日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

先送りされる原発ゴミ処理問題

2016年12月10日 09時51分08秒 | 日々雑感
 環境省は11月9日、東京電力福島第1原発事故で生じた除染廃棄物を最長30年間保管する中間貯蔵施設を福島県双葉町と大熊町の両村に本格着工すると発表した。現在、福島県においては、除染に伴い発生した大量の土壌や廃棄物等が仮置場や住宅の敷地内、学校の校庭等に保管されており、福島の復旧・復興に大きな障害となっている。保管開始は来年秋以降と予定されており、当初の計画より2年半以上遅れている。遅れの原因は地元の理解と用地の取得の困難さにあるとのことだ。原発事故からもうすぐ6年、やっとここまでたどり着けた分けだ。

 しかし、あくまで中間貯蔵であり、最終ではない。国は30年後に汚染土の県外搬出を完了するとの法律を作った。しかし、中間貯蔵施設を着工するための方便であることは間違いない。後世の人が何とかしてくれるだろうとの先送り体質丸出しである。

 今でも決められない最終処分場を将来誰がどこに決めることが出来るのであろうか。決めたところでそこに大きな利益を生むわけではないので、誰もやりたがらないに決まっている。日本の少子化が進み、限界集落が無人化するのを待っているのであろうか。しかし、地権者が居なくなるわけではない。恐らくこの中間貯蔵施設がそのまま最終処分場になることだろう。30年も経てば、ゴミ問題も忘れ去られていると期待しているのが見え見えである。

 この施設は、福島県内で出る汚染土のみを保管する。汚染土に関しては、自分の県で出たゴミは、自身の県内で処理するのが基本方針であった筈だが、宮城県など福島県以外の県の施設はどうなっているのであろうか。恐らく宙に浮いたままの状態であろう。比較的放射能レベルの低いゴミですらこの有様であるので、福島第一原発等の廃炉に伴って生ずる高汚染ゴミや核廃棄物は一体どこに保管するつもりであろうか。

 11月30日、日本原子力開発機構は、原発の使用済み燃料再処理工場「東海再処理施設」の廃止に向けた工程を原子力規制委員会に報告した。廃止完了までに70年かかり、当面の10年間に必要な費用は2170億円と見込むそうだ。費用もさることながら、ここでもゴミの保管場所が問題となるはずだ。

 施設内の高放射能個体廃棄物貯蔵庫のプール底には約800個の廃棄物入りのドラム缶が乱雑に積み上げられているとの話だ。未来永劫そこに置けないことは分かっていながら、取り出すことまで考慮していなかったためと説明しているが、将来を考えない、何とも無責任な言動であろうか。

 また、高速炉開発会議は、廃炉が検討されている高速増殖原型炉もんじゅに代わり、より実用化に近い実証炉を国内に建設するなどとする開発方針の骨子を公表した。もんじゅは当然廃炉となり、ゴミ処分が問題となる。新しい実証炉を作ること自体も問題であるが、それ以前にゴミをどう処分するかを明確にしてもらいたいものだ。

 核燃料サイクルは、”もんじゅ”が頓挫しても、死守しなければならない国の方針のようだ。このサイクルは、エネルギー資源に乏しい日本が、貴重なウラン資源をより有効に利用するための夢のサイクルあったはずだ。ここで中止しては、これまでに蓄えたプルトニウムの使い道が無くなり、国際社会への言い訳が出来なくなるからである。

 しかし、この夢のサイクルは同時にゴミを生み出すシステムでもあるはずだが、一体国の担当者はこのゴミ問題をどう考えていたのであろうか。恐らく、将来の不安より、目先の利益を享受することに夢中になっていたのであろう。

 官僚には任期がある。今を乗り切れば、後の問題は後任が何とかするとの無責任体質にすっかり慣れ切っている。一方、学者や研究者は蛸壺を掘って、全体を見ようとしない。問題先送りはこのゴミ問題に限ったことではない。特に、日本経済のプライマリーバランス問題は先送りが当たり前になっている。先送りは先になればなるほど問題解決を困難にすることは、分かり切っているはずだが。2016.12.10(犬賀 大好-293)