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森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

続々・女神ハウメアの木のような? 流木

2024年08月30日 | 神話・伝説


またもしつこく、女神ハウメアの魔法の木の話題です。

この連想ゲーム?の初回に、ハウメアの木の一部だった大きな枝に触れました。浜で魚を惹きつけていたというその枝は、マカレイと名づけられたわけですが…。

マカレイといえば、もう1つ不思議な力を持つことが知られています。ハウメアはマカレイを使って自在に若返り、自分の子孫たちと交わっていたのですよね。つまり、若返りの術に使われていたわけです。

ちなみにダイヤモンドヘッドの裾野には、マカレイビーチパークという公園があります。カピオラニ公園の近くから海に沿って坂を上っていく途中にある、ごく小さな公園なのですが、その名前の由来は不明(というか、私にはわかりません)。

もしかしたらここに不思議なルックスの木でもあるのかとキョロキョロしたのですが、ピンとくるものはありませんでした。その命名の理由、気になるところです。

公園の写真も探してみたものの、見つからなくて…。というわけで冒頭の写真は、ハウメアの化身とされるハウの花です。何度も使いまわし、すみませーん。
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続・女神ハウメアの木のような? 流木

2024年08月24日 | 神話・伝説


前回触れた、女神ハウメアの魔法の木なのですが…。その幹で作られた神像は、最後はオアフ島で崇められていたようです。

強大なマナが宿ったくだんの神像はいつしかオアフ島の首長が譲り受け、その神像を祀るために建てられたのが、今のホノルル港近くにあったパカカ神殿。

今ではダウンタウンの水辺は埋め立てられてはいますが、昔この場所には岬(パカカ岬)があり、岬の突端にオアフ島の神殿の総本山ともいえる大きなパカカ神殿が建っていました。その御神体が、ハウメアの魔法の木の幹で作った神像だったのですね。

神殿は19世紀の宗教改革の際に破壊され名残りはないものの、かつての神殿近くに現在そびえているのがかのアロハタワー。そんなわけで私はアロハタワーを眺めるたび、パカカ神殿とハウメアの魔法の木を思い出してしまうのでした。

…ちなみに以前はアロハタワー最高階の展望台までエレベーターで昇ることができましたが、パンデミック以降は閉ざされたまま。早く解禁にならないかな…。アロハタワー最高階から眺めるホノルル港は、なかなかの美しさでしたからね。
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女神ハウメアの木のような? 流木

2024年08月22日 | 神話・伝説


先日、アラモアナビーチパークを歩いていたら、写真のような流木を見かけました。その日は引き潮だったのでしょうか。岸にこんな大きな木の幹が流れ着いているのは、これまで見かけたことがありません。

そこで思い出したのが、女神ハウメアの神話。以下、ご紹介しましょう。

女神ハウメア(女神ペレの母)は、世にも不思議な木を持っていました。葉は次々に色を変えるし、その大きく美しい花は高らかに唄を歌います。

ハウメアの不思議な木はある夜、暴風雨のためマウイ島の川岸から海に流され、いくつものパーツに分かれて各地に漂着。大きな枝はハワイ島カイルアコナの浜辺へ。枝には魚を引き寄せる魔力があり、枝の周りで魚が飛び跳ねている様子を見て、人々は驚愕。枝は島の酋長にマカレイと名づけられ、神として崇められるようになりました。

そしてもう一つの大きな枝はマウイ島の某所に流れ着いて神像に仕立てられ、さらに大きな幹もまたマウイ島の別ビーチに流れ着き、やはり神像に。その立派な神像には強力なマナがこもり、所有した酋長はみんな幸運に恵まれ、神像の神通力はハワイ中に轟いたとのでした。

…アラモアナの浜辺に流れ着いた木の幹を見て、こんな神話を思い出していた私。連想ゲームのように次々、いろいろな物語も浮かんできたのですが、それはまたの機会にお話しすることに致しましょう。今日はこの辺で失礼しま~す!

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久々にハワイの小人族の碑@カイムキ

2024年08月08日 | 神話・伝説


先日、カイムキに赴いた際、こちらの碑を久しぶりに見かけました。カイムキという地名の由来についての碑です。

カイムキ=カ・イム・キーだそうで、キー(ティーリーフ)で作ったイム(地中の釜戸)との意味になります。ハワイの伝説の小人族、メネフネが造ったものとか。カイムキには、メネフネがたくさんいたのでしょうね!

石碑の周りにはさまざまな植物も植えられていて、以前に比べぐっときれいに整備されていました。石碑をよくよく見てみると、「1972年」の文字が。かれこれ50年以上も前に設置されたものなのですね。



…そういえば今週、インドネシアはフローレス島で、体調1mほどの人類の骨が見つかったとのレポートがありましたっけ。フローレス島はコモドドラゴンで知られるコモド島のお隣。こちらでは、ジャワ原人とほぼ同時代に存在したフローレス原人の骨が過去にも出土しています。

小柄な原人として広く知られるフローレス原人の骨としてはこれまで推定の身長1m6センチのものが最少でしたが、このほど、2013年に発見された一連の骨にさらに小さい原人の骨が含まれていることがわかったのだそうです。

ふだんから私は、メネフネ族の起源に興味津々なのですが…。ハワイアンの祖先は中国の下の方から太平洋を南下し、ポリネシア海域に到達したことがわかっていますから、もしかしてフローレス原人とメネフネ族に何か関係があるのか? ~のようなことを、以前の著書に書きました(2012年発行の「ハワイの不思議なお話」)。

メネフネ族との関りは推測にすぎませんが、なんだか太古のロマンを感じるフローレス原人のニュースではありました。メネフネ万歳!
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鮫の神の祭壇だった聖なる巨岩、ポハク・パアキキ

2024年06月01日 | 神話・伝説


先日、「ビーチに咲く伝説の花2つ」で、オアフ島東海岸のビーチを訪れたことに触れました。

なんだか小出しになってしまって嫌らしいのですが、その時に訪れたのが、今日ご紹介するカウポビーチです。子供連れで賑わう遠浅のビーチで、そこでパウ・オ・ヒイアカやイリマの花が群生しているのを見つけたのでした。

このビーチを訪れた理由は、冒頭の岩の写真を撮るため。ポハク・パアキキと呼ばれる巨岩で、その昔は鮫の神にアヴァ酒を捧げるための祭壇代わりに使われていたとか。そんなあれこれを、今日公開されたアロハストリートの連載コラムに書きましたので、ぜひご覧くださいね。

今回嬉しかったのが、このビーチを訪れた時はかなりの干潮だったので岩の様子がよ~くわかったことです。岩の底の部分まで見えそうだったため、アングルを変えながらジロジロ眺めたわけなのですが、どうしたわけか、私はこの岩から目が離せなくなってしまったのです。



ちょっと物語風にいえば、「岩が何かを語りかけてくるような気がして」という感じでしょうか。

日頃の私は霊的なものを全く感じないのですが、この岩についてはなんだか聖なるマナを感じて、写真を撮る手が止まりませんでした。不思議なことに…。

ポハク・パアキキについては新刊「ハワイカルチャーさんぽ」の中でも触れていますので、そちらも合わせてご覧くださいね。
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