goo blog サービス終了のお知らせ 

瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

限定された「私」の重課

2007年09月23日 | 読書日誌
「本気で真摯に自己探求をするとき、忘れることも思い出すこともできない、あなた自身の本当の姿が現れます。必要なのはただ、自分をある定義の中に見出そうとするのを止めることだけです。」p80

「誤った自己認識を捨て、あなたはどんな一過性の定義でもなく、意識そのものである、ということに直接、そして完全に気づく用意ができたとき、思考レベルでの自分探しには終止符が打たれます。」p80

「自分を定義するという重課を下ろす解放感を味わってみてください。」p81

以上もガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』より。

自分を定義する。「私は、これこれこういう人間として私だ」と定義し、限定する。それがいかなる定義であろうとも、いっさいの定義は誤った自己認識なのだ。それは、思考が作り出す幻影だ。いかなる限定もない意識、気づき、意識そのものの地平である本当の私。それを限定することで、そのはかない限定にしがみついて苦しむ。

問題は、その限定された「私」の重課からどのようにして解放されるかだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと350集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られる可能性が見えてきます。

ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。

幻影への執着

2007年09月22日 | 瞑想日記
引き続きガンガジの言葉より。

「『私』という思考を追求し、それがいったい本当にどれほどの妥当性を持ているか検証してごらんなさい。この追求の中にこそ、すなわちあなたである意識的知性がついに自分自身に気づく可能性があるのです。」p76

私が普通に「これが私だ」と思っている「私」の根拠を尋ねると、何もないことが分かる。「私」を支えているのは、「これが私」だと思っている思考だけで、それ以外の何ものも「私」を支えないし、根拠付けもしない。そこにこそ、「私」の不安と恐怖の根源があるのだろう。

私が私に問うことのできる最も大切な問いは、「私は誰?」という問いだという。しかし、その問いにどう答えようと、また「私」をどのように定義しようと、永続的な確信を与えてくれる答えも定義などないという。

それは、「これが私だ」と思い込んでいる思考に何の根拠もないことと同じ事実を語っている。

「私」は、「私」という思考が生み出した観念に執着する。何の根拠も支えもない「私」という思考にしがみついてあがくから、苦しみと恐怖が生まれる。それがいつまでも存続する最重要の何かであるかのように「私」(という観念)に執着するから、不安と恐れが生まれる。

「私」は、遅かれ早かれ消滅する観念の幻影に過ぎないのに。

この事実に腹の底から気づく必要があるのだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと350集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られる可能性が見えてきます。

ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。

久しぶりにガンガジを読む

2007年09月20日 | 読書日誌
久しぶりにガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』を読み返した。自分でアンダーラインしたところを中心に読んだ。あらためて胸にずしりと来る言葉が多い。前回日記に引用した箇所とは全く違う箇所が胸に響いてくることも多かった。当然のことだが、9ヶ月ほどの間に私自身も刻々と変化しているのだ。

「あなたがあなたの真実の姿に気づくのを阻む唯一のものこそが、この『私とはこの肉体である』という自我にのっとた思い込みなのです。この思い込みを持ち続けるためには、あなたが自分はこういう人間だと抱いているイメージに沿った、絶え間のない思考活動が必要です。この思考活動を止め、代わりに『自分』という中心の思考の内側に意識を向けたとき、あなたは、本質的にどんな思考も防衛の必要性も存在しない、無限の、純粋な意識を発見します。それがわかったとき、自我とは、夢やトランス状態が幻想に過ぎないのと同じように、ただの幻想にすぎないことを理解するでしょう。」

この本の中の目立たない一フレーズに過ぎないが、語られていることは無限に深い。「私は私だ」という自己同一性や「自分は、これこれこういう人間だ」という自己イメージを保ち続けるためにこそ、絶え間ない思考が必要なのだろう。しかし、観念と思考によって維持される「自己」は、結局は実体のない幻影にすぎない。その幻影にしがみつくことから生じる苦しみ。それを手放すことができないのは、やはり幻影が幻影であることを本当には知っていないからだろう。

今私にできることは、その思考活動に埋没せず、埋没しそうになるたびにそういう自分に気づくことだろう。ハッと我にかえって、思考に埋没していた自分に気づく。その繰り返し。

「どんな思考も防衛の必要性も存在しない、無限の、純粋な意識」‥‥思考を超えたところに確かにそのような意識が存在するのだろう。

ガンガジの言葉には、心の深いところを揺さぶる力がある。しばらくはこうした形で、感じたことを書きとめていきたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと380集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られる可能性が見えてきます。

ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。

限られたいのち

2007年09月06日 | 瞑想日記
「限られたいのち」としてこの世に投げ出されてあることを自覚すればするほど、一瞬一瞬の意味が深まる。「限られたいのち」だからこそ、この一瞬一瞬をどう生きるかが問われている。

人とのかかわりにおいても同じである。何気ない日常の会話をしているときでさえ、「限られたいのち」としてこの世に投げ出された者どうしの、互いに自覚すらしていない深いレベルでの交流が行われているのだ。それに気づくと、挨拶ひとつでもこれまでとは意味合いが違ってくるような気がする。

「こんにちは、今日もえらく蒸しますね」「ええ、本当に」と言い合う短い会話の中にも、「限られたいのち」としてこの世にあるもの相互の学びという意味が深層では流れている。

つっけんどんな挨拶もあれば、本当に相手のことを思いながら発せられる挨拶もある。その一瞬一瞬に「限られたいのち」をどう生きたかが問われてしまう。

ささやかな雑用を行う時も同じだ。いい加減な投げやりな態度で行うか、こころを込めて行うか。そこでも「限られたいのち」をどう生きたかが問われている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと380集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られるようになるのです。

ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。

だからこそ

2007年09月03日 | 瞑想日記
今を受け入れる、今を肯定する、今に感謝するとはどういうことか。

私のこの生活、そして「私」自身も、何十年後かにはあとかなもなく消えている。家族、仕事を人間関係、一切の人間関係を含めたこの生活が消える。その意識が、この一瞬一瞬を聖なる「今」に変える‥‥はずなのだが。

現実には、不平を言ったり、つまらないとつぶやいたり、人間関係に不満をもったりの連続だ。それでもやはり、やがては一切消えていってしまう「今」そして「この生活」を思うと、何がしか厳粛な気持ちになる。

上のことと理論的に全くつながらないのだが、私にとってはなぜか「だからこそ」とつながっている。

だからこそ、私がなすべきことは「私」からできる限り開放されて、周囲の人々へのやさしさに生きること。しかも、そうであればあるほど「今」が喜びに変っていく。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと380集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られるようになるのです。

ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。