蟷螂の おのをまげては 鉄鎌と なりしあほうの 群れぞかなしき
*「蟷螂の」を「おのれ」にかかる枕詞のように使ってみた例です。この「おの」には「斧」と「おのれ」の両方の意味があります。
文語調ですが、大火の作であることは明らかにわかりますね。彼の歌というのは実によくわかる。異色というか、この突出した個性は実に楽しい。
わたしたちの活動を通して、いろいろと学び、歌を詠むのがうまくなってきた人はたくさんいるでしょうが、この大火の真似ができる人はなかなかいないでしょう。というか、する人は滅多にいないでしょう。
してもいいですが、大火以上のことができる人がいるとは思えません。
蟷螂が自分の斧を曲げるように、自分を曲げて、鉄鎌のような馬鹿なものになって、自分を失ったものの群れとなってしまった馬鹿者ほど、かなしいものはないなあ。
この歌は、「孤独」ということをテーマにみんなで詠んでみた歌の一つでした。この歌の前にかのじょの歌をもじった「さいはひに似し孤独の痛み」というのがあった。どんなに友達が少なくても、自分を裏切って大勢の仲間に入るよりは、孤独でも本当の自分でいるほうが幸せだという意味です。
かのじょは生きていた頃、友達はほとんどいませんでした。この時代は、人間はほとんど全部が自分を裏切ってしまった人ばかりでしたから、ほんとうの自分で生きていたかのじょには、ともだちがほとんどできなかったのです。
だがかのじょは自分を裏切ることなどできませんでしたから、自分を裏切った人の友達など欲しくはなかった。自分を裏切るくらいなら、ひとりでいるほうがよい。野原にいけば花がいる。この世界にある、美しいほんとうの愛を食べて生きていれば、人間の友達がいないことなど、それほどつらいことでもない。
そんなかのじょが憎くて、大勢の仲間と一緒にあなたがたはあらゆる邪魔をしたのですが。そういうあなたがたが孤独ではなかったかと言えば、どうでしょうか。
今、あなたを愛して助けてくれる友達はいますか? たったひとりでも。
かのじょにはいました。見えない世界に、わたしたちのようなものが。たくさん。
自分を信じて、みんなのためにたったひとりで苦しいことに切り込んでいった、かのじょを深く愛している友人が、たくさんいました。