少なくも まことのわれを 生きむとて 身捨つる人は われをすくはむ
*この天使まねの流行も、少しは小さくなってきたかと言われていますが、しかしまだまだ沈下のきざしはない。ちまたの馬鹿女は、微妙に手法を変えつつ、しっかり天使のまねをしています。どうしても、天使がいいのです。自分を捨ててでも、あんなものになりたいのです。
なぜなら本当の自分は、何もしていないから。美しくなるための努力など、ほとんどしたことがないだけでなく、ずるばかりしてきて、いやなものになっているからなのです。
そんな自分など捨てて、あの、まるっきり完璧に見える、美しい天使になりたい。それが天使まねの馬鹿女の本音でしょう。
しかしそんなことをしていれば、人間を落ちて永遠にこの世界を追い出される。そこまで来ているのに、馬鹿はまだやめられない。何か不思議な魔法でも起こって、自分がほんとの天使になれはしないかなどと、甘いことを考えているかのようだ。
かのようではなく、本当にそう考えているのでしょう。
ですが、本当の自分から逃げている限り、天使になることはできません。本当の天使は、本当の自分の進化形だからです。逃げることはできないこの真実から、逃げている限り、天使まねの馬鹿女は、汚い偽物であり続ける。
天使になりたい。天使の真似をすれば、自分が汚い偽物になる。そんな自分など捨てて天使になりたい。しかしそれで天使の真似をすれば…、馬鹿女は永遠にこの矛盾から出られないかのようだ。
この地獄から自分を救うには、たとえ今の自分がどんなに小さいものであろうと、本当の自分を生きるために、身を捨てるようにして、偽物の自分を捨てなければなりません。それができる人は、自分を救うことができるのです。が。
それができる人はまれでしょう。偽物の馬鹿女はどうしてもきれいな自分がいい。
たとえ嘘でも、美人の自分がいいと、思っているからです。