ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

ほしあひ

2018-05-09 11:08:45 | 短歌





ほしあひの ちぎりのかはの 岸辺にて 待てどふたたび 来ぬ月夜かな





*「ほしあひ(星合ひ)」とは七夕の夜に織姫と彦星が会うことですね。七夕の伝説は切ない恋を表すのによいアイテムだ。活用しましょう。

織姫と彦星が年に一度会うと言う約束の川、すなわち天の川の岸辺で、待っていても、もう二度とは来ない、月にたとえられるあの人であることよ。

織姫彦星は、年に一度会える約束があるから、自分もその伝説を頼って、会いたい人を待ってみたというところでしょうか。岸辺というが、実際に行ったところは、今はもう変わり果てているあの野原であるかもしれない。かのじょが生前よく行った山であるかもしれない。

だがもうどこに行ってもかのじょはいない。あの人だけはもう永遠にこの世界に存在することはできないのだ。

未熟な人というのは愛し方というのがわからない。好きになれば大事にしてやればいいものを、思うように自分に寄って来ないからという理由だけで激しく憎悪し、大勢で寄ってたかってころした。

自分の方を馬鹿なやつにしたくなくて、言い訳にもならないことを繰り返し、どうにかしてかのじょの方が悪いのだにしようとした。だがまぎれもない真実が次々と現れてきて、馬鹿は認めるしかない。

あの人が本当に良い人であったことを。

すべては、女を思い通りの肉にするために、馬鹿な男や女たちが都合の悪い事実を曲げに曲げて、やったことなのだと。悪いのは完全に自分だと。

真実は隠し通せるわけがない。あの人は、本当に純真素朴な、少年を通り越して少女のようにかわいらしい、天使だったのです。

強引にやりつくしたことが罪の山になって迫ってきている。天使をひとり完全に消したことによって、人類の救済が大幅に崩れた。かのじょがいれば救えたはずの人間がおそろしくたくさん落ちた。彼らはその責任をとらねばならない。

いまだに小さいことすらまともにできない弱さを抱えながら、永遠の年月をかけて、それを支払っていかねばならない。

馬鹿者というものはたまらない。

傲慢のツケというものを、思い知ったことでしょう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする