森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

感謝祭準備のボランティア

2015年11月26日 | 日記


Happy Thanks Giving! 今日、アメリカは感謝祭の祭日です。
家族が集って七面鳥をはじめご馳走を食べる日ですが、今年のパーティは我が家ではなく親戚が主催なので楽々。これから、軽くスープやサラダを持って親戚宅に駆けつける予定です。

今週、娘の高校は感謝祭ホリデーで一週間お休みなのですが、娘&友人は月曜&火曜と、ある慈善団体のお手伝いに行っていました。ミールス・オン・ウィールスという、一人暮らしの老人に食事を届けるサービスなのですが、施設は感謝祭ディナーの配達を前に、てんてこ舞いだった様子。娘達が微力ながらお手伝いできて光栄でした。

とはいえ、このボランティアは、高校の社会科の某クラスの一環で行われたものなんです。アメリカではけっこう、学校の授業の一環でボランティアをすることが多いですよね。自分達でボランティア先を探し、ボランティア体験から得たものをレポートなどにまとめるという課題、息子も娘も毎年やっている感じです。

こうやってアメリカ人は、子供の頃からボランティア活動に慣れていくんですね…。とてもいいことだと思います。

皆さんも、今日は家族で楽しい1日をお過ごしください。ハッピー・サンクスギビング!
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雨続きのホノルルです

2015年11月23日 | 日記


信じられないことに、ホノルルは今日でもう4日目のザーザー振りです!

通常なら数時間降ってカラッと晴れたり、午後から晴天で「さっきまでの雨がウソみたい」となることが多いのですが、今回はもう、振りっぱなし。今朝も、朝は止んでいたのでこれから良い天気になるかも? と期待したら、またザーザー振りになりました。

なんでも一昨日の土曜日には3.5センチもの雨が振り、これは同日(11月21日)の記録としては過去最高だそうです。酷暑が続いたと思えばザーザー振りと、今年は本当におかしな天候が続いています。

ということでこれからハワイにいらっしゃる皆さんも、雨具やジャケット、そして長袖のパジャマをどうぞ忘れずに! ホテルの中って、ヒンヤリしていますからネ。
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フラの祭典、メリーモナークのニュースを少し

2015年11月22日 | ハワイアナ


過去にこのブログで「メリーモナークのチケット攻略法」なんて記事を書きました。申し込みスタートの時期が近づいてきたせいか、結構読んでくださっている方が多いようです。

ただその記事は、何年も前に書いたものなので、情報が古いです(恥)。今年は申し込みの時期が大きく変わりますので、注意くださいね!

簡単に言いますと…。毎春行われるメリーモナークのチケット申込用紙の発送は、例年クリスマス後の消印から有効でした。ところが今年は、それが12月1日に変更ですって。つまりいつものようにクリスマス後に送ったのでは、ひどく出遅れるということです。

詳しくはメリーモナーク事務局のサイトで確認くださいね。
年々世界で高まるばかりのフラ人気、来春のメリーモナークのチケットも、競争率は高いですよ~。

(冒頭の写真は、今ワイキキで開催されているインターナショナル・フラ・カンファレンスでの一こまです。フラやクラフトなど各種ワークショップが大々的に行われるこのイベントには、今年もたくさんのフラダンサーが集っていました。オーストラリアからのグループにもお会いしました)
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なんとなく、曇り空

2015年11月20日 | 日記


ああ、ごめんなさい。アッという間に一週間たってしまいました。

今日のホノルルも雨のち曇りですが、先日のパリ襲撃事件以来、なんか心にも…モヤモヤと雲が。まるで9・11同時多発テロの後みたいに、モヤンとしています。これからホリデーシーズンで各地、賑わうはずなのに、余計な心配をしなくてはならないのは、嫌ですねえ。

NYにいる息子のことが心配ですが、ま、息子の大学はNY市ではなく田舎の方なので、過剰に心配しなくていいでしょう。ですが首都ワシントンDCの大学に通う息子の親友、A君の話によれば、ワシントンDCは今、厳戒状態だそうです。イスラム国が、「次のターゲットはワシントンDCだ」なんて発言しましたからね。

A君はジョージタウン大学に通っていますが、大学の寮から教室に入るまでに、何段階ものセキュリティチェックを受けなければいけないそうです。また街全体の機能が停止したような、そんな雰囲気にあるとのこと。

息子の大学ではそんな物々しい雰囲気はありませんが、それでも緊張感が漂っているそうです。

ああ、こういう時こそ、青い空と海を眺めて心を晴らさなければね!

パリで亡くなった方々のご冥福を、心からお祈りします。
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義父@硫黄島の戦い

2015年11月11日 | 歴史


アメリカで今日は、ベテランズデー(退役軍人の日)の祝日。学校もお休みで、静かな休日を過ごしました。

そんなタイミングもあったのでしょう、昨夜はTVで、硫黄島の戦いに関するドキュメンタリーが放映され、主人ともども興味深く観賞しました。

というのも今は亡き義父は、若干17歳で硫黄島の戦いに参加したという人。第二次世界大戦中のアメリカといえども、17歳ではまだ兵役の義務はなかったのですが、自ら志願。若い水兵さんとなったのでした。

義父は、硫黄島での負傷兵を小さな船で病院船に運ぶという、過酷な任務についていたそう。ひどい怪我をした兵士達が呻いたり唸ったりするのを、間近に目にしたそうです。なにせ日米合わせて、27000人が亡くなったという硫黄島の戦いです。文字通り、地獄絵だったのでしょうね…。



そんな義父は、主人によるとあまり戦時中の話をしない人だったそうですが、私には戦争中の話をよくしてくれたような気がします。

たとえばある時、硫黄島の戦いについて聞いた時のこと。ちょうどある本で、硫黄島に赴くアメリカ兵たちはひどく緊張していて、「船のコックの心尽くしの最後の昼食だった鳥の唐揚げにも、ほとんど手をつけなかった」とあったので、「本当ですか?」と聞いてみたのです。

すると、「うん、本当だよ」と義父。「だって僕らは、ステーキが出るって聞いて楽しみにしていたんだ」とニヤリ。そ、そうだったのかあ~! 戦場に赴く緊張感からというより、ステーキを期待していてガックリ、という気持ちから、食が進まなかったのですね。真相を聞いて、大笑いしてしまいました。

…実は昨夜の硫黄島特番について教えてくれたのは、テキサスに住む主人の叔母さまでした。義父の一番下の妹にあたる人なのですが、その叔母が言っていました。「硫黄島は、兄にとってもすごく意味深い場所だったのよ」と。

義父は2011年のアメリカ独立記念日(7月4日)に亡くなったのですが。もっともっと戦争体験について、話を聞いておくのだった! 子供たちのためにも…。

珍しく、今年は「退役軍人の日」らしきことをついて、いろいろ考えた年となりました。
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