われのみを 賢きと見て 梓弓 張りてねらひし 春宵の月
*「梓弓」は「張る」などにかかる枕詞ですね。枕詞は便利です。おもしろいし、きれいな言葉がたくさんある。基本的なところは網羅しておきましょう。古語辞典をめくっていると、時々珍しい枕詞に出会うことがあります。そういうのは積極的に使っていきましょう。おもしろい歌がたくさんできます。
普通枕詞は特に訳しませんが、この場合はもちろん意味をとっています。
自分だけが賢いと思って、梓の弓を張っては、春宵の月をねらったことだ。
まあわかりますね。馬鹿というのは自分の知恵で分かる世界しか知らない。だから自分のことをとても賢いと思っているのです。自分が世界で一番賢いとさえ思っている。自分の世界の中だけで生きていたら、ほかの人間がみな馬鹿に見えるからです。
ここらへんがわかっていない人が多すぎますね。
なんで月を弓で狙うなんてことができるかというと、あれが果てしなく遠いものだということを知らないからです。目で見えるから、すぐ近くにあって容易に届くものと思い込んでいる。
何も知らないからそういうことができる。月を正確に狙って矢を打っても届きはしない。矢はどんなに遠くに飛ぼうとも、弧を描いて地面に落ちるか、または違うものに当たるでしょう。何度同じことを繰り返してもわからない。馬鹿は月に手が届くと思い込んでいるのです。
思い込みほど怖いものはない。
何度やっても届かないと思った馬鹿はそれならと作戦を組む。人をたくさん集めて罠をかける。いろんなことをする。だが何度やっても月は捕まらない。
ただ静かに空に照って、すべてを見ている。
自分の方が馬鹿だったと、ようやく気付いた時には、あまりにも恐ろしいことになっている。人間はよくこういうことを繰り返していますよ。
長き願いというのはよく考え直した方がよい。何度やってもダメなときは、自分が間違っているのではないかと疑った方がよい。
それができないというか、やろうとしないのが、馬鹿というものです。