森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

寒さに弱いハワイっ子(&私)

2017年01月30日 | 日記


おでん、湯豆腐、水炊き…。

先週から、我が家ではこんな「冬の味覚」をたっぷり楽しんでいます。なぜって、ハワイは最近、気温が低くて。特に早朝は冷え冷え! タオルケット、ブランケット、ハワイアンキルトの3重掛けにしてもまだ寒い! ああ、あったかい布団が欲しいなあ。

こんなことを言うと、「日本の寒さに比べたら、ハワイで何を言ってるの!」とお叱りを受けてしまうのは承知してマス! でも、南国ハワイでは家の中が寒々として、たとえば我が家は床も全てフロアリングで、カーペットもありません。もちろん暖房器具もゼロ。確かに暑い日はこれで最高なのですが、寒い日はちょっと…。靴下を履いても、まだ足元から冷えてくるんですよね~。あったかいスリッパを買おうかな…。

実はハワイにも、暖炉のある家はけっこうあります。山の方とか高地とか。夫はオアフ島中心部のワヒアワ出身ですが、実家には暖炉がありました。きっとマノアあたりの古い家にも、暖炉があるのでは。

…本当は昨日の続きを書こうと思っていましたが、あまり今朝は寒かったので、フと独り言をつぶやいてみました。次回、またお葬式の続きを書きますね。
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伯父のお葬式ーアメリカン編

2017年01月29日 | 日記


昨日は夫の伯父様のお葬式でした。享年89歳。あと3カ月で90歳でしたから、大往生ですね。

こちらでは、お葬式はCerebration of Lifeとよく称されます。「お葬式のお知らせ」ではなく、「人生の祝福のお知らせ」なんて案内が来るわけです。

確かに昨日のように長い人生を全うした方のお葬式は、まさに人生の締めくくりのお祝いという感じで、あまり湿っぽさもありません。親戚縁者が一堂に集まり、会場でお互い、笑顔でハグして、という感じ。パーティのような和やかささえ漂っています。

これが若い方であっても、死を悲しむのではなくその人生を祝福しようじゃないか、という感じに無理にでも明るい雰囲気が醸し出され、出席者が伏し目がちに過ごすという感じでもありません。お国柄かもしれないけれど、私はこれ、けっこう好きというか救われますねえ…。

お国柄といえば、アメリカは退役軍人をそれは大切にする国でもあります。伯父は第二次世界大戦に出征していますが、戦後は職業軍人だったわけではありません。

それでもこういった方の葬式には、アメリカ政府は軍隊から人を派遣して簡単な儀式を行い、敬意を示してくれるのです。

昨日はカネオヘの墓地での埋葬に、陸軍から4人が出席しました。よく映画や写真で、軍関係者のお棺にアメリカの国旗がかけられていますよね? あんな感じで伯父のお棺にも大きな旗がかけられていたのですが、陸軍の方は儀式の際、2人がその角を持って国旗をはためかせ、1人が国旗の後ろでトランペットを演奏。もう1人は敬礼しながらそれを見守っていました。

その後、国旗をきっちりと畳み、遺族に「合衆国のために戦ってくださったことに敬意を表し、この国旗を贈ります」と言いながら手渡してくれました。

それが70年以上前の戦争であっても、こうして旧軍人に敬意を示してくれるのは素晴らしいことですよね。命を張って戦ってくれたのだから、当然かと思います。アメリカ人の、星条旗への敬愛も印象的です。

…いろいろなことを考えさせられた、昨日のお葬式でした。




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番外編 おまけの逸話

2017年01月27日 | 日記


ちょっとだけ昨日の続きを書かせてくださいね。

キプロスから帰って旅行雑誌に体験談を書かせていただいたわけなのですが、それまでの経緯が昨日、すっぽり抜けておりました…。

キプロス旅行の後、私はまだライターとしての仕事もそれほどなく、ヒマにしていました。なのである時、1人で原宿をブラブラしていて、フと占いの館、みたいなところに入ったのです。当時の私は占いが好きだったというか。今は絶対行きませんが(キッパリ)。自分の人生の行く末は全て自分が決めるもの、決まった未来なんてナイことを、今では実感していますからね。

とにかく、そこで会ったのが日本語堪能なアフガニスタン人の占い師さんでした。フリーライターとして独立したばかりということを告げると、「知り合いが旅行雑誌の編集長をしているから、紹介してあげるよ」と、見知らぬ私にとても親切で! 某旅行雑誌の編集長を紹介されたのです。

結論から言うと、私はその旅行雑誌に連載やら何やら、定期的にたくさんお仕事をいただくことになり、ライターとして幸運なスタートを切ることができました。今でもその雑誌には、大変な恩義を感じています。

それもこれも、元はといえばあの時、原宿で出会ったアフガニスタン人の占い師さんのお陰なんですよね…。本当に、縁は奇なもの! あの日、占い師さんに大蛇の皮を身体に巻き付けられ、祈祷された時には、正直、ゾ~ッとしたものですが…。

今日もまた、全くハワイに関係のない番外編になってしまいましたが、読んでくださって有難うございました! 年を取ったせいなのでしょうか、たまに大昔の思い出を語りたくなることがございます…。

次回からまた、ハワイの話に戻ることにしましょうネ。






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番外編 キプロス島の思い出

2017年01月26日 | 日記


日本ではインフルエンザが猛威をふるっているようですが、皆さんはお元気ですか? 日本の親友から生涯初めてインフルエンザにやられたとのメールがあり、私も自身の生まれて初めてのインフルエンザ体験を思い出してしまいました…。

ということで、今日は地中海のキプロス島での思い出を少しシェアさせてください! 

ハイ、私ったらなんとキプロス島に一人で滞在中、インフルエンザにかかり…キプロスの病院に2泊3日、入院したのです。入院したのもその時が初めて。25歳の夏のことでした。

キプロス島は地中海のトルコ、シリア沖に浮かぶ大きな島で、神話・歴史の宝庫でもあります(ハワイみたい?)。ビーナスはキプロスの海の泡から生まれたとされ、島で産まれるワインは紀元前からそれは有名でした。

ローマ時代、この良質のワインのために、かのアンソニーはクレオパトラにキプロス島を贈ったのだそうで。私がワインに開眼したのもキプロス島でのことでした…。とにかく安くて美味なんです! 

ところが滞在中、私は高熱が出て、フラフラになってしまいました。海外旅行保険に入っていたお陰で、保険会社がホテルまでドクターを派遣してくれ、即、入院する羽目に。在パリの保険会社で働く日本女性が電話であれこれ世話をしてくれ、あの時は旅行保険の有難さを痛感しました!

キプロスの海は青く美しく素晴らしかったのですが、急病のために、遺跡巡りがゆっくりできなかったのが心残り。その後に訪れたエジプトもしかり、です。

ですが転んでもただでは起き上がらないのが、日本女性ですよね(え?)。私はこの体験を、某旅行雑誌のカラーページに書かせていただき、それが私の旅行ライターとしてのデビューになりました(それまでは地味というか真面目な記事を多く書くライターでした)。

この記事をきっかけに、楽しい展開もいろいろ。記事中、キプロスワインを絶賛したのですが、それを読んだワインの輸入会社の方から連絡があり、社長さんにランチに招かれたり、キプロス視察旅行に招待されたり(この時は行けませんでしたが)。日本では唯一、京晴という会社が、キプロスワインを輸入しているのです。

キプロス観光局とも縁ができて、キプロスのお偉いさんが来日の際は、パーティに呼ばれたりもしました。

当時の私は、業界紙記者からフリーライターに転向したばかりだったので、こうした不思議な縁で旅行業界と繋がりが深まるのも、大変嬉しいことでした。

何より、日本でも京晴さんから美味しいキプロスワインをダース買いするようになり、白ワイン片手にせっせと原稿を書いていたあの頃…。まさにバブルの真っ最中で、なかなかいい時代ではありました。

…と、今日はハワイではなくキプロス島の思い出を少しさせていただきました。読んでくださってMAHALO!
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ビショップ氏ゆかりの地

2017年01月25日 | 歴史


今日は簡単に昨日の続きを…。パウアヒ王女の夫だったチャールズ・ビショップ氏が創立したファースト・ハワイアン・バンクの本店は、ビショップ通りとキング通りの角にそびえています。

そう、ビショップ夫婦の家があったゆかりの地の道路には、ビショップ氏の名が付けられているんです~。ビショップ通りといえば、ホノルルの誰もが知るダウンタウンの目抜き通りでございます。

下の写真にあるビショップ通りの交差点一帯に、ビショップ夫婦の大きな屋敷&敷地があったそうです。



イオラニ宮殿やカメハメハ大王像のほかにも、ダウンタウンのそこかしこに、歴史が隠れている…というわけですね。
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