日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

基礎研究を続けることの難しさ

2016年12月03日 09時22分37秒 | 日々雑感
 全国にある86の国立大学の40歳未満の若手教員において、5年程度の「任期つき」の雇用が急増し、2016年度は63%にまで達したそうだ。この動き推し進める文科省は、その効用を次のように説明している。大学教員に任期制を導入できるようにすることは、人材交流を一層促進することとなり、教員自身の能力を高め、大学における教育研究の活性化を図る上で、極めて大きな意義を持つものである、と。 

 大学教員の人事については、いったん教員に採用された後は、業績評価がなされないまま、年功序列的な人事が行われるため、教育研究が低調となることが予てより指摘されている。そこで任期制を導入することにより、教員の教育研究が活性化することが期待されるわけであり、一理ある。

 大学において業績評価が難しい訳は、大学における研究テーマは専門ごとに細分化されているため、専門外の人物がその内容を判断出来ない点にある。このため、単に学会発表等の学外発表件数のみで評価する傾向もあり、同じような内容の論文をあちこちの学会で発表して点数を稼ぐ弊害も多々見受けられる。

 確かに、重箱の隅をほじるような研究を長年続ける大学教授がいても、それが理由で罷免されるなぞとの話は聞いたことが無い。その研究が基礎科学に近いほど成果が出難く、研究活動が低調であると外目には映る。

 また、大学の独立法人化以降、特に工学系では企業に利用されない技術は無駄との風潮が強くなり、大学と企業の連携による研究費獲得が推奨されるようになった。このため、結果の出やすいテーマ、短期で結果の出るテーマが選択される傾向が強くなった。本来大学においては、企業における研究より将来を見据えた研究に重きを置くべきであるが、それが困難となっている弊害も出ている。

 さて、国立大学の従来通りの任期無し教員の人件費は国からの運営費交付金に頼っている。国立大学の法人化後、国の厳しい財政状態を背景に運営交付金は約1500億円削減されてしまった。大学は教員の数を減らすことが出来ないため、任期付き教員を増やさざるを得ない状況になっているのだ。

 財務省の財政難と文科省の任期付き教員の推奨が合致し、このような63%と言う高い数値が実現されているのだ。任期付き教員の任期は5年程度であると言っても、5年経てば別の職を求めなければならず、所謂非正規社員と同じ境遇である。

 厚生労働省が昨年12月に発表した2014年の「就業形態調査」によると、民間事業者に勤める労働者のうち非正規社員の占める割合が40.5%に達し、初めて4割の大台を超えたそうだが、若手大学教員においてはそれ以上になっているのだ。今のままでは日本において正社員、正教員となることは益々難しくなるだろう。

 任期付き教員においては、先述のように長い時間がかかる研究への取り組みは困難となっている。今年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅栄誉教授も基礎科学の重要性を指摘しており、現状の大学運営を見る限りにおいては、将来のノーベル賞は到底無理との懸念を示している。

 また、2002年ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊が理事長を務める「平成基礎科学財団」は基礎科学の振興を目的に設立されたが、来年3月で解散すると発表された。財政上の問題とされているが、恐らく民間企業においても存続のための寄付金を出すところが無くなったのであろう。

 基礎科学は資金が必要な上、時間もかかり、いつ成果が出るか分からない効率の悪さが付きまとう。常温核融合、高温超電導など、夢の技術であり、一時期マスコミを賑わしたが、最近影を潜めている。かといって、その実現が不可能と証明された分けではない。相変わらず夢を追いかけている研究者もどこかにいるだろう。

 ”夢は諦めずに追い続ければ必ず適う” と言う人もしばしばマスコミの登場するが、それは適った人の言い草である。中には適わぬ夢を追いかけて人生を無駄にする人も、あるいは気違い扱いされる人もいるだろう。しかし、夢を追いかけないで、夢が適う筈が無いのも真実である。

 文科省は教員の活性化を図りたいようであるが、短期勝負、効率化の方針に将来の日本の科学技術は大丈夫であろうか。2016.12.03(犬賀 大好-291)