ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

猫の尊厳死

2010-11-29 18:25:16 | Weblog
 今飼い猫のルドルフは瀕死の状態にある。餌を食べなくなり、水ばかりを飲んで10日ばかりが経ち、とうとう歩けなくなった。

 思えばこの夏の猛暑、彼はぐったりとして過ごし、食も細り、あれほどに必要に歩き回っていたテリトリーの巡回へも出かけず、我が家へやって来て10年余の歳月の中ではじめて、家猫になった。

 それでも秋の声を聞き、肌に涼しさを感じられるようになると食欲も戻り、遠くには行かないが、庭の辺りを散歩するようになって、復活したかに見えた。

 しかし今月の半ばを過ぎて、急に食べなくなり、にぎやかな茶の間を避けて、静かな二階の部屋の片隅に身を横たえながら、水とトイレにだけに下へ降りてくるようになっていた。

 今日の明け方、大きな声で鳴くのを聞きつけて妻が二階へ上がっていってみると、どうも押入れから降りそこなって、動けなくなっていたという。
 そうして今、居間のコタツの片隅にしつらえられた簡易な病床に身を横たえている。

 もう何年前になるか、ひ尿気系の病気で尿毒症を起こしかけ、10日ほども動物病院に入院して、九死に一生を得たことがあった。
 ケンカして怪我をし、病院通いもした。
 暴れん坊でケンカっぱやい猫であるが、そうであるがゆえに人一倍臆病で、用心深い猫でもある。そうして、人一倍甘えん坊のクセに、人にかまわれることがとても嫌いな猫だ。

 私の独断ではあるが、もういいように思える。医者に行けばひょっとして回復し、命を永らえられるかもしれない。しかし、それは猫にとって本当に幸福なことだろうか?

 人間にも尊厳死というものがあるように、猫にも尊厳死というものがあっていい。
 自然死というものは、本来それほどに忌み嫌われるものではないはずだ。

 むかし猫は、おのれの屍を飼い主に晒すことなく、死期を悟ってそっと姿をくらましたものだったという。飼い猫であっても、猫には猫のプライドというものがあったのだ。
 それも容易に出来なくなった現代、せめて猫は猫らしく、その最後を全うさせてやりたいように思う。

 ルドルフは、苦しいのか時折悲しそうに鳴いてかすかに身をくねらせる。私はその口元を少し水で湿らせてやる。
 
 死というものは、厳かで神聖なものである。