瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

自分自身を観察する

2006年12月07日 | 瞑想日記
ひとつの言葉の意味が、以前よりもはっきりと分かるようになるとういう経験は誰にもあるだろう。今日たまたま読み直したクリシュナムルティの次の言葉は、私にとってそんな体験となった。

「根本的な変革と、創造的・心理的な解放をもたらすことができる唯一の方法――それは、私たちが毎日毎日怠りなく自分自身を観察することなのです。すなわち私たちの意識的、無意識的な動機を一瞬一瞬目を凝らして見つめるていることなのです。」(クリシュナムルティ『自我の終焉―絶対自由への道』)

この中で「自分自身を観察する」ということが、具体的にどのようなことなのか分からなかった。というよりも一瞬一瞬そのようなことをするのは、とても不可能なことのように感じられた。

しかし、今の私には自分なりに得心するものがある。怠りなく自分自身を観察するということは、一瞬一瞬の想念や感情を観察する、サティするということである。そして、想念や感情が生まれてくる動機や元を自覚化することである。

しかもそれは、そうしたいという願いを持ち続けるならば、決して不可能なことではない。意図さえ持続するなら、無数の思考や感情の生滅が、そのつど自覚化されうるのだということが、感触として分かりはじめた。以上のような意味での自己観察を、かぎりなく多くしていきたい。

ただし、頭を使って計画したり、段取りしたりしているときや、思考しながら事務的な作業を行っているときは、必要な思考が雑念へと移行する瞬間に気づくのが難しく、ついつい雑念・妄想にまき込まれてしまいがちだ。その瞬間への気づきを高めることが、私の課題だ。
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