良い天気が二日ほど続き先週からの屋根と外壁塗装の工事も順調です。
毎朝顔を出して昼ごろまでコチョコチョと雑用をして、後は職方さん達に任せて
午後からは別の修理仕事や小商いをするために離れるようにしています。
それがもう コチョコチョの雑用が底をついてきたので、今日は早めに引上げました。
先月の内に京都府京都文化博物館で開催中の『戦国時代展』の招待状を登録している
京都メールマガジンサイトの抽選に当たってもらっていました。(リンクあり)
この展示は 4月16日(日)まででチャンスを覗っていたこともあり、急遽行くこと
にしました。
家から京都・堀川五条までは南阪奈道・阪和道・近畿道・第二京阪・阪神高速8号
京都線を経由して平日の日中なら1時間で行けます。
そのまま河原町通りを北上して三条高倉までもそんなにかからないのでルンルン
気分で行きました。
と言っても10時過ぎに家に戻って出直したので到着は11時半頃になっていました
から先に腹ごしらえです。
建物の中1階は路地店舗(ろうじてんぽ)という商業施設になっていて、有名処の
「なだ万」さんや工芸品店なんかが並んでいます。
もちろん昼間っから最低でも3千円以上もする「なだ万」サンになんて入れません。
ちょっと小粋な蕎麦屋さんで奮発して旬づくし御膳『初音』に舌鼓。
イベントの展示内容は撮影禁止なので画像にはできません。
足利の室町時代から武田信玄・上杉謙信などの有力大名を経て川中島・姉川と
いった大合戦、織田信長・毛利元就などが絡み合って豊臣秀吉から徳川家康まで、
そんな時代の遺品がずらりと展示されていました。
我が家のルーツも近江源氏とも称された家系である京極家の家老として始まり、
応仁の乱の頃から浅井長政の家老として出向派遣されて「野村合戦(姉川の戦い)」
以降、浅井が小谷城を追われる前に京極家に呼び戻されて、外様大名として若狭、
丹後の国主を経て、讃岐は丸亀城の家老(御殿医)で明治維新を迎えた系図や
武勇伝が手元に残っているだけに、興味深く見せてもらいました。
まあ落ちぶれた末裔に偲ばれるとは思ってもみなかったでしょうけどね。
たっぷり二時間半も展示を見せてもらって、私も杖頼りの妻もへとへと。
館内にもレンガ造りの別館にカフェがあったけれども、少し離れた所にある
イノダ珈琲本店に行きました。
歴史深い 旧;本館(左側=現;別館)に入れてもらって六人掛けのテーブルに
案内してもらえました。
このままて帰ってはご先祖様に申し訳ないので東山・清水五条の御廟にお参りして
夕方には帰ってきました。
さすがに東山・東大路は凄い人で、派手な貸衣装の外人さんだらけでした。
鴨川べりの桜は三分程度だったので春休み中と言ってもまだ人出も少ない方だった
ように思います。