼のに同じことをしたらアルもこうして私を見るのだろうな)
たった数ヶ月だが彼らは擬似家族だった。特に合成獣に襲われて一緒に戦ってから、ロイは父親のような思いでこの弟を見てきたつもりだった。
「フレッチャー、エドのところに戻れ。准将に話したいことがある」
「だって、兄さん」
「行け」兄はゼノタイムで赤い石を作っていたときのようにきつい命令形を使った。
「…うん」
弟は不満だらけの顔で立った。
弟が部屋を離れると、ラッセルはソファーの脇に立っていたブロッシュから皮のケースを受けとった。
ケースを開けようとしてハボックを見る。はたして彼がいるところで話していいのだろうか。
「この二人は私と同じに考えてかまわない」
「そうですか。それなら」
ケースを開こうとするが手が滑った。指先が震えている。
隣に立っていたブロッシュが当然のようにケースを開いた。
皮のケースから出てきたのは鎧の右腕。
ハボックは一瞬息を呑んだ。
(アルの腕。 いや違うな)
最初は間違いなくアルの腕と思った。
(違う、あの時の傷が無い)
ホークアイも一秒だけ硬直した。
「まずはこれが偽者だという根拠を教えていただきたい」
77 アルを探しに 破壊の腕
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