核P Model の「回=回」という曲を聞いていたら、ハートチャクラあたりをこじ開けてくる曲で、きつい。
でもまあ、こじ開けたい時にはいい。
生命の樹で考えると、ティファレトを中心とした8つのパスで、自分にとって過不足や偏りがあるところに作用するかんじ。
なのだが、ずっとイメージでは「5教皇」がでてくる。
これはコクマー=ケセド間のパスなのでティファレトには接続しないが、数の原理で考えると4皇帝→5教皇→6恋人と変遷していくなかで、私のばあい5教皇が弱い。すると6恋人の規模も弱まる。
トートの5教皇の人を食ったような顔というか、ニヤニヤした姿が傲岸不遜な態度を求めてくる。傲岸不遜というのは恒星的な態度である。5、カリスマ。人の上に立つ。他のものは自分の足元にへつらうしかない。それが転じると、松村潔的いえばウルトラマンだったりマイトレーヤだったり菩薩だったり。
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トートを2周まわって気づいたのが、これは魔術師の免状、魔法のトレーニング、教科書みたいなものかなということ。
トートタロット作成に携わった者の意志に、人間をやりながらこの世で魔術師、魔法使いになることを本気で目指したというものがふくまれているようで、で、これは簡単にいうと狂気だ。
すくなくとも、まだまだ精神世界の内容というのは、「頭の固い」「物質しか信じない」人には、眉唾で狂気で胡散臭いオカルトで、その風潮のなかで「魔術師」になるというのは、並大抵の意図、気配り、工夫や努力ではなしえない。
いかにこの世で身を振っていくか、何足の草鞋をはくか、何を言わず、何を言うか。微笑みのなかで何を気づかせるか。腹芸のありなし、などなど。
自分にとって一番適切な身の振り方ができないと、魔術師には、なれない。
そして、トートタロットをよみ、説明書にはかかれていない自分にとっての最適な情報をひっぱりだし、それをもって自分の人生に役立たせる狡さというか賢さも必要で、トートタロットを上級者のタロットと変な括りをつけて、持ち上げるような馬鹿げた行為はしないほうがいい。
人はそれぞれ、適切な時期とかタイミングとか相性があるのだ。初見者だろうが上級者だろうがそんなのは関係ない。