瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

これからの生き方

2013年07月19日 | 瞑想日記
今日、主治医との面談があった。脳梗塞に加え、脂肪肝になっていることは前の病院でも指摘されたが、加えて糖尿の傾向があるとのことだった。前の病院の医者は、動脈硬化はそれほど進んでいないと言っていたが、こちらの病院の医者はとくにそれは指摘しなかった。逆にこう言われた。

「動脈硬化は、よくなるということはない。退院していちばん心配なのは、病院でのように食事の管理が出来ず、またもとの食生活に戻ってしまうことだ。その結果、3度目の脳梗塞があれば、今度は手足の重い麻痺が残る可能性が高い。」

もし三度目の脳梗塞があれば、今度は軽くは済まないだろうということは、私自身、充分に自覚しているが、医者に改めて言われてみると、ズシリと心に響いた。

今後は、いつ三度目の脳梗塞があってもおかしくないという覚悟の上に生きていくことになる。自分で動くことができない体になって生きていくことはもちろん可能な限り避けたい。そのためには、徹底的な食と生活の管理が至上命令となる。病院では今、一日1400キロカロリーの減塩食を食べている。自宅でもこれに近いカロリー摂取量を保たなければならない。食べ物も自然食品や添加物の少ないものなど、かなり選んでいかなければならない。気の合う友人と飲食するするのはいいにしても、アルコールや食べ物は大幅に制限しなければならない。

ともあれ、自分の命が限りあるものであることを意識し、生活を徹底的に管理し、制限しながら生きていかなければならない。そんな風に生きていく上で、私が最も優先して行うべきことは何だろうか。自ずとそういう問いが湧いてくる。その問いを思いめぐらしているとき、何となく浮かんできた言葉は、「透明になる」であった。自分自身の心と体を可能な限り透明にいしていく。

今、一日1400キロカロリーでもほとんど空腹感はない。つまり、発病以前に食べ過ぎていた分はすべて、心の中の本質的な満たされない部分を食べることでごまかしていたのだ。人間が、心の中にいつも満たされないものを抱えていることの根底には、この世に限りなき命として投げ出されているという、命あるものの本質的な条件が横たわっている。だからこそ人間は、本質的に満たされないものを満たそうとして、過食に走ったり、金銭欲に走ったり、名誉欲や権力欲に走ったりするのだ。

たぶん、自分を限りなく透明にしてくとは、満たされないものを満たそうとする無駄なあがきを削ぎ落していくということだ。そしていつ死んでもいいように、死ぬ準備をしていくということだ。だからと言って、死に急ぐという意味では決してない。いつでも死を受け入れられるような心と体になっていくということだ。それは、魂の成長という意味である。つまり、人生の最優先課題は、魂の成長であり、悟りだ。

私は、あまりに凡夫なので、魂の成長のためにわざわざ、二度の脳梗塞という条件を与えてもらったのかもしれない。

病院で出会う、様々な人々との会話が楽しい。ちょっとした会話の中で、魂の深い部分で触れ合える機会が増えればいいと思う。

コメント (2)
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