音もなく 降る霧雨を 君の目の わけをとはざる いひわけとしき
*これも、ツイッターで、ほかの歌人さんに挑戦したときの歌ですね。ツイッターではいろいろな歌人や団体に挑戦していますが、今のところ返事をくれるひとは数えるほどしかいない。
大方は無視して通り過ぎていきます。歌を詠う人なら、下手でも歌で返すのが礼儀のはずだが、それをやってくれる人は滅多にいません。
相手が素人でも、挑戦されれば歌で返さねばならないのが歌人です。
なんで返してくれないのか。それはもうできないからだと判断するしかない。実際、彼らはできないのです。歌人として名をたて、それなりの歌集は出しておきながら、こういうきつい技というのができない。歌で挑戦されればすぐにそれに応えて返事をするという、あきらかに修練を必要とする技術ができないのだ。
早詠み、という技術はあるんですよ。相手の歌に反応して、言葉をとり、それを頭のなかで組み替えて、おもしろいことばをはめこんでみるのです。頭で考えていてはできない。手品に近いですね。歌詠みの技術で詠むのです。歌の意味は後からついてくる。
そういうことは、歌会などの経験で身についてくるものだと思うのだが、今の歌壇というのはそういうものではないらしい。
おそらく歌合せなども、事前に調整してやっているのでしょう。だからとっさに詠むことができないのだ。
表題の歌は、挑戦した歌人のツイッターのヘッダー画像から思いつきました。静かな水をたたえる湖のほとりの森の風景、という感じの画像でしたね。静かな雨が降っていそうだった。そこで霧雨、という言葉が浮かんで詠んでみたのです。
現代の歌人という人種は、こういう挑戦に応えようとしない、いつも逃げてばかりいる、という思いを、こんな感じで詠んでみたのです。
さあ、こたえてくれるのいいのですが。
今の時点では、返事はありません。