7月20日(土)から21日(日)にかけて、入院先から自宅に外泊した。電車を利用して帰ったが、10分ほどの徒歩が思ったより足に負担になったこと以外は、大きな問題はなかった。家での生活も風呂やトイレも含め、注意してゆっくり行えば自分ひとりで行うことができた。
問題は、食生活の管理かもしれない。乗り換え駅の構内の飲食店からいい匂いがしてくると、病院では感じなかった空腹感を感じた。病院内では一日1400キロカロリーの減塩の食事になれてしまい、ほとんど空腹を感じなかったが、俗世間にはあまりに誘惑が多い。自宅にも菓子類やらなにやらがやたらに目につく。さっそく小さなクッキーを二つ食べてしまった。しかしそれ以外は、かろうじて小食を守ることができた。
すでに何回が触れたが、今回の私の脳梗塞はいくつもの幸運が重なって、いろいろな意味で深刻な事態に陥らずに済んでいる。これらがすべて偶然だったとは思えないのだ。
まず看護師だった妻のおかげで発見が比較的早く、発症の翌日には入院することができたこと、そのため麻痺が軽かったこと。さらに、発症、入院が時期的に絶妙なタイミングだったので、職場への迷惑が最小限で済んだことなどだ。発症が期末試験の直前だったので、授業は、一日2時間分しか穴をあけずに済み、期末試験の問題作成も採点も、その後の成績処理もほどんと病院で自分でできたのである。その後は夏休みに入るので、「再任用」という身軽な立場の私は心置きなくリハビリに励むことができる。しかも8月31日まで病欠という診断書がで、2学期からは職場に復帰できそうなので、この点でも職場に迷惑をかけず、私自身、任期いっぱい仕事を続けていこことが可能なことだ。
長男が、時間の自由がきくため、試験問題の受け取りや、採点の終わった試験問題の持参に学校まで行ってくれたのも幸いだったし、次男が理学療法を学ぶ学生で、マッサージをしてくれたり、リハビリについての助言をしてくれるのも大きい。
しかも、二度目の脳梗塞がこれだけ軽かったこと自体がかなり幸運で、私は三度目を起こさないように生活の質を変えていかざるを得ない。それ故これは、「生活の質を変える」ように何者かに仕向けられたとしか思えない。生活の質を変えるとは、心と体の浄化を第一に考える生活ということである。もともと私にとって、心の成長、魂の浄化こそが生きることの意味であり、人生の目標だった。最近、その道を踏み外していたのを、「もう一度だけチャンスをやるから、しっかりせよ」と最後の機会を与えられたのだと思っている。
もちろん、これらすべてを「単なる偶然だよ」という人もいるだろう。しかし、私にとっては「何者かがこうしてくださった」としか思えない。また、そう思うことが、自分自身の生き方を変える力になる。そう信じることによって生じるプラスのエネルギーは計り知れない。
だから、こういう事態が起こったということに「ありがとうございます」という感謝の言葉しかでてこない。そして、そう思えば思うほど、様々な誘惑に耐えて自分の生活をコントロールしていこうと強く思うのだ。
自宅に戻り、日常の生活が始まっても、生活のコントロールは続けていくことが出来るだろう。そうしなければ、三度目の脳梗塞の危険がありうるし、何よりも「もう一度あたえられたチャンス」を活かせないことになるからだ。感謝の気持ちは、実行することで示さなければならない。
問題は、食生活の管理かもしれない。乗り換え駅の構内の飲食店からいい匂いがしてくると、病院では感じなかった空腹感を感じた。病院内では一日1400キロカロリーの減塩の食事になれてしまい、ほとんど空腹を感じなかったが、俗世間にはあまりに誘惑が多い。自宅にも菓子類やらなにやらがやたらに目につく。さっそく小さなクッキーを二つ食べてしまった。しかしそれ以外は、かろうじて小食を守ることができた。
すでに何回が触れたが、今回の私の脳梗塞はいくつもの幸運が重なって、いろいろな意味で深刻な事態に陥らずに済んでいる。これらがすべて偶然だったとは思えないのだ。
まず看護師だった妻のおかげで発見が比較的早く、発症の翌日には入院することができたこと、そのため麻痺が軽かったこと。さらに、発症、入院が時期的に絶妙なタイミングだったので、職場への迷惑が最小限で済んだことなどだ。発症が期末試験の直前だったので、授業は、一日2時間分しか穴をあけずに済み、期末試験の問題作成も採点も、その後の成績処理もほどんと病院で自分でできたのである。その後は夏休みに入るので、「再任用」という身軽な立場の私は心置きなくリハビリに励むことができる。しかも8月31日まで病欠という診断書がで、2学期からは職場に復帰できそうなので、この点でも職場に迷惑をかけず、私自身、任期いっぱい仕事を続けていこことが可能なことだ。
長男が、時間の自由がきくため、試験問題の受け取りや、採点の終わった試験問題の持参に学校まで行ってくれたのも幸いだったし、次男が理学療法を学ぶ学生で、マッサージをしてくれたり、リハビリについての助言をしてくれるのも大きい。
しかも、二度目の脳梗塞がこれだけ軽かったこと自体がかなり幸運で、私は三度目を起こさないように生活の質を変えていかざるを得ない。それ故これは、「生活の質を変える」ように何者かに仕向けられたとしか思えない。生活の質を変えるとは、心と体の浄化を第一に考える生活ということである。もともと私にとって、心の成長、魂の浄化こそが生きることの意味であり、人生の目標だった。最近、その道を踏み外していたのを、「もう一度だけチャンスをやるから、しっかりせよ」と最後の機会を与えられたのだと思っている。
もちろん、これらすべてを「単なる偶然だよ」という人もいるだろう。しかし、私にとっては「何者かがこうしてくださった」としか思えない。また、そう思うことが、自分自身の生き方を変える力になる。そう信じることによって生じるプラスのエネルギーは計り知れない。
だから、こういう事態が起こったということに「ありがとうございます」という感謝の言葉しかでてこない。そして、そう思えば思うほど、様々な誘惑に耐えて自分の生活をコントロールしていこうと強く思うのだ。
自宅に戻り、日常の生活が始まっても、生活のコントロールは続けていくことが出来るだろう。そうしなければ、三度目の脳梗塞の危険がありうるし、何よりも「もう一度あたえられたチャンス」を活かせないことになるからだ。感謝の気持ちは、実行することで示さなければならない。