小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

東京大学の秋期入学に思う

2012年01月22日 | 社会戯評
これから後は、桜の咲く頃に、入学した人と、秋に入学した人とに、その入学時期の思い出も、二分されることになるのであろうか。大学にも、いよいよ、「国際化」という波が、容赦なく、押し寄せてきたようである。時代は、大きく、その潮目が、変わりつつあるのかも知れない。今や、海外の優秀な人材を受け入れる以外に、日本を活性化させる教育の手立ては、ないのであろうか?確かに、明治期に、外国人お雇い学者や教師を招聘して、有為な人材育成に供したが、社会システムを含む研究・教育・就職システムなども、或いは、ボランティア活動、社会貢献活動プログラムも含めて、日本全体の体系を、変革していかなければ、単独では、機能しないことは火を見るより明らかであろう。日本で学ぶ環境もさることながら、日本にいても、海外の優秀な学者や教授の授業をネット等で、居ながらにして、受けられる機会があっても良いのではないか?我々が若いときには、せいぜい、英語を巧みに操る人達をみて、すごいネェー等と、感心していた程度であり、社会に出てから初めて、その鮮烈な「国際基準」の洗礼を、改めて、浴びてから、必死になって、学び、遅れを取り戻そうと、今にして思えば、よく頑張ったものである。明治期からの様々な体系、統治手法も、今や、グローバル・スタンダードという国際化という波の中で、まるで、黒船の到来のように、新たな方向性を模索してゆかなければならなくなったということなのであろう。尻に火が付かないと、日本人という民族は、分からないのであろうか?きっと、我々の孫の代には、桜咲く頃に、入学式があった時代もあったのね、等と、言われてしまう時代が、遠からず、来ることになるのは、必至であろう。