日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

夢の核燃料サイクルの破綻は技術への過信から!

2018年06月23日 09時21分18秒 | 日々雑感
 2050年を目指した長期的なエネルギー政策について議論する経済産業大臣の私的懇談会が今年4月10日、「エネルギー転換へのイニシアティブ」と題した提言をまとめた。本来この懇談会には、日本が将来にわたって原子力発電とどう向き合うのかを示すことが期待されたが、結論的には将来はどうなるかよく分からないので、色々な選択肢を考えておくべきだとの至極差しさわりのないものとなった。

 先の国際エネルギー機関(IEA)が昨年発表したレポートでは、世界で再エネルギー由来の電力は今後5年間で4割を超えると予想し、発電コストも太陽光で25%、洋上風力で3割下がり、従来の化石燃料による発電と同水準まで下がると予想しているが、このような踏み込んだ議論はなされなかったようである。

 先の懇談会の結論も会の構成員次第であり、主催者の意向に合致するように仕組むことは簡単である。従って懇談会の設立に当たって、経産大臣から2050年のエネルギー戦略のシナリオを描くよう求められたにもかかわらず、従来の路線に沿った考えの専門家や経済人を集めれば、当然の帰結とも言える。再生エネルギーの重要性が分かっていても、従来の柵が強く、二進も三進も行かなくなっているのだろう。

 しかも、今夏の閣議決定予定の第5次エネルギー基本計画でも、2030年度の電源構成は、太陽光や風力などの再可能エネルギーの比率を22~24%にするとしながらも、電力量に占める原子力発電の割合を20~22%にする等、原発が相変わらず主要な電源と位置づけている。

 東京電力福島第1原発事故が起こる前は、絶対的安全神話の下、原子力発電は地球温暖化にやさしく、安価で、無限のエネルギーを供給出来るものとしてもてはやしてきた為、世界の流れは再生可能エネルーとなっているが、日本はなかなか踏ん切りがつかないのだ。

 すなわち、これまでのエネルギー政策が余りにも核燃料サイクルの夢にどっぷり浸かっていたため、なかなか夢から抜け出せないのだ。核燃料サイクルは無から有を作り出す夢のサイクルであるとし、技術的な問題も数々あっても、時が経てばその内技術が進歩して解決するとの甘い見通しの下にぬるま湯に浸かっていたのだ。

 その中核をなす高速増殖炉は今や風前の灯である。高速増殖原型炉 ”もんじゅ”は、既に廃炉が決まっているが、高速増殖炉そのものは未練がましく開発続行の姿勢を崩していない。なんせ核燃料サイクルの中核をなすものだから止めるに止められない。

 しかし、その後継機の開発について議論する経済産業省の作業部会に、今月始め、フランス原子力庁の担当者も出席し、日仏で共同研究を進める高速実証炉の計画を大幅に縮小する方針を明らかにした。また一歩後退せざるを得ない状況に追い込まれたのだ。

 一方、核燃料サイクルの一角を占める、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理施設を青森県六ケ所村に建設中であるが、大金を注ぎ込んで無事完成できたとしても、宝の持ち腐れになる恐れが充分高まった。

 片や、これまで再処理を行ってきた東海再処理施設は、今年6月、原子力規制委員会は廃止計画を認可した。だが、国費で賄う廃止費用は約1兆円かかるそうだ。廃止作業は完了まで約70年かかる見通しだが、そこで生じた廃棄物の処分場は未だ決められずにいる。

 日本はこれまで原発の恩恵に与ってきたが、これからは多大な出費と年月を払わなくてはならない。それも、その恩恵に報いるためと我慢するしかないだろう。

 一度躓いた技術の流れは簡単には元に戻せない。夢の無い所には有望な人材は集まらないため、ますますじり貧状態に陥る。夢の核燃料サイクルの破綻は、”もんじゅ”の躓きや福島第1原発事故等、が直接影響しているが、そこでは技術は永遠に進歩するとの過信があったことには間違いない。

 「夢を抱いて挑戦すればいつかは必ず適う」は、よく耳にするフレーズであるが、過信に基づく挑戦は自殺行為である。以上

2018.06.23(犬賀 大好-453)

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