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瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

ばらばらにほどける「自己」

2010年03月12日 | 瞑想日記
◆ミンデル『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』より

「自分の履歴を自覚的に手放すが、あるいは、それにしがみついて死や病気によってそれが奪われることを恐れるか、どちらかしかない。人生とは、そうした恐怖と、過去を手放し新しい自分になる楽しみを経験することの連続である。」P60

ミンデルのこうした、すばりと本質をついた言葉は、つよい衝撃力を持っている。自分の履歴、つまり過去から築き上げてきた「自己」という幻想。それにしがみついているかぎり、「自己」を粉々にしてしまう一切が恐怖であり、苦である。しかし、「自己」が所詮、幻想に過ぎないことが得心されてしまえば、まったく新しい次元が開けるのだろう。

「自己」が実体のない幻想だと、実質的に分かってしまうにはどうすればよいのだろう。やはり、「自己」が織り成す思考の流れを見続ける、気づき続けること。さらにその思考が、「自己」という虚構によって織り成され、その織り成されたものがさらに「自己」を織り上げていくのだということにそのつど気づくことだろう。そして、織り成されたものは、結局はバラバラにほどけていくものだということにも。

私自身のこととして、日々それをどれほど徹底できるか、にかかっている。

◆7日(日)から8日(日)にかけて一日半断食、9日・10日は普通に食べ、そして昨日から今日12日にかけて一日半断食。今日の朝の時点で、体重は66.0キログラムであった。明日また一日半断食を行なう予定だ。断食中、それほど深い夢は見ていないが、見る回数は多くなっているようだ。


自覚しつつ生きる

2010年03月07日 | 瞑想日記
◆ミンデル『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』より

「自分の履歴(個人史:パーソナル・ヒストリー)はアイデンティティ、あるいはあなたがコミュニティや世界で引き受けた役割を示している。あなたは男性、女性、母親、父親、妻、夫、パートナー、学生、技師、教師である。あなたはプロテスタント、カトリック、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教徒、アフリカ人、アメリカ人、ヨーロッパ人、オーストラリア人、日本人、インド人である。あるいは、その他いろいろな何かであることだろう。あなたは自分の過去、現在追い求めているもの、自分の才能や自分の問題に執着している。

こうした自分の履歴は消し去らなければならない。でなければ、あなたは他者からどう見られるか、によって操られてしまうのだ。アイデンティティは、社会的な役割やコミュニティから期待される型をあなたに押しつけ、あなたの境界を定めてしまう。そのため、他者のあなたに対する考えがあなたを操るようになる」P60

私たちは、自分が社会の中で担う様々な役割と、そこに付随する評価の寄せ集めによって「自己」という像を作り上げている。「頼もしい夫」、「理解ある父」、「有能な技師」等々、他者が期待するであろう評価を取り込んで、その期待に「操られて」生きている。

そのアイデンティティを消し、境界を消すことができたなら、それを「悟り」というのだろう。しかし、その執着を手放すことはそれほど容易ではない。無理に手放そうとすしても、かえって無自覚の抵抗が生まれるかもしれない。

社会に期待される「自己」に同一化し、他者からどう見られるかによって操られているなら、そういう自分をもっと自覚的に生きてみることが、大切なのだろう。それは「自覚的に自慢せよ」で触れたことにも通じる。

地位が欲しい、お金が欲しい、評価が欲しい、そういう動機に根ざした自分の日々のふるまいを、私はどれだけ自覚的に生きているだろうか。それらを否定するのではなく、自覚的に生き抜いてみよ。否定する心からは変化は生まれない。一瞬一瞬、どれだけ深く自覚しながら、それを生きることができるか。

◆昨日、一日半断食を開始しようと思ったが、午前中、テーブルに出ていたせんべいをつい食べてしまい、途中でやめた。一度食べてしまうと、それが胃を刺激するのか、脳を刺激するのか、さらに食べたい欲求が強まってしまう。

ということで、今日再チャレンジしている。

関心のつながり

2010年03月06日 | 瞑想日記
「マンガ・アニメといった日本のポップカルチャーが、海外で高い人気を得ているのはなぜか」というテーマを追求し始めたら、これまで関心のあった分野や新たな関心分野が思わぬ形で結びつき始めたと書いた。昨日触れたこと以外もいくつかあるので、箇条書きしてみる。

1)日本史と世界史は、これまで教壇に立って教えてきたが、両者を文明論という立場から比較するという関心が生まれた。最近、「日本になぜキリスト教は広まらなかったのか?」というタイトルで(4)まで書いたが、実はそのもともとの関心は、日本のポップカルチャーの流行に対する関心だった。日本にキリスト教が広まらなかった理由と、日本のポップカルチャーが世界で受け入れられる理由との間には、大きな関連があると思っている。

このテーマは、前農耕的な文化が日本では生き残り、ユーラシア大陸ではほとんど生き残らなかったのはなぜかという問いともつながり、民族間の武力抗争や宗教戦争の有無がユーラシア大陸と日本の文明にどのような違いを与えたかという問いともつながる。

2)私は学生時代、西洋哲学(とくに現象学)を学んだが、西洋の思想史や宗教史を新らたな関心から少し勉強しなおす関心が生まれた。もし現代哲学が、西洋のプラトン-キリスト教的な伝統との葛藤の中で生まれてきたのだとすれば、それは父性原理的な西洋の精神史と、母性原理的な前農耕・牧畜文明の違いという問題にもつながる。

3)その他、小さな関心をいくつか挙げれば、歌舞伎はヨーロッパの演劇に比べるとはるかに動物が主人公になったり、重要な役割を果たすことが多いという。これも牧畜を知らず、遊牧民との接触がなく、縄文文化的な要素が色濃く残った日本文化の特性に関係するだろう。昨日触れたトマス・インモースは、日本人の心がもっとも崇高に現れているのは能だという。過去のあらゆる演劇形式を取り込むと同時に、歴史以前の演劇の原型である祭祀に根を下ろしているという。その歴史的な重層性! いずれじっくり観たり調べたりしたいと思っている。

4)これらの新たな関心が、同じ関心をもつ人々とのつながりを広げている。マンガ・アニメへの関心は、若い人々との共通の話題を作れたし、旧友との交流を深め、新しいつながりも生み出しつつある。

ないがしろにし勝ちだった「自我」に根ざした関心を、「自覚的」に推し進めることで、こんなにも豊かな関心の広がり、と同時に新たな視点からの「自己」探求につながっていくとは!! ちょっと信じられないくらいだ。

思わぬ展開

2010年03月05日 | 瞑想日記
昨日のミンデルの言葉、「無意識的に自慢しているような自分に気づいたならば、より自覚的に自慢してみるとよいだろう」は、最近、自分の中、および周囲で起っていることを思いつつ書いた。自慢というのではないが、自分にとって行なって楽しいことを素直に、「自覚的に」行なったことが、よい展開を生み出していると強く感じるのだ。

近年、マンガ・アニメといった日本のポップカルチャーが、海外で高い人気を得ている。そのことは、私の日本人としての自我をくすぐることもあって、なぜそうなのかということに強い関心があった。だったらこのテーマを「自覚的に」追求してみようと思ったのだ。「クール・ジャパン現象はなぜ起ったか」という問いだ。

それは他人によく見られ、高く評価されればうれしいという心理と同じで、日本人としての自我が自尊心をくすぐられているということなのだが、そういう自分の心理を軽蔑したり、わきに追いやったりせず、自覚をもってその心理を積極的に生きてみようと思った。

その結果、まずはアニメを積極的に見るようになり、その多様で豊かなジャングルにワクワクしながら分け入っている最中だ。目の前に突然、ほとんど知らなかった世界が開け、これ自体、ひとつな大きな成果だ。

日本のポップカルチャーが世界に広まるのは、その背後にある日本文化のユニークさにもよるのではないか、という予想がある。昔から日本文化論には関心があったのだが、その関連の本を再読も含めて夢中で読んでいる。わくわくするような発見が次々とある。そしてこれまで関心をもっていたいくつかの分野が、ひとつの視点からつながり始めた。昔、別の関心から読んでいたジャンルが、ひとつのテーマの元に結集し始めたのだ。

たとえば、最近読んだトマス・インモースの対談本『深い泉の国「日本」―異文化との出会い (中公文庫)』は、スイス出身の神父が、日本の祭や民族芸能、神道などを通して縄文文化に出会い、それを通してヨーロッパでの自身のルーツであるケルト文明などの意味を再発見していく経過を語る。しかもそれがユング心理学に基づいた深い洞察を通して発見されていく。

ユング心理学は以前から関心があったが、日本とヨーロッパ、そして世界各地の古層文化の共通の基盤を探るものとして、私の中でも再登場したわけだ。クールジャパン現象を追うことから始まった関心が、縄文文化やケルト文化への関心、ユングへの関心、そこから自己発見の旅として太古の文化や宗教への関心に行き着いた。しかもそれらがすべて一つのテーマのもとにつながっている。

自覚的に自慢せよ

2010年03月04日 | 瞑想日記
◆今週は、ごくゆるい一日半断食を3回連続で行うことを計画して、今日がその二回目である。

2日(火曜日)がその一日目だった。なぜか今回は空腹感が強く、プルーン数個、リッツクラッカー6枚くらい、わかめが入った味噌汁など食べた。あわせて500キロカロリーぐらい摂取したかも知れない。もちろん夕食はなしで、夜はお茶だけ。夜になるとほとんど空腹感なし。

昨日(3日、水曜日)の朝も、いつもと同じく空腹感は全くなく、逆に胃のあたりがすっきりと爽快だった。通勤中も職場でも快調で、午前中お茶だけで空腹感なし。脳もアルファ波がたくさん出ている感じ。昼の復食は、リッツクラッカー12枚と野菜サラダ。その後は、おにぎりや残りのクラッカーなど、恐らく1000キロカロリーぐらいは摂取。夕食は普通にご飯一杯と味噌汁と刺身など。

◆今日もゆるい断食を決行したかったが、職場で昼に京樽のちらし弁当が出た。少食の女性にはちょうどいい分量だが、男性には物足りないぐらい。そのおかずはすべて食べ、ご飯は半分残した。ということで500キロカロリーぐらい摂取か。他に豆乳やプルーン数個も食べているので、今日一日としてはあわせて600キロカロリーぐらいの摂取だろう。ということで断食とはいえないが、かなりの少食を保った。もちろん夕食は抜き。

少食に慣れると少しの分量でも胃が敏感に反応しているのが分かる。食べすぎ状態のときはこんな胃の感覚も麻痺して、大量に食べて胃に負担をかけていたわけだ。

昨日は、昼と夜の二食を普通に食べているのだが、その前日ほとんど食べていないので、今朝も胃がすっきりした状態で爽快であった。一日半断食を止めていたころはこういう爽快感も忘れていた。

6日(土)は、液体だけせいぜい200キロカロリーくらいの断食日にしたい。

◆今朝方、また面白い夢を見た。内容は書けないが、やはり少食・断食は心の深い部分を活性化するらしい。

◆ミンデル『シャーマンズボディ』より

「もし、無意識的に自慢しているような自分に気づいたならば、より自覚的に自慢してみるとよいだろう。自分は嘘をついたことがないと思っているならば、嘘をでっちあげてみることを勧めたい。そのことにしっかりと責任を持つならば、あなたの嘘は自分のやるべき仕事、さらにあなたの個人的な神話を垣間見せてくれるかもしれない。」P69

責任を持つとは、自分の言動や感じたことすべてを、自分の一部として受け入れることだ。無意識的な自慢や、ついつい嘘をついてしまったことなどは、後から多少とも自己嫌悪に陥るかも知れない。しかし逆に、排除したい嫌な自分にも自覚を向けよ、ということだ。むしろ自覚的に自慢することで、排除したい自分を責任をもって受け入れることができるようになる。受け入れが進み、周囲の世界に責任を持ち始めると、「シンクロにシティや世界からの同意に気づくことができるようなるだろう」とミンデルはいう。