一年前の昨日、9月16日午後に身体の自由が全くなくなり、妻に
発見されて救急で運ばれて午後4時に病院に搬送されて集中治療室に。
先日搬送された美輪明宏さん(84)とほぼ同じ感じ。
数々の検査を重ね意識が途絶えたのは午後7時。
ひょっとしたらその日が命日になっていたかも知れないのに、翌朝の
検温でパッチリ目が覚めて普通に、全く普通に何事も無かったように
ベッドの上に起き上がっていました。
身体には点滴のチューブや心電図や脳波のコードなんかもいっぱい
繋がっていましたが、何が起きてそうなっていたのかはバッチリ記憶が
戻っていて理解できていました。
目が覚めるまで、川の風景もお花畑も桃源郷も何も見えませんでした。
だからこそ今、また生き続けているのかも知れません。
命が繋がってから無事1年が過ぎました。
看護師さんの「あら! この人起きてるわ! 自分の名前言える?」が
この人生のスタートで聞こえた初めての声だったと記憶しています。
小さな後遺症もほとんどなくて生きながらえています。
ニフレルの「かくれるにふれる」動物たちも昨日に引き続き奇妙に
遺伝子を受け継ぐために生きています。
このゾーンの画像はここまでです。
ちょっと見た目がグロテスクだったので、お口直しに今流行の
タピオカドリンクのパッケージで明日に続けます。
まあいろんなブランドがあるもので、先日歩いたミナミ(大阪・難波)
辺りでも、各店の行列は目を見張るものでした。
あの2日間はいてもたってもいられらない気分でした。
何度このブログを覗いたかわかりません。
ご本人としては気にいらない部分もあるのでしょう。
でも再起動の人生です。
どうぞ少しばかり緩やかに、楽しみながらお過ごしくださいね。
それにしても奇跡的な回復でしたね。人間の生命力、生きようとする力も感じられます。
>川の風景もお花畑も桃源郷も何も見えませんでした。
そこもよかったですね。見えたらふらふらと・・なったかもですものね!
まだまだ、この世ですることがあると送り返されてきた人生。楽しみましょう(^_^)ニコニコ
良かった、よかった(^◇^)
ご心配をお掛けしました。
「取り敢えず二年の予後期間」と言われているので、もう一年は様子をみないといけませんが
一年間は何も無く過ごせたので一安心です。
老化か後遺症か不明な点が多いので、ゆっくり確実に生きることにします。
すっかりと日常にもどられているので、もう一年経ったという感じじゃなくて、まだ365日目なのかという感覚です。
習慣とはすごいもので、だいたい朝起きたらこちらのブログを拝見するのが日課でした。必ずアップデートされるものだと思っていました。だから、一日二日と動きがなかったときは、とてももやもやと心配しました。
この調子で次の365日も頑張りましょうね
殺されても死なん、厄介なヤツかも? (^-^;
朝にリコメしたはずなのに、たぶん画像認証で引っ掛かっていたのを確認怠ったのかと思います。
遅くなってすみません。
もやもやしてもらえてたのですね、ありがたい。
他の方のブログでそんな思いはしたくないので、我儘ですがよろしくお願いします。
セコイ話ですが、同じ病名では2年経たないと休業補償がもらえないので頑張ります。 ('◇')ゞ