くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

登下校の風景

2015年12月16日 23時43分12秒 | ひとりごと

なかなか明るくならなかった夜明けの後も8時を回ったころからようやく明るさを取り戻し
曇って見えなかった山並みも9時頃には姿を現しました。

天気予報では回復するように言っていたと思うのだけどお昼にはまた山々が見えなく
なるほど雲が立ち込めてとうとう真上あたりに何とか見えていた日差しも隠してしまい
そのまま晴れることなく木枯らしが吹きすさぶ夜になってしまいました。

冷えだしてきています。

 

仕事で走っていると高校生の学生さんたちの登下校風景によく遭遇します。
 (画像はお借りしたもので、文の内容とは何の関係もありません)

    

朝は比較的黙々と急いでいることが多いのだけれど下校は帰宅部とクラブ活動部では
時間帯も違って歩き方もまちまちだ。

           

自分を振り返ってみると、中学の頃は1年から同じクラスの決まった彼女ができていた
のだけれど家の方向が僕は東、彼女は西と全く反対で登下校に一緒ということはなく
だいたい3人ぐらいでプラプラと帰った記憶がある。

学区の中でも一番東の端の方だったので最終的には一人になるのだけれど、普通に
歩いて15分ぐらいだったから約1.3Km程度だったと思う。

南海の高野線の遮断機のない踏切じゃ、電車がどの電柱まで来たときに走って渡れるか
度胸試しなんかして警笛を鳴らされたこともあった。
今だったら大目玉を喰らうか、途中でコケていたら死んでいたかも知れない。

阪堺電鉄・上町線のレールの上に1円玉や5円玉を置いてペチュンコになる形を競い
あったことも懐かしいけど、時効とはいえ列車往来危険妨害罪で前科モンだったかな?

休みの日は彼女とデートしたこともあったけど、土曜の午後も含めて男友達と天王寺の
市立図書館へよく通った。

たまぁーに住吉大社の境内で遊んだり「五・大・力」の砂利石を探したりもした。

彼女とは高校も別だったけど、月に少なくても3回は逢ってお互いの日常を教えあったり
日記の交換(流行だった)をしたり。

高校2年になって同じクラスの娘に告られたり、クラブの後輩と付き合いだしたりして
そんな話をしたら女子高に行っていた中学時代の彼女はマンドリンが楽しくて、自然に
彼氏・彼女から仲の良い友達になって、たまに電話する程度になった。
でも今でも家族で彼女の旦那とも仲良くしてもらっています。

告られたクラスメイトは彼女のお母さんにも気に入られて「遊びにおいで」と誘ってもらって
時々行ったりしたれけど、女姉妹二人なので万が一「養子に」なんて言われたら困るので
ほどほどに。

後輩の彼女とは家が同じ方向だったのとお互いが自転車通学だったので、ほぼ毎日
一緒に登下校。

          

みんなが認める仲だったので誰も何も言わなかったし、長期の休みもクラブ活動で
一緒に居たので、もうそれが当たり前になっていましたが・・・

はー 周りの他人の大人からはこんな風に見えていたんやなぁ~  と今頃になって
気が付きました。

懐かしくて微笑ましくて ・・・    ええ昭和40年代を過ごしました。