永田町カフェ7

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貝塚茂樹氏語る→道徳教育の不在が、いじめ増加に拍車!(;一_一)?

2012-07-16 22:34:00 | 指定なし

?です。「明日への選択」2012年3月号より


      


【なぜ道徳は、教科でなくなったのか】


 


貝塚)  それはやはり戦前の修身科に対する抵抗が


      あったからですよ。***


 


      ご承知のように、日本には近代以降から敗戦


      まで、道徳教育を担う修身科という教科が


      ありました。


 


      しかし、日本が戦争に負けて、修身科が廃止され


      新たに社会科という教科がつくられた。***


 


      昭和25年には文部大臣であった天野貞祐が


      道徳教育をおしえる教科設置の必要性について


      問題提起をしています。


 


      また戦後初期の段階から様々な民間団体から


      教科書設置の要望書が数多く出されています。


 


      しかし(;一_一)(ー_ー)!!


      日教組などによる徹底的な教科書設置の


      反対運動が繰り広げられたこともあり


      教科書設置は実現せず、


 


      昭和33年に教科ではない(*_*;


      「道徳の時間」ができました。


 


      教科にできなかった要因は、日教組の


      徹底的な反対うんどうのためであったことは


      明らかです。(@_@;)


 


      当時の日教組の組織率は86%を超えています。


      それだけの教員が一斉に反対運動を行い


      授業をサボタージュするわけですから


      「道徳の時間」の授業はほとんどされなかった


      のが現実です。


 


      結局、そうした状況が今も尾を引いているわけ


      です。


 


      (つまり、価値を教えることへの拒否感こそが


       道徳教育形骸化の背景と言うことですね)


 


貝塚)  その通りです。


 


      ***


      (とはいえ、道徳は個人の心の問題であるとか、


       道徳教育は国家による価値のおしつけであるとか


      いった考え方は、いまも根強いですね。)


 


貝塚)  そもそも人間というのは、基本的に一人で


      生きてはいけない存在です。


      


      他者との関わりのなかでしか生きていくことが


      できないわけです。


 


      その他者とは、何かというと、


       隣人や社会や国家であったり


      人類や自然や神であったり、


       さらには、歴史や死者の存在も入ってくる。


 


       その関係性こそが道徳だと私はおもうのです。


 


      そして、自分が他者とどのように、より善い


      関係を切り結んでいけばいいのか、


      その、理論と方法を教えるのが道徳教育です。


 


      道徳なしに人間は社会生活を営むことは


      できません。***


 


      親切や節制や正義や思いやりと言った徳目は


      他者との関係を切り結ぶうえで非常に重要


      だという価値がずっと継承されているから


      残っている。その自分たちが受け継いできた


      価値を次の世代に伝えるということが


      教育の基本だと思うのです。


 


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