6月5日(日)、丸岡城に行くバスまでは時間が有りました。そこで、柴田勝家の築いた、北の庄城跡と福井城跡を見ようと思いました。

まず、町の中にある柴田神社に向かいました。

神社の境内には、茶々、初、江の柴田勝家とお市の方の娘3人の像が有りました。

3人の娘の奥に、お市の方の像が有ります。
そして、石垣の一部がこの柴田神社の横から発見されました。

北の庄城は、1575年(天正3年)に築城が始まり、その天守閣は、安土城の7層を超える9層と伝えられている、日本最大級の城だったそうです。

日向門が有った位置の奥にあるのが、柴田勝家の像です。

その結城秀康が築いた福井城跡に向かいます。
福井駅を過ぎ、歩いていくと、城の堀が見えてきました。


堀の縁にある緑地に、由利公正とその師匠である横井小楠の像が有りました。

福井駅には、「由利公正を大河ドラマの主人公に」と書かれた幟が立っています。


身分の低い福井藩士でしたが、松平春嶽に抜擢され、藩の財政を担当することになります。儒学者であった横井小楠に師事して、殖産興業や財政学を学んだそうです。そして、改革を進め、藩の財政を豊かにしたそうです。その手腕は坂本龍馬にも認められ、坂本龍馬は、後藤象二郎に明治新政府の財政担当にどうかと推薦しています。


橋を渡ると福井県警察本部と福井県庁が見えます。その前に、この福井城を築いた結城秀康の像が有りました。

天守閣があった所に着きました。トップの写真です。4層5階の天守は有りません。


その向かいには、崩れた石垣がそのままになっています。

1948年(昭和23年)の福井地震で崩れたそうです。

「福井」の名の元になった「福の井」という井戸が有りました。
