これやこの 女楽かなしや たれもみぬ をどりをどりて 屑となりぬる
*「女楽(じょがく)」というのは、論語のエピソードから来ていますね。一応引用しておきましょう。微子第十八の四。
斉人、女楽を帰る。季桓子これを受く。三日朝せず。孔子行る。
せいひと、じょがくをおくる。きかんしこれをうく。みっかちょうせず。こうしさる。
読み方も一応書いておきました。現代語に訳しますと、こうなります。
斉の国の人が、魯の国に女性の舞踊楽団を送った。季桓子はこれを受け取って、三日もそればかり見て朝廷に出て来なかった。孔子は失望して、魯を去った。
昔も今も、かわいい女性が踊るのを見たがる男はたくさんいました。最近までその傾向は続いていたのですが、ところが今はそうではない。
ミニスカートの衣装を着て団体で踊っている若い女の姿などを見ると、もうぞっとするという男がいきなり増えたのです。
ああいう女性たちの正体が、みなに見えるようになったからです。
まあ詳しくは言いませんが、男もいつまでも子供ではない。見栄えだけの子供みたいな女性ではがまんできなくなる。
表情も眼差しも行いも美しい、高い女性の美を知ってしまったからです。
あの美しさがわかるようになったら、幼稚な色気を売って、馬鹿な踊りを踊っている女など、屑に見えてしまうのです。
それでも、馬鹿というのはすぐにはやめられないものですから、まだ大舞台で踊っている。恥ずかしいことはわかっていても、やめられない。やめればいろいろなことがだめになってくるからです。
みんなに、馬鹿さ加減を見られている。だれもきれいだとは言ってくれない。嘘だからです。全部嘘だからです。あれらはもはや女性ですらない。
古の昔から、人から美人の顔を盗んで生きてきた、馬鹿なのです。そればかりでやってきて、何も勉強してこなかったからこうなった。
男はかわいい女のすねでも見せればみなよってくると、そんなことばかりで生きてきたから、そうなったのです。