森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

クラゲ事件の過去

2012年04月29日 | 日記


どーしょーもない写真を冒頭でお見せしてスミマセン。実はこれ、息子が8年前に、紙を切って貼って作った小冊子? なんです。当時、息子は7歳。そういえば息子は創作意欲に燃えて? その頃、いろいろ書き物をしていました。そのうちの一つを、今日、本棚の整理をしていて見つけました(笑)。2005年5月17日、とご丁寧に日付けも入っていました。

写真の小冊子には「海の生物シリーズ4」と銘打ってあり、ジェリーフィッシュ、つまりクラゲがテーマ。ページをめくっていくうち、私はその内容に笑ったり憤ったり。こんなことが書かれていました。

「クラゲに刺されるのが怖いですか? 僕もクラゲの一種、ポーチギー・マン・オブ・ウォーに刺されたことがあります。このクラゲはこんな風に見えます(挿画入り)」
「ボックス・ジェリーフィッシュは危険なクラゲです。僕のお父さんはボックス・ジェリーフィッシュに刺されたことがあります」
「ポーチギー・マン・オブ・ウォーは長い足を持っていて、刺された直後はわからないかもしれないけれど、後でものすごく痛くなります」

これだけなのですが…。でもそれを読んでわかったのは、夫は昔からボックス・ジェリーフィッシュが危ないのを息子に教えていたこと。…つまり知っていたんですね! しかもすでに昔、刺されたこともあった。私には「ボックス・ジェリーフィッシュがそんなに危険だなんて知らなかった」と言っていたけれど。なのにまたさんざん刺されて、ひどい目に遭っていたのでした。

それにしても、息子がこんなことを8年前に書いていたなんて、なんだか笑ってしまいました…。これはある種の予兆だったのでしょうか? 息子自身もこんなことを書いたのを忘れていましたが、「僕がこれを2005年に書いたのか…妙だな」と苦笑していました。

余談ですが、昨夜、カイムキの日本食レストランのお通しで、それと知らずクラゲの酢の物を食べてしまった夫。アレルギーが出たら大変! と私は慄きましたが、結局何ともありませんでした。クラゲに刺されるのと食べるのとでは違うんですね(当たり前?)。初めて食べたクラゲは、とても美味だったそうです。


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カカアコ沖での出来事

2012年04月28日 | 日記


私がワイキキで豪華なランチを楽しんでいた頃…。ハワイアン夫はカカアコ・ウォーターフロント・パーク前のボディサーフィンの名所、ポイントパニックで、ボディサーフィンを楽しんでいたようです。昨日は波が高かったですからネ。

そんな時、ある事件が起こりました。いえいえ、クラゲの事件ではありません。カカアコ沖でいつもパラセイリングのツアーを催行しているボート、ラッキー・レディ号のエンジンが故障し、10人以上のツアー客&2人のスタッフを乗せたまま、海で往生。折りしもの高波で、岸にぐんぐん押し流されてきたのですって。

ご存知の方もいると思いますが、カカアコ沿いの海は、砂浜ではなくて岸壁なのです。だからそうやって壁に叩きつけられた場合、ボートがひどく破損するのは必至。荒い海では、ボートはコツン、と壁に当たるわけではないですからね。観光客はライフベストを付けていましたが、皆ひきつっていたそう。中でも一番パニックしていたのがキャプテンだったそうです。気が動転して何もできず…。錨を降ろすことも忘れていたようでした。

そこに居合わせた夫は、もう一人のボート・スタッフに頼まれて彼と一緒に、泳ぎながらボートを沖のブイへと引っ張ったのですって。ロープを抱えて全力で泳ぎ、もう一人のサーフィン仲間も加わって、3人で…。なんとかブイにボートのロープを括りつけた時には、足ひれを付けていた両足の甲の部分がひどく擦り切れてしまいました(今日もまだ、生々しく赤く血がにじんでいます)。

その後ようやく、消防艇と消防車がダウンタウンから、そしてライフガードのジェットスキーがワイキキから到着。夫は、「来るのが遅いよ…」とぼやいていました。

とまあ、結果的にはボート&ツアー客には何の被害はなく、一件落着だったわけですが。問題はココです。夫ら3人がボートを引っ張ってブイを目指していたその時。もう1つのパラセイルのツアーボートが、横を通りかかりました。と、そのボートはどうしたと思いますか? 困ったボートを助けてくれた? 

…それが違うんです。ただ素通り。しかも真横を通る時そのボートのキャプテンったら、子供がよくやるように右手で拳銃の形を作り、困っているボートのキャプテン&お客さん一行を一人一人、バキューン! バキューン! と撃つ真似をしていったそうなのです。つまり「死ね~」ってことでしょうか?

「ひどいキャプテンだなあ、あいつ。もしもあのボートが手助けしてくれて、壊れたボートを曳航してくれてたら、ずっと簡単だったのに」。足のひどい擦り傷を家族に見せながら、日頃温厚な夫は大憤慨していました。

…それがどこのツアーのなんというボートかは知りませんが、きっと同じカカアコ沖でパラセイルを行うツアー同士、競合しているのでしょうね。敵・味方というか。それにしても、こんな、レスキュー隊が駆けつけるような場面で、それはないですよねー。

あまり言いたくないことですが、ハワイといえども皆がアロハスピリットを持って共存共栄し、仲良く暮らしているワケではないんですよね。狭い島なだけに、時には日本以上にお互い競争心が剥き出しになり、同業者の足を引っ張ったりも。しかも同じ業界の日本人同士、中国人同士、のように、時に同胞とはさらにいがみ合うことがある気がします(あ、話がよけいな方面に膨らんでしまいました。失礼!)。

長くなりましたが、以上が美しいカカアコの海での昨日の顛末でした。ネガティブな話でごめんなさい~。そしてハワイアン夫、お疲れさま~。



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噂のファイブスター・ビュッフェ

2012年04月27日 | グルメ
今日は花の金曜日(表現が古いですか?)だったので、友人とワイキキで豪華なランチを楽しんできました~。ロイヤル・ハワイアン・センターのファイブスター・インターナショナル・ビュッフェといえば、日本発のとびきりグルメなビュッフェレストラン。3か月前のオープン以来、噂は聞いていたけれど行く機会がなく、今日、友人と3人で初挑戦してきました(気持ち的には勝手に出版祝いの気分)。

感想は…なかなか良いですよ! あのビュッフェ。天ぷらやとんかつ、煮物、茶わん蒸しなど日本食を含め、和・洋・中が少しづつ楽しめます。お寿司もデザートも小さめサイズで食べやすい感じ。超小さなロコモコも並んでいました。しかも何を食べても味が良い。





ですが今日はとにかく混んでいて、ゆっくり料理を選べなかったのが残念でした。オープンと同時に入ったのに、料理のテーブルの周りにはすぐ行列が。後から知ったのですが、今日はたまたま、「秘書の日」だったのです。この日はアメリカでは秘書に感謝する(という)日で、あちこちにグループ客が。レイをかけている人が多かったのも、そんなわけだったのですね。

私も、レストランでは主人の以前の職場の皆さん、そしてロイヤル・ハワイアン・センターのマネージメント事務所の方々(人気ハワイアンバンド、ホオケナのリーダーのマヌ・ボイドさんもその一人)と、2組も知り合いに遭遇。

友人たちと、「今度は○○の日、とかではない空いた日に来ようね」と、リベンジを誓いました。並ばず、自由自在に料理を堪能したいです~。

そんなわけで今回は、ビュッフェ・ラインの写真は撮れませんでしたが、今度こそ! ディナーは$48とそれなりですが、ランチは$19とお得ですヨ。

P.S.先ほどアマゾン・ジャパンをチェックしたら…。我が「ハワイの不思議なお話」が、アメリカ・中南米関連の本のベストセラー3位に入っていました。ヤッタ~!! 皆さま、応援有難うございます! ああ、ランチ、もっと食べればよかったナ…。
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「ハワイの不思議なお話」が到着!

2012年04月25日 | ハワイアナ


お待たせしました~!
新著「ハワイの不思議なお話」が、ようやく文踊社さんから出版されましたヨ。ハワイの私の手元にも到着。世界で初めてのフラ専門誌、フラレアの副編集長であり、この本を担当してくれた橘田さんが、わざわざ日本から運んで来てくれたのです~。MAHALO!

いやあ、中身はともかく、大変ステキなティキの表紙ではないですか? なんかマナがこもっている感じですよね。タイトルともども、とても気に入っています!

日本でも友人がもう本を入手してくれたらしく、嬉しいメールが飛び込んできました…。彼女は高校時代の親友なのですが、「じゅんは後書きにもあるけど、昔からスピリチュアルなことが好きだったよね」なんて書いてくれており、とても嬉しかった…。そうなんです。前著の「ミステリアスハワイ」、この「ハワイの不思議な話」ともに、まさに私が書きたい!と常々思ってきた類のお話の集大成という感じです。どうぞお近くの書店で手に取ってみてくださいね(え? もう売れ切れていましたか? …なんて冗談ですが)。

一応、56の逸話を紹介していますが、皆さんがお好きなのはどの話でしょう。私が自分で気に入っているのは、メネフネの話なのですが。すごく力を入れて書きましたから~。

ともあれ、これからもさらにディープなハワイの探訪に励みますので、どうぞよろしくお願いします!(ペコリ)
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ムームー発祥の地? カイルア・コナ

2012年04月23日 | ハワイアナ


これは昨秋、某航空会社の機内誌にもちらりと書いたことなのですが…。
ハワイの女性の正装であるムームーは、宣教師の女性がハワイアンの女性のために考案したものと言われていますね。そのきっかけとして、後世、2つの全く異なる話が伝わっております。

1つ目は…。裸体に布(木の皮から作られるタパ布ですね)を巻いただけのハワイアン女性を見た宣教師の妻たち。「はしたない!」とおののき、ハワイアン女性にも西洋風のドレスを着せようと決めたのが、ムームーの始まり…という説。もう1つは、ハワイアン自らがドレスを着たがったため、宣教師夫人がムームーを考案した、という説です。宣教師の妻がハワイ島に上陸した際、出迎えた王族グループの一員だったカメハメハ大王の未亡人の一人、カラクアが、生まれて初めてドレスを見て感激。「ステキ~! ああいうの、私も着たい!」と所望したのが、ムームー誕生のきっかけというものです。

今ではより具体性のある、2つめの説が一般的。もちろん体格のよかったハワイアンにタイトフィットなドレスは似合わないため、宣教師夫人がデザインを工夫し、布の切りかえが胸のうえにある、ゆったりシルエットのムームーが誕生したわけですが…。

ともあれ。こういった内容の記事を書いた際、私はカラクアが生まれて初めて西洋のドレスを目撃したその場所を、ハワイ島の某所、としか知りませんでした。ですが先月カイルア・コナを訪れた際、その場所を発見! 「ここがムームー生誕ゆかりの地か~」と、1人で感動してしまいました。

その場所とは、カイルア・コナの端であるカマカホヌ・ベイ。カマカホヌ・ベイ…ってどこ? と思う方も多いでしょうが、キング・カメハメハ・ホテル前に広がる、カメハメハ大王が晩年を過ごしたビーチがそれ。そこには大王が建てたアフエナ・ヘイアウもあって…と聞けば、「ああ、あそこ!」とピンとくる方もいるのでは?

…今回の旅行ではヒロに3泊した後、家族で初めてカイルア・コナに1泊。宿泊先がキング・カメハメハ・ホテルだったのでした(今はマリオットホテルの一員になり、素晴らしくきれいに改装されています)。で、その庭にあった案内書きを読むうち、そのビーチがまさに、ボストンからの初のキリスト教宣教師が上陸した地点であることを知りました…。

時は、カメハメハ大王が死去した翌年の1820年4月4日のこと。その時、何人の宣教師が夫人を伴っていたのかはわかりませんが、ほかの資料により、少なくともトーマス・ホルマン夫人が、その最初のグループに入っていたことはわかっています。そして。トーマス・ホルマン夫人らをビーチで出迎えたカラクアら王族女性が、「まあ、なんて素敵な服かしら~」とうなり、あのムームーがハワイで誕生したというわけですね! う~ん。今回のハワイ島訪問で、まさにムームー生誕の地? に立つことになろうとはつゆ知らず、ムームー一枚持たずにコナを訪れたのは残念でした。次回こそあのビーチを、ムームーを着て歩いてみたい。

今このビーチには前述のホテルのほか、往時そのままに海辺に復元されたカメハメハゆかりのアフエナ・ヘイアウがある程度。ですが以上のような史実を知って佇んでみれば、周りの空気、風景が、なんだか違って見えるから不思議です。いざ、ムームーを着てカマカホヌ・ベイへ! 

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