なにもせぬ われをいとひて われならぬ ものとなりたき 馬鹿者の闇
*馬鹿者というのは、いいことは何もしません。人のものを盗んで、自分をいいことにするなどの、痛いことばかりやって、人としてまっとうなことはほとんどやりません。
人間が美しくなるには、美しい心で、ひとのためにいいことをやっていくしかないのだが、そういうことは何もやらないのです。
真面目に本当の自分をやっている人は、それなりのことをやって自分の美の種をいくらも稼いでいるものなのだが、馬鹿はやりたがらない。本当の自分というものを、馬鹿なものだ、いやなものだと思いすぎているからです。
なぜいやなものだと思うのか。自分はいいことなどなにもせず、いやなことばかりやっているからです。そういう自分を、自分にはごまかせない。自分はいつも自分の中にいて、自分のすることを見ていますから。
こんな馬鹿な自分など捨てて、ほかの自分になりたいと馬鹿は思う。そのためにまた、人のものを盗んでいやなことをする。そんないやなことをする自分がいとわしい。ちぎり捨ててしまいたいほど、苦しい。だからまた人のものを盗んで自分をよくしようとする。それがまた苦しい。
これが馬鹿者の闇。
どこかで本当の自分に返り、その本当の美しさに気づかない限り、その苦しみは続くのです。
本当の自分とはいやなものではない。それはすばらしいものなのです。何でも自由意思で、すべてをやっていくことのできる、美しいものなのです。
解脱とはそれに気づくことです。
ひとたび解脱すれば、人は自分の真価を知り、愛のためになんでもやっていく、美しい存在になることができます。
自分がいやだというからこそ起こったすべての苦しい現象は終わり、馬鹿者の闇は拭い去られ、輝くばかりの美しい世界が自分の前に広がるのです。