いつはりの われをてらひて 見抜かれて 恥ぢしぼみゆく さいはひの夢
*これは、ある女優さんの顔を思い出しながら詠んだ歌です。その人は結構有名な人なんですがね、もろにかのじょにそっくりな顔をしています。もちろん、かのじょの顔を盗んだのです。
それはきれいな顔なのだが、実につらそうな顔をしていました。自分が嘘だということがわかっているからです。おそらく人にも言われているのでしょう。そのきれいな顔は嘘だと。心は全然ちがうのだと。
もう人間の感性は開けていますから、人の心も容易に見抜くことができる。見栄えだけにはだまされない。そういう時代が来ているというのに、いまだに偽物の美貌をかぶって生きている。それが恥ずかしいのに、ほんとの自分に戻ることもできない。
本当の自分に戻れば、いやらしいブスになるからなのです。人のものを盗んで自分をきれいにするような、いやらしいことをするやつだということが、もろにわかる顔になるからなのです。
こういう天使まねの馬鹿女、偽物の美人は、今矛盾の風に吹かれて実に苦しそうな顔をしています。やたらときれいなのに、人が嫌な顔をして逃げていくからです。
天使の顔は、中身がそのまま見えるという顔ですから、その女の貧しい心ももろ見えている。顔は天使的に整っているのに、心は猿のように未熟なのだ。自分がいやらしい偽物になっている。
天使的にきれいなのに、それが嘘だとばれているものだから、誰も愛してくれない。
天使顔の馬鹿女は、自分が偽物だから、本当の愛が寄ってこないのです。それは盗んだ見栄えで人をだまして利用しようとすることだからです。本当の愛はそんな心を嫌って、寄ってこないのです。
ですから馬鹿は、見栄えで幸せになろうとしたその夢をかなえることはできません。見栄え以外に何もないのに、それが通用しなくなって、美しい幸せがない自分の人生に、ぼんやり突っ立っているだけなのです。