沼野充義訳の表題の本を読んでいます。チェーホフの短編や小品はいろんな人の翻訳で読んできましたが今ひとつ面白いとは思えなかった。もちろんロシア語では読めませんし、私の読書力のなさが大いに影響していることはあるのですが、それでも伝わってくるものが薄かったのです。
今回沼野充義先生の新訳を読んで、ああなるほどと思えるところがたくさんありました。一編ずつに詳しい解説が書かれてあるのもうれしいことでした。
劇作家では誰が好きか、と聞かれたらやっぱりチェーホフと、答えてしまうでしょう。
チェーホフのような作品が書けたら(無理でしょうが)と、夢見てしまいます。ですから、神西清訳の4つの戯曲を、若い頃から一番読んでいるんじゃないかと思います。
私はあまり執着するということがないので、なんにしても広く浅くになりがちですが、
そんななかでも同じ作品を何度も読み返したというものは、チェーホフの戯曲以外に見当たりません。
さして大きな事件も何も起きないけれども、日常の1コマ1コマがドラマとなって成立していく。これは私の理想のカタチです。
今回沼野充義先生の新訳を読んで、ああなるほどと思えるところがたくさんありました。一編ずつに詳しい解説が書かれてあるのもうれしいことでした。
劇作家では誰が好きか、と聞かれたらやっぱりチェーホフと、答えてしまうでしょう。
チェーホフのような作品が書けたら(無理でしょうが)と、夢見てしまいます。ですから、神西清訳の4つの戯曲を、若い頃から一番読んでいるんじゃないかと思います。
私はあまり執着するということがないので、なんにしても広く浅くになりがちですが、
そんななかでも同じ作品を何度も読み返したというものは、チェーホフの戯曲以外に見当たりません。
さして大きな事件も何も起きないけれども、日常の1コマ1コマがドラマとなって成立していく。これは私の理想のカタチです。