?です。「明日への選択」2012年3月号より
【なぜ道徳は、教科でなくなったのか】
貝塚) それはやはり戦前の修身科に対する抵抗が
あったからですよ。***
ご承知のように、日本には近代以降から敗戦
まで、道徳教育を担う修身科という教科が
ありました。
しかし、日本が戦争に負けて、修身科が廃止され
新たに社会科という教科がつくられた。***
昭和25年には文部大臣であった天野貞祐が
道徳教育をおしえる教科設置の必要性について
問題提起をしています。
また戦後初期の段階から様々な民間団体から
教科書設置の要望書が数多く出されています。
しかし(;一_一)(ー_ー)!!
日教組などによる徹底的な教科書設置の
反対運動が繰り広げられたこともあり
教科書設置は実現せず、
昭和33年に教科ではない(*_*;
「道徳の時間」ができました。
教科にできなかった要因は、日教組の
徹底的な反対うんどうのためであったことは
明らかです。(@_@;)
当時の日教組の組織率は86%を超えています。
それだけの教員が一斉に反対運動を行い
授業をサボタージュするわけですから
「道徳の時間」の授業はほとんどされなかった
のが現実です。
結局、そうした状況が今も尾を引いているわけ
です。
(つまり、価値を教えることへの拒否感こそが
道徳教育形骸化の背景と言うことですね)
貝塚) その通りです。
***
(とはいえ、道徳は個人の心の問題であるとか、
道徳教育は国家による価値のおしつけであるとか
いった考え方は、いまも根強いですね。)
貝塚) そもそも人間というのは、基本的に一人で
生きてはいけない存在です。
他者との関わりのなかでしか生きていくことが
できないわけです。
その他者とは、何かというと、
隣人や社会や国家であったり
人類や自然や神であったり、
さらには、歴史や死者の存在も入ってくる。
その関係性こそが道徳だと私はおもうのです。
そして、自分が他者とどのように、より善い
関係を切り結んでいけばいいのか、
その、理論と方法を教えるのが道徳教育です。
道徳なしに人間は社会生活を営むことは
できません。***
親切や節制や正義や思いやりと言った徳目は
他者との関係を切り結ぶうえで非常に重要
だという価値がずっと継承されているから
残っている。その自分たちが受け継いできた
価値を次の世代に伝えるということが
教育の基本だと思うのです。
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