ほんとはいけないけれど。
私の大事な宝物。
旅の思い出、壜につめて。
歩いて、歩いて、歩いて…
見上げた空、
小川のせせらぎ、
ぬけられない路地、
いつの間にか獣道になった農道、
一杯のお茶、
海の向うの月…
全部が詰まった壜が、旅に出るたび増えていく。
つまずいた枯れ枝、
青空に向かってふいた綿毛、
散ったばかりの花びら、
たわわに実った種、眠れる赤子たち。
旅の記憶が詰まった、私へのスーベニール
きょろきょろして、肝心なところで足元を見ていないから、
穴に落ちる、蔓に捕まってがけを登るなど、誰も見ていないから出来ること。
崖に沿った植え込みから、急に公道に出てくる日本人がいたら、それは私。
都心では滑る、転ぶは当たり前。
旅に出たら、子どもに還ろう。
公園で、植物園で、電池が切れて寝ていたら、それは私。
大きなイスラームのスカーフが私を包んで守る。
この壜たちはフランス語でスーベニールというのがしっくりくる。
何でフランス語?
お土産もプレゼントも、スーベニーヤも、ハディーヤも全部違う。
新たなスーベニールが欲しくて、また海を渡る。
いいえ、本当は、この種を蒔けるところを探して…