瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

病を肯定的に捉える

2013年07月11日 | 断食・少食
7月7日(日)今日はリハビリ指導なしなので自主トレのメニューをいただいた。採点関係の仕事に疲れるとベッドに横になり静かにできるメニュー(息子に指示されたものや自分独自のも含む)から始め少しきついものに移っていく。ベッドに腰掛けて行うものもある。終わるとまたパソコンに向かう繰り返し。

今日は七夕なので病院の昼のメニューもそれにちなんだ心のこもった料理。病室で一人である程度時間をかけて食べれるので、できるだけ雑念を追わず食べる動作やゆっくり噛むこと、飲み込むことなどに集中して食事をしている。原始仏教の流れをくむヴィパッサナー瞑想では食事瞑想が重視される。
リハビリも一つ一つの動きをゆっくり筋肉の動きなど確認しながら、あるいは動きを見ながら行うことが重視される。それが脳との回路をつなげるのに重要らしい。つまり他のことを考えずに集中してそれぞれの動作を行う。ヴィパッサナー瞑想でも一つ一つの動作をゆっくり確認しながら行う。

食事はヴィパッサナー瞑想の要領で一つ一つの動作に気づきを入れてゆっくり行う。食後もしばらく各動作に気づきを入れ続ける。たとえばお盆をテーブルからベッドの脇へ移す時、腹の筋肉に力が入る。「腹」と言葉で確認しその動きに気づく。使う筋肉の動きを意識するのがリハビリでも重要だ。

結局ヴィパッサナー瞑想は、意識を100%クリアに保つ訓練なのだ。色々な思いがほとんど無意識に流れていったり、日常の主動作を無自覚に行うのではなく、ひとつひとつに完璧な気づきを入れることを目指す。これはリハビリにおいて自分の動作をひとつひとつゆっくり確認しながら行うのと重なる。

父も脳梗塞で麻痺はかなり重く、外出は車椅子だった。しかし再発はなかった。私もそれを見ていたせいか再発はないだろうという思いがどこかにあった。薬を飲んでいれば大丈夫だろうと、生活習慣を顧みることがなくなっていた。しかしこれからは再発を意識し徹底的に食と生き方を変えていく覚悟だ。

もし三度目が起こったら、それは二度と普通の生活には戻れないということだと覚悟している。だから三度目を起こさないため生活パターンのすべてを変えていかなければならない。食事の量、質、運動‥‥。体重を今より7~8キロ落とし、血圧も下げる。ヨガやゆる体操や気功の再開、そして瞑想。


7月8日(月)午後、作業療法士の方が来てくれリハビリ。リハビリ室まで補助具も介添えも一切なしで歩く。ほとんど不安も感じなかった。しかし左足の機能回復は6~7割程度と感じる。足首を軸に甲を左右に動かすなどの動きは4割も回復していないか。

朝、校長から今夕行くと電話があった。リハビリが終わる頃、激しい雷雨の中を見舞いに来てくれた。校長としての部下への心遣いからなのは間違いないが、2学期以降大丈夫かという心配は多少あっただろう。だから私としては廊下を補助なしに元気に歩行する姿を偶然に見てもらえるのが、最も望ましいことだった。それが実現した。

実は、3時になっても答案が届かず少しイライラしながら病室で待っていた。その時、作業療法士の方がリハビリに迎えに来てくれたが、4時に時間を変更してもらった。3時半に答案が届き、4時前からリハビリ開始。ちょうど終わった頃に校長が訪れ、彼が廊下で待っているところへ私は「颯爽と」近づき病室へ案内できた。まさにグッド・タイミングで一人で歩く姿を校長に見てもらえたわけだ。

6月30日の日曜日、看護師だった妻が簡単なテストで脳梗塞と判断しすぐに入院していなければ症状はもっと重かったろう。長男がフリーの立場にあり答案の受取り受渡しなどしてくれなければかなり厳しい状況だった。次男が就職前で比較的時間があり、毎日来て専門家としてマッサージやアドバイスをくれる。

脳梗塞しないに越したことはないが、その後の様々なことは順調に回っている。これをキッカケに本気で自分の生活パターンや生き方を変えるよう誰かが計らってくれたのだと考えて、本当に実行しないていかなければ。むしろそのように仕向けられたのかもしれない。

今回の脳梗塞についてかなり肯定的に捉えている自分に少し驚いている。一般に病気を肯定的に捉えることはかなり難しい。しかし否定的に捉えるほど、自己治癒力も発揮されにくくなる。私の場合は麻痺が軽度だったこともあり、生き方の立て直しのチャンスが与えられた。


7月9日(火)昨日の午後3時過ぎに自分の科目の試験の答案が届いてからは、ひたすら採点。今日も朝5時半から採点。ちょっと疲れたら軽くリハビリ運動をするが、採点が始まってからの運動は少ない。その分、足が固まっていくような不安が少し。リハビリ室への往復でも昨日より若干ふらつきあり。


7月11日(木)昨日、成績処理関係の仕事もほぼ終わり病室でインターネットに接続できる環境になった。それでリハビリとインターネットを交互にしている。ただこれまでウェッブでだらだらと時間を使ってしまう傾向があった。これからはウェッブ上でやることのメリハリをつける。これも重要な生活の立て直しだ。

歩行時の左足の動きは一昨日よりかなりスムーズになり、不安も少なくなっている。ツイッタ―で何人かの人が励ましの言葉をくださったのも励みになっている。この調子でリハビリを続けていきたい。

脳梗塞、再び

2013年07月11日 | 断食・少食
6月29日(土)夕方3キロ程ジョギングをして入浴し、夕食時に軽くビールを飲んだ。その後少し足がふらつく感じがあった。その時は、あれ位のビールでふらつくのは体調のせいかなと思った。しかしそれが脳梗塞の前兆だった。夜中2回トイレに立った時も、ふらつきは続いていた。

翌日、朝起床して居間への階段を上った時もふらついた。そのことを妻に告げると看護師だった妻はすぐに簡単な脳梗塞のテストをしてくれた。両手を肩の高さに挙げると左腕が下がった。私はかなりためらったが妻の説得で救急車を呼んだ。日曜なので診察してもらうにはそうするほかなかった。

病院でのMRI検査で脳に9ミリ程の梗塞ありと判明し、即入院。点滴を始める。驚いたことに一晩たち(7月1日)、病院のベッドで目覚めると、左手足の麻痺があり、思うように上がらず一人で歩こうとすると転倒しそうな状態だった。左手も自分でうまく制御できなかった。

同日の朝、働いている高校に連絡を取る。5日と8日に自分の科目の試験があり、まだ未完成だったので病院にパソコンを持ち込み、完成したらメールで送ることを伝える。今後、採点から学期末の評価まですべて病院で行いメールで送ることになる。答案は息子が取りに行ってくれる。

7月2日(火)午前中再びMRI、脳と首の部分で併せて40分。その後、首と心臓のエコーを取る。心臓のエコーを取っていただいた年配の技師が面白い方で、ご自身が体重92キロから65キロへ半年で減量したという。私の脳梗塞については2回とも軽度というのは信じられないほどラッキーとのこと。

実は5年前に一度軽い脳梗塞を経験している。その時は右手の軽い麻痺と軽い言語麻痺があったが、冬休み中に5日入院しただけで職場も2日休んだだけですぐに教壇に立った。麻痺は1か月ほどでほぼ正常に戻った。脳梗塞は再発が多く、しかも2回目は重症になることが多いという。

脳梗塞が2回とも軽度だったにせよ3度目はそうとは限らない。何ものかによってもう一度だけチャンスが与えられたのだと理解し、今度こそは生活習慣や生き方自体の立直しをしようと真剣に考えている。まずは減量だ。私は入院前167センチ、72キロだったが65キロまで落としたい。


7月3日(水)両足で自分で立っていることは出来るが、一人で歩くことは困難な状態。左手は食事のお椀を何とか持てるがかなり不安定だ。ともあれ自分が教えている2科目分の試験問題を作らなければならない。左指はかなりゆっくりならキーボードを押せる状態。授業プリントをテスト用に改編して作成。

昼頃、リハビリを担当してくれる20代前半の理学療法士の女性が来てくれ、いよいよリハビリ開始だ。ここは救急病院でリハビリ専門ではないので一日2時間程だが、専門の方の懇切な指導を受けられるのはうれしい。また次男が理学療法の学生で毎日来て指導やマッサージをしてくれ有難い。

9月には脳梗塞前と変わらぬ状態で職場復帰するのが私の目標だ。そのためできることは何でもやろうと強く思った。自分でできるリハビリは時間と状況の許す限り全力でやるつもりだ。とりあえず左手足の関節や指の運動でベッド上等で出来る動作を試験問題作りなどの合間にできる限りやっている。

7月5日(金)担当の理学療法士の方が休みの場合は他のスタッフが来てくれる。理学療法士の指導に個性の違いがあって面白い。この日は、病室のある三階の廊下を、補助具を使って三周歩いた。自分が現段階でどれほど歩けるのか確認できてよかった。これだったら何とか普通に歩けるようになるぞと思った。

7月6日(土)昨日は私が右手に補助具(点滴棒)を持ち左手を理学療法士に支えられて歩いたが、今日は補助具のみだ。小股に、かかとからつま先へ順に踏んで、膝を突っ張らず柔らかく。指導されたことを守ると、かなり滑らかに歩けるようになるのを感じる。急速な回復を理学療法士の方々も驚いていた。