瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

思わぬ展開

2010年03月05日 | 瞑想日記
昨日のミンデルの言葉、「無意識的に自慢しているような自分に気づいたならば、より自覚的に自慢してみるとよいだろう」は、最近、自分の中、および周囲で起っていることを思いつつ書いた。自慢というのではないが、自分にとって行なって楽しいことを素直に、「自覚的に」行なったことが、よい展開を生み出していると強く感じるのだ。

近年、マンガ・アニメといった日本のポップカルチャーが、海外で高い人気を得ている。そのことは、私の日本人としての自我をくすぐることもあって、なぜそうなのかということに強い関心があった。だったらこのテーマを「自覚的に」追求してみようと思ったのだ。「クール・ジャパン現象はなぜ起ったか」という問いだ。

それは他人によく見られ、高く評価されればうれしいという心理と同じで、日本人としての自我が自尊心をくすぐられているということなのだが、そういう自分の心理を軽蔑したり、わきに追いやったりせず、自覚をもってその心理を積極的に生きてみようと思った。

その結果、まずはアニメを積極的に見るようになり、その多様で豊かなジャングルにワクワクしながら分け入っている最中だ。目の前に突然、ほとんど知らなかった世界が開け、これ自体、ひとつな大きな成果だ。

日本のポップカルチャーが世界に広まるのは、その背後にある日本文化のユニークさにもよるのではないか、という予想がある。昔から日本文化論には関心があったのだが、その関連の本を再読も含めて夢中で読んでいる。わくわくするような発見が次々とある。そしてこれまで関心をもっていたいくつかの分野が、ひとつの視点からつながり始めた。昔、別の関心から読んでいたジャンルが、ひとつのテーマの元に結集し始めたのだ。

たとえば、最近読んだトマス・インモースの対談本『深い泉の国「日本」―異文化との出会い (中公文庫)』は、スイス出身の神父が、日本の祭や民族芸能、神道などを通して縄文文化に出会い、それを通してヨーロッパでの自身のルーツであるケルト文明などの意味を再発見していく経過を語る。しかもそれがユング心理学に基づいた深い洞察を通して発見されていく。

ユング心理学は以前から関心があったが、日本とヨーロッパ、そして世界各地の古層文化の共通の基盤を探るものとして、私の中でも再登場したわけだ。クールジャパン現象を追うことから始まった関心が、縄文文化やケルト文化への関心、ユングへの関心、そこから自己発見の旅として太古の文化や宗教への関心に行き着いた。しかもそれらがすべて一つのテーマのもとにつながっている。