あくがれて 不二の高嶺に 見る雪の ごときころもを わが手に得たり
*自分が嫌だと言う人は、とにかく自分を美しくしたがるものです。
おしろいでもなんでもぬって、肌を雪のように白くなりたがる。美白などというものが少し前に流行っていましたが、あれは少々滑稽でしたね。
抜けるように白い肌というのはありますが、それは悪いことをやめて長く勉強をしていいことをし続けてきた人に授かるものなのです。
悪いことをすればどうしても肌は黒くなる。人間、女性より男性の方が若干肌が黒いのは、もちろん男性が女性より悪いことをするからです。
しかし反対に、こつこつと小さくでも、清らかにいいことをし続けていくと、肌は清らかに白くなってくる。
それがとても美しく見えて、馬鹿者はそういう肌を欲しがるのです。
勉強をして、正しい方法で白くなるのならいいのですがね。みっともない技術を使って無理矢理自分を白くすることがある。そんなことをすれば後に、ほんとうに間抜けなことになるのだが。
白くすれば、自分の記憶にある黒いことも消えるとでも思っているのかもしれない。
しかしそれは消えはしない。
馬鹿な人たちが、技術で無理矢理自分を白くし、自分を美しくしても、心の奥に魂の記憶というものはあるものですから、常にそれがうずいている。自分はかつてみっともないことをしたことがあるという、痛みが常にある。それが実に苦しい。
自分が厭わしくて、そういう人たちはたとえ自分がたぐいまれな美女の姿をしていても、不安でたまらない。そして自分より美しい人を見ると、激しく憎悪するのです。
破壊と侮辱の限りを始める。恐ろしいことをする自分をとめることすらできない。なぜなのか。なぜ平気で、人を不幸のどん底に落とすことができるのか。感性の欠如もあるがむしろ、自分の奥にある背徳の傷があまりにも痛いのでしょう。
だがもう、そういう馬鹿者どもの気持ちを思いやってくれる者はいない。馬鹿なことをやりつくしたものは愛を消費しつくした。
ゴミのようなものとして、この世界から掃き出される。
もう二度と、あんな嘘つきたちはいやだと、全世界が言うのです。