2016/3/26のほぼ日手帳より。
……そうだったな。
誰しも、自分の孤独、理解されない部分を抱えて生きているんだった。
私だけであるはずがない。
私だけが、他人を使って自分の孤独を埋めようだなんて、失礼千万だった。
しかも私には、共に人生を歩んでくれる人が、もう居るんだ。
私と妻は、おたがいにカンペキには理解しあえない。それはあたりまえ。他人なんだから。
しかし、理解しあえなくても、共に生きることはできる。
それも十分、価値あることだよな。
思えば、妻に対してもずいぶん、失礼なことをしてしまった。
自分の孤独を背負う者は、自分しかいないと自覚すること。
それが矜持、プライドというものだったな。
自分の孤独を背負って、引き受けて、なおかつ己の脚で誇り高く立つ。
そういう者にしか、仲間はできないのかもしれないな。
孤独に耐えうる者、孤独を孤独と感じない者だけが、孤独を抜け出すことが出来る。
逆説的な言い方だが、きっとそういうことだな。