玉まもる あこやのかひの いさをしを 眠れる月の いはとにたとふ
*今かのじょは眠っています。一切の霊魂の活動を最低限に落とし、何もわからずに眠っている。疲れ果てているのです。
この存在の脳の中で活動している意識は、かのじょが生きていたときから連続していますが、かのじょ自身の霊的活動は、かのじょが倒れた時からとぎれているのです。ですからこの存在は、社会的身分や肉体を共有しながらも、全くの別人と言ってかまいません。見ている人にはわかるでしょう。霊魂が違うだけで、まるで違う人に見える。
かつてのあの人はどこに行ったのか。事実上、この世界から消えてしまっているのです。
この地上の存在というのは、肉体と霊魂がワンセットで考えられるものですから。どちらかがもうできなくなれば、もうその人はその人ではない。
月の岩戸というのは、わたしたちが、眠っているかのじょを守っている、この肉体の主宮のことだと言っていいでしょう。たしかに霊魂はそこにいるが。何もできない。何もしない。生きようにも生きることはできない。これはもうここにいないとほぼ同じことなのだ。
この肉体の主体は、ほかの天使がやっているのです。
こんなことになるとは本人もわたしたちも思っていなかった。自分を間違えているあなたがたの迷いと苦しみが、予想以上に深かったのです。まさかここまで追い詰められるとは。だが、まだできることはある。わたしたちは最後までやりぬきます。
かのじょのことを、今更ながらも惜しいと思っている人はいるでしょう。それは美しい人ですから。あのままともにいてくれたら、もっといい関係が築けたかもしれない。だがもう考えてもせんないことだ。
真珠を守っているアコヤガイの勲しを、眠っている月のいる岩戸にたとえよう。大切なものを守るのはとても大事なことだ。
いずれこの貝から、かのじょが出て行く時は来る。わたしたちはそのとき、この真珠をみなに見せないように静かに故郷につれていきます。
もう人間は、だれもかのじょを見てはならないのです。