
私は、5月19日(月)、中津城を見た後、福沢諭吉宅に向かいました。

父の休止により、大阪の中津藩蔵屋敷から、家族6人で1836年(天保7年)、福沢家は中津に戻ってきます。その最初の家がこちらにあったようです。

そして、その時の間取りを福沢諭吉が書いたものが下の写真です。

その後、住んだ家が保存されています。軒が落ちそうになっているのでしょうか、補強されています。




勉強している子供は、少年の頃の福沢諭吉氏でしょうか。トップの写真です。

この家、1986年(昭和61年)~1989年(令和元年)の解体修理で1803年(享和3年)の建築であることが分かったそうです。
その後、私は中津豊後町郵便局と中津郵便局を訪問しました。下の写真は、10,906局目となった中津豊後町郵便局です。


「和傘工房 朱夏」さんが有りました。


私が小学生だった頃、我が家には番傘が有りました。それを差して、雪の中、銭湯に行った記憶が有ります。
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