瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

夢から覚め「気」に包まれていた

2009年02月27日 | 夢日記
昨日(26日)の明け方に見た夢。近くの川の土手だろうが草や緑が多い。ある同僚の先生に頼まれて二人の問題生徒を預かり、そこで何か作業をさせながら指導することになっていた。二人は、少し作業をしてから何か用事があるからと、どこかへ行ってしまった。私は「まあ、少しは作業したからいいか」と軽く考えていたが、戻ってきた同僚の先生は、たっぷり2時間ほど作業をさせたかったらしく、不満そうだった。ところが、私の背後から、帰ったはずの問題生徒二人が現れ、しかも作業の成果の工作物(ソリの上に築いた木や草で作った小さな家)を見せた。「何だ、ちゃんと作業を終えていたのか」と私もほっとする。

その後、同僚の先生が私に向かって「私は、私の中から自然に湧き出てくるものにしたがって行動し、生徒に接するときも同じです」と話す。自我を超えた内からの促しにしたがって行動すると言うような意味だろうか。先生は、その例として、ある本を開いて、素早くアンダーラインしていく。「私は、こうして直観にしたがって本に線を引いていくのです」と盛んにマーカーで線を引く。読んで意識的に大事なところを探すのではなく、いわば手の動きにまかせて線を引いているらしい。

夢はそのあたりで終わったと思うが、気づくと私のからだは「気」の感覚に包まれていた。正確に書くと、体が一種のエネルギー場のようになって響くような感じであった。ただしこれは始めての感覚ではない。最近はめったに気功を行わないし、ふだん気を意識することあまりないが、かつて気功をやっていたころはよくあった感覚だった。体が気に対して抵抗する感覚がなくなり、気が体を自由に出入するような感覚とでもいおうか。体の内外で気が響いている。

その感覚のために夢から目覚めたようだ。かつてもよくあった馴染みの感覚ではあったが、これまでになくはっきりした強い感覚なので少しびっくりした。寝ぼけていたからよけいにそう感じたのかもしれないが、私は感動していた。その感覚は、さらに強まり、布団の中でしっとりと汗をかくほど熱くなって、毛布をはいだ(この朝は気温は低かったと思う)。「このエネルギー場には、癒しの力がある」と感動したりもした。これもかなり寝ぼけていて大げさに感じたのかも知れない。

私は、感動しながらもサティをしていた。気やそのほかの体感覚に、そして湧きあがってくる様々な思考に。サティしているとさらに気の場が強くなるような気がした。やがて思考の渦に巻き込まれて気の場は弱まったが、また気づいてサティを再開すると、強い気の場が戻った。その後、少しうとうとして、いつもの起床時間(6時40分頃)になると、普通の状態に戻っていた。

この経験が私にとって貴重だったのは、夢という無意識からの働きかけがきっかけとなって、体が強い気の場になったということだ。自分の意図とは直接かかわらないところでそれが起ったということだ。意図して起こそうとしたものではないから、自我を超えた深い層からの働きかけとして、大切な贈り物だ。まさに、夢が同僚の先生の言葉として語っていたメッセージが、気としても体に出現したということなのだろう。