日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

米朝首脳会談は狐と狸の化かし合い

2018年06月13日 10時00分51秒 | 日々雑感
 昨日の米朝首脳会談は、ノーベル平和賞にも値する画期的な会談になると思っていたが、全くの早とちりであった。トランプ大統領の頭の中は非核化問題は二の次で、米国と北朝鮮の初めての首脳会談を開催した大統領として名前を歴史に残したい一心であろう。このため、金正恩委員長に体制維持の約束をする等、米国が大幅な譲歩をしたように見える。

 また、今秋の米国中間選挙を意識して、全世界に配信されたテレビでは、執拗に二人の握手の様子を流し、両国の融和ムードを演出していた。会談での具体的な中身が無いのに、自信に満ちた言動により、まもなく朝鮮半島の非核化が実現されると印象操作をするとは、まさに商売人であった。

 北朝鮮の非核化に関しては、日・米・漢ともに、”完全で検証可能かつ不可逆的な非核化"(CVID)でなければならないと3国合意の筈であったが、トランプ大統領の最近の発言は、”非核化はゆっくりと時間をかけてやればよい”、“最大限の圧力と言う用語をこれ以上使いたくない”と変わってきている。

 側近の国家安全保障担当のボルトン大統領補佐官はCVIDを主張し続けているようであるが、大統領は現実路線のポンペオ国務長官の意見に沿っているようであり、首脳会談でのボルトン氏の発言が気になる。

 問題はこれからである。金正恩委員長の最大の関心事は体制維持である。核保有はその手段に過ぎない。先に行われた2回に亘る中国の習近平主席と金委員長の会談で、恐らく、体制維持の約束がされたと推測する。中国にとっても資本主義国家との緩衝地帯は絶対に必要となるからだ。

 そこで体制維持のため、北朝鮮への経済制裁の緩和や核兵器保有容認の確約等が話し合われたと推測する。

 北朝鮮の対外貿易は90%が中国と言われ、一時米国の圧力でかなり制限されたようであるが、現在かなり復活しているようだ。ここで、トランプ氏が最大限の圧力と言っても、中国の協力なくしては実現できない。米国は今中国と関税を巡り火花を散らしており、中国の協力を得るためには、関税問題で大幅な譲歩をしなくてはならないだろう。

 結局のところ、北朝鮮の核保有に関しては、米国も認めざるを得ないのではないか。中国やロシアは、国境で直接接しており、北朝鮮の民主的な経済発展は到底容赦出来る筈が無い。容認できるのは、言論統制の厳しい中国式ガバナンスを実行する独裁体制の北朝鮮国家であろう。

 中国は、経済面で北朝鮮の首根っこを押さえこんでいることを今回の経済制裁で確認できたため、北朝鮮が核を保有しようがしまいが大した問題とならないと判断したに違いない。北朝鮮の核兵器も中国の核兵器に比べたら月とスッポンであろうし、金委員長は経済の重要性を思い知ったであろうからである。

 金委員長は体制維持のため核を廃棄する筈が無い。例え、核兵器の廃棄を認めざるを得ない状況に追い込まれたとしても、中国領に一時退避位のことをやって、一時しのぎするであろう。この一時退避は、金委員長の最近の強気な姿勢からも、中国との間で約束されたのではないかと勘繰られる。

 トランプ大統領は、会談はディールであり、得意とすると豪語していたが、報道を見聞きする限り、金委員長の大勝利である。大統領は中身の無いの会談を成立させた位であるが、委員長は体制維持の保証を勝ち取った。

 安倍首相は、米朝会談で拉致問題を取り上げるように、トランプ大統領に確約するするため会いに行った。大統領はこの問題を解決できるわけがなく、北朝鮮に日本と協議するように言うだけであろうが、この確約の為、日本は米国から沢山の買い物をするように約束させられたようである。さすがに商売人であるが、無二の親友と思っているのは安倍首相のみでなければよいが。2018.06.13(犬賀 大好-450)

民主主義は極めて効率が悪い!

2018年06月09日 09時40分57秒 | 日々雑感
社会主義あるいは共産主義が資本主義に敗北したのは、人間の自由な発想に基づく自由な経済活動の成功が一番の理由ではないかと思う。この点で、資本主義、自由主義そして民主主義は一体であり、不可分と思われ、1989年冷戦が終了してから、世界的に民主化が進むと信じられた。

そこで、2011年の中東における市民による民主化運動、アラブの春もその現れと思われた。長年にわたる独裁政権が次々に倒れ、市民が政治の主役となる新時代の到来が期待された。

ところが、中東は今、民主化の停滞はもとより、独裁政治の復活や内戦の勃発があり、チュニジア以外の中東の現状は ”春” 以前よりも確実に悪くなっているとのことだ。

そのチュニジアにしても、政体は共和制で大統領制を採用する立憲国家であるが、政治的な混乱は続いているようであり、昔を懐かしがる声もあるとのことだ。

また、シンガポールやカタール、UAE、クウェートなど1人当たりGDPが日本より高い国でも、政治制度は必ずしも民主的ではなく、独裁政治である。経済と民主主義は別物なのだ。

カンボジアのフン・セン首相も、5年ほど前からカラー革命を平和をかき乱す悪事と頻繁に口にするそうだ。カラー革命とは、ウクライナのオレンジ革命、チュニジアのジャスミン革命等、民主化運動の総称とされる。

現在、世界はインターネットの普及により、情報が氾濫し、どんな情報でも世界中にあっという間に広がる。しかし、フェイクニュースの拡散、個人情報の拡散等、負の面も広がっている。IT技術の発展は経済のグローバル化に貢献しているが、一方では個人が勝手に様々な情報を発信し、何が真偽か判断できない混乱状態を招いているのも確かであろう。

そこで国内の混乱を嫌う為政者は情報を制限することが手っ取り早く効果的と判断するのだ。冷戦後、真っ先に破滅すると思われた中国が現在世界第2の経済大国となり、中国式ガバナンスが為政者に魅力的なのだ。その真髄は徹底した言論制限である。

民主主義は、大勢の意見を集約するために時間がかかる等、効率が極めて悪い。この意味で言論制限する独裁者の下では、その意向は上意下達で一方的に素早く伝えることが出来、極めて効率がよい。しかし独裁者は自分の賞味期限を知らないことが最大の欠点となる。

安倍政権下で内閣人事局の設立により、安倍独裁体制が築かれてしまった。各省庁の官僚は日本のためとの思いで入省したのであろうが、やはり人の子で、高級官僚ともなると自分ファーストで上司の意向を忖度し、森友、加計学園問題を引き起こしてしまった。挙句の果て、大阪地検特捜部までも政権の思いを忖度し、関係者を全員不起訴にしてしまった。

日大におけるアメリカンフットボール部における違反事件も、典型的な独裁体制の結果である。独裁体制は短期的には効率よく仕事が捗る。独裁体制は従順に従う大勢の人に支えられる。しかし、反則事件を切っ掛けに世間から非難を浴びて独裁者が躓くと、組織は簡単に崩れる。早急な組織の改編が必要とされるが、それは簡単ではなく、年単位の課題となろう。

森友問題では、安倍首相は国民の納得できるように丁寧に説明すると言いながら、大阪地検の不起訴処分が出てしまい、国民の多くが納得できないまま、幕になりそうだ。独裁体制における組織員はひたすら上に従順で、思考停止に陥っており、この弊害がどのように起きるか想像も出来ないであろう。

ロバスト性とは制御技術の分野で用いられる専門用語であるが、外的要因による変化を内部で阻止する仕組みや性質などを意味する表現である。ロバスト性が高いとは、外乱に対して強いとの意味になる。

独裁体制はある条件下では極めて高効率であるが、ロバスト性は極めて低い。現在、世界の関心事の一つは北朝鮮の非核化問題であり、世界は大きく変化しようとしている。このような世界の変化に官僚諸氏は対応できるであろうか?
2018.06.09(犬賀 大好-449)

ギャンブル事業は絶対つぶれない美味しい仕事!

2018年06月06日 10時31分23秒 | 日々雑感
ギャンブル依存症対策基本法案が、今月25日の衆議院本会議で可決された。日本は、依存症と疑われる人が、成人の36%に当たる約320万人いるとされるギャンブル大国だそうだ。目下最大のギャンブルであるパチンコを筆頭に、競馬、競輪、競艇、宝くじ等があり、そこに更にカジノまで加わる訳で、揺ぎ無き大国となろう。

 ギャンブルは金に余裕のある人が、楽しみの範囲でやる分には何ら問題ないだろう。それが本来の在り方であろうが、一か八かの勝負により労せずして金が入る魔力がある。別の美しい表現をすれば、挑戦し成功すれば無上の達成感が味わえるとの事になろうが、この意味ではギャンブルとチャレンジは似たところがある。

 チャレンジは世の中にまだない新しいもの、便利なものを生み出す、社会に貢献する挑戦性があり、過程においては本人の努力が必要であるが、ギャンブルの対象はあくまでも金であり、結果は他人任せである。結果を他人任せにする点では、信仰と似たところがあり、占いにも通ずる。

 ギャンブルの根本原因は人間の本性に関わり、依存症は人間の能に関わる病気であり、恐らく性欲と同様に、何らかのホルモンが関係しているのだろう。

 ギャンブルは太古の昔からあったとのことだ。古代エジプトの墳墓からは神々がダイスを振っている様子が描かれた陶器が見つかっている。また、中国では司馬遷の「司馬記」にギャンブル狂いの諸侯の話が、日本では「日本書紀」に天武天皇の賭博に関する話が書かれているとのことだ。ギャンブルは文明の発生と共にあり、ギャンブル依存症も同時に発生していると想像され、人間の本質に関わる行為であろる。

 人間を除き、チンパンジーやオランウータン等の知性が高い哺乳類でもギャンブルをしている話を聞いたことがないので、ギャンブルとはかなり高度な知的作業であろう。野生の猿が道具を使う、例えば棒を木の穴に突っ込んで蟻を捕まえる、ことがあるが、それより高度な知的作業なのだ。

 すなわちギャンブルは先を読んで対策を講ずる作業であり、この点で企業の新規分野へのチャレンジも似たところもある。一応、理詰めで利害を考えて進出するかどうか決断するのであろうが、最後はギャンブル的な要素が入り込んでくるだろう。すべてが理詰めで解決できれば、そこにはチャレンジの要素は無くなるからだ。

 ギャンブル依存症には特効薬は無く、入院による教育的集団精神療法が主であるようだ。病院ではギャンブル依存症グループに入って、規律ある生活を送ることにより、徐々に依存症から抜け出す治療法が施されるようだ。抜本的な治療が無いことは性犯罪や麻薬と同じで、再犯率が極めて大きいことにも通ずる。

 現在、国会で議論されてるカジノでは様々な規制がかけられるようであるが、裏を返せば利権の巣窟になる要素が十分だ。実際運営し、儲けが少ないとなれば、規制を緩和することも既に考えられているとの話だ。

 ギャンブル事業は絶対に根絶やしに出来ない、未来永劫存続が保証される事業であり、闇賭博ですら撲滅が出来ない現状である。このギャンブル事業が公認となれば、絶対につぶれることが無く、大して苦労も無く金が稼げ、官僚も天下り先の確保となり、国会にも議員連盟が出来る所以なのだ。まことに情けない話だ。2018.06.06(犬賀 大好-448)

職務に忠実なのはわが身の為!

2018年06月02日 09時28分52秒 | 日々雑感
 最近、日本大学のアメリカンフットボールでの悪質な反則行為の波紋が広がっている。しかし、その加害者の学生が、監督・コーチから強く指示されたからと言って、その行為の前に自分で正常な判断をするべきであったと、反省の弁を記者会見で語った。

 20歳の学生からこのようなまともな意見が発せられ久しぶりに清々しい気持ちになり、日本の将来も捨てたものでは無いと感心する一方、わが身を振り返り肩身を狭くしている大人もさぞかし多いことだろう。

 若い頃の純粋な正義心も、年を重ねるといろいろと柵が出来、自分ひとりの意思ではどうにもならないとの愚痴や言い訳も聞こえてくる。

 さて、官僚の世界では、国家公務員の幹部人事が内閣人事局に一元化されたことで、人事への官邸の影響力が強くなり、官僚は官邸の意向を踏まえなければ何もできない、出世もできない羽目に陥ってしまった。

 入省当時は、国家の為にとの理想に燃えていたのであろうが、官邸の意向に反すれば左遷される現状を見ると、現状を変える努力より、与えられた仕事を無難にこなすだけの方が楽と、現状にすっかり妥協してしまったのであろう。世間の柵にすっかり取り囲まれ、井の中の蛙となり、蛙仲間内の競争で満足しているのだろう。

 官僚は難しい国家試験を突破してきた優秀な人物の筈だ。この優秀な頭脳の持ち主が官邸の意向に従順に従うばかりでなく、それを先回りして過剰に忖度するようになってしまっては頭が良いだけに始末が悪い。その結果が森友学園問題であり、加計学園問題である。

 財務省の高級官僚であった佐川氏は、森友学園に関し国会で首相の指示は一切無かったと首相を擁護し、一時的ではあるがその後国税庁長官にまで昇進した。この佐川氏の姿が、法廷でヒトラーの命令の有無を問われたアイヒマンの姿に重なったとの感想が新聞記事があった。アイヒマンは第2次世界大戦中ユダヤ人の大量虐殺を実行した人物であるが、ヒトラーの意志を法とみなし、これを粛々と、時には率先して遂行していたとのことだ。

 また、先日の新聞記事、”日曜に想う” 欄に同様の記事があった。フランスの元エリート官僚が、第2次世界大戦中に時の政権の非人道的な政策の執行に携わった能吏としての責任を追及されたが、自分としては職務を実行しただけで何も悪いことはしていないと言い訳していたとの話である。

 森友学園問題における佐川氏、加計学園問題における柳瀬氏も時の権力者の意向に沿って職務を忠実に実行しただけで何が悪いと言いたいであろう。自分で良し悪しを判断せず、すべてを上司の意向に沿って盲目的に進めることは、官僚の務めであるかも知れないが、それはあくまでも自分の為であろう。

 アメフトの違反行為を実行した若者のように、ちょっと立ち止まり、何が最善かを考えたとすれば、官僚として別の道があったかも知れない。前川喜平前事務次官のように”あったものを無かったとは言えない”、と官邸に歯向かった気骨ある人物もいる。

 しかし、組織にどっぷり浸かってしまうと何より自身の利己的な出世意欲、金銭欲、見栄等が優先され、”寄らば大樹の陰”となってしまうのであろう。激しい競争を勝ち抜いてきた優秀な人間として、余りにも小市民的過ぎるのが情けない。

 日大のアメフト事件では、違反行為を超えて、大学の運営問題にまで発展している。絶大な権力の元に発生した盲目的に職務を実行してそれで良しとする風潮の蔓延であり、この無責任体質が組織の存続を脅かす結果となる。

 安倍首相が丁寧に説明すると何度も言いながら、1年以上国民の大半が納得出来ないどころか有耶無耶になりそうな現状を見るとき、官僚人事の一元化も考え直さなければならないと思う。昔の制度の欠点であった省庁の絶大な権力集中も、まともな政治家が目を光らせば何とかなる。今の人事の一元化は行き過ぎであった。2018.06.02(犬賀 大好-447)