森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

幸せな1日@イオラニ宮殿

2024年05月25日 | 歴史


昨日はイオラニ宮殿でのご奉仕でした。はい、ドーセントガイドとして、日本語ツアーのご案内をしたのです。

ツアーの定員は20人なのですが、パンデミック以来、満員になることはついぞなくて…。ここ数年、ゲストの数はほぼひと桁だったのですが、昨日は15名が参加。活気がある賑やかなツアーとなりました。

しかももう一つ、嬉しいことが! ふだん私は、ツアー前に軽く自己紹介をします。「ボランティアの森出じゅんです」と…。そのためでしょう、昨日はあるお客様に「『ハワイカルチャーさんぽ』、買いました!」と声をかけていただいたのですよ。

宮殿では7、8年前からボランティアをしていますが、森出さんですか? と声をかけられたのは今回が3回目。実際に本を買ったと言われたのは、昨日が初めてでした。ものすご~く嬉しかったです!

昨日のツアーでは、ほかにもハワイアンキルトを習っているのでリリウオカラニ女王について勉強中だという方や、日本在住の同業者(メディア)の方にもお会いできて、なんだかワクワクする1日となりました。

そんなわけで、月2回といわずもっともっと宮殿にお手伝いに行かなくちゃと感じた、素敵な1日でした。自宅から宮殿までは、徒歩10分ですしね。

(冒頭は、ツアーが始まる宮殿裏側のラナイからパチリと撮った光景です。しょうもない写真でスミマセン)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラカウア王家の紋章@王家の霊廟

2024年05月24日 | 歴史


あれ!? 王家の霊廟について書いていて、こちらの記事を下書きフォルダーから見つけました。2017年10月に書かれたものなのですが、この記事、投稿されていなかったのでしょうか? それとも、なぜか一度公開して、不表示にしてしまったのでしょうか?

…よくわかりませんが、ここに公開しますね。見覚えのある記事だったら、ごめんなさ~い!


このオブジェは一体なんでしょうか…? 

ハイ、実はこれ、王家の霊廟内にあるカラカウア一族の墓所の鍵なのでございます。

カラカウア王朝の地下墓所への入口は、しっかり鉄の門によって閉ざされていまして。その奥に入るには、このドッシリとした鍵が必要なのです。その鍵を管理する、前カフ(管理者)が教えてくれました。鍵の重さは8ポンド(約3.6キロ)。(現在、人が住む)ハワイ主要8島を現しているそうです。

そして8ポンドの鍵を使って鉄の門を開けるには、左に8回、鍵を回さなければなりません。これもやはりハワイ8島を表し、8回、鍵を回すのだそうです。

カウアイ島より西にはさらに多くの無人島がありますが、古来、人が暮らす8島が、ハワイにとっては重い意味を持っているよう。ハワイでは「8」という数字が、何やらマジカルな印として使われているのでした。

ちなみに冒頭の鍵は、ローマ字のKが二つ、組み合わされています。これはカラカウア王の紋章とか。

知れば知るほどディープな、ハワイのお話でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芳香が漂っていた今日の「王家の霊廟」

2024年05月21日 | 歴史


たまたま近くを通りかかったので、今日は久しぶりに「王家の霊廟」を訪れました。

ヌウアヌの丘にある王家の霊廟は、ハワイ王族50人以上が永眠する聖地。敷地を巡っていたら、花の香り強く漂ってきて…。カメハメハ王朝の墓石の前に、たくさんのレイが供えられていたのに気づきました。



王家の霊廟には100回くらい行っていますが、こんなにたくさんのレイが供えられているのを見たのは、5月2日を除いて初めて(レイの祭典、レイデーである5月1日にはカピオラニ公園でレイコンテストが行われ、その出展作は翌日、王家の霊廟に捧げられることになっています)。

しかもフレッシュでまだ真新しいレイだったので、「今日、ここで何かイベントがあったのかな~?」と思い、自宅に戻って調べてみると…。今日はカメハメハ4世&エマ王妃の愛息、アルバート王子の誕生日だったのですね。王子は1858年のこの日、ホノルルで生まれています。

カメハメハ王家にはしばらく子供が生まれていなかったので4世はそれは喜び、アルバート王子を即、跡継ぎに指名。ハワイ王国は喜びに沸いたのですが…。1862年、王子はわずか4歳で亡くなってしまいました(その理由には諸説がありますので、またの機会に!)。

その頃、イオラニ宮殿の前庭にあった旧霊廟はすでに満杯になっていたので、カメハメハ4世&エマ王妃はヌウアヌの丘の王家の土地に新たに霊廟を造り、王子を埋葬することに。そう、アルバート王子の死をきっかけに、現在の王家の霊廟が設けられたのですよね。

…それにしても、墓石の前に捧げられていた夥しいレイを見ると、150年以上前に幼くして亡くなったアルバート王子が今もどれほど愛されているか、よ~く感じられました。王国が倒れてから久しいですが、ハワイ王国と王族の記憶はまだまだ生々しいというか。

ハワイはアメリカであってアメリカではない。そんな特殊な土地柄を、こういう機会にひしひしと感じるハワイ暮らしなのでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラカウア王のスーツ@イオラニ宮殿

2023年01月28日 | 歴史


昨日はイオラニ宮殿でご奉仕でしたー。午前中3時間、2階で(スタッフは)1人ぼっち。ちと寒かったですが、お陰であちこち、じっくり眺めることができました。

下の写真は、2階のカラカウア王の執務室に展示された王の衣装です。服飾の歴史研究ではハワイで第一人者として知られるハワイ島のデザイナー、アイリスさんによって復元されたもので、フリーメイソンの会合に参加時、カラカウア王が身に着けたスーツのレプリカですね。



そう、カラカウア王は友愛結社フリーメイソンのメンバーでした。フリーメイソンでは集まりの際に必ず、石工の作業着の一部だった小さなエプロンをつけることになっているそうで。言ってみれば儀式的なユニフォームのようなものでしょうか? フリーメイソンという団体は元々、中世に石工の互助組合から始まった団体ですからね。

さて2016年に始まったイオラニ宮殿の王族の服飾復刻プロジェクトでは、現在カラカウア王のスーツ2着、カピオラニ王妃のドレス3着、リリウカラニ女王のドレス2着が完成。宮殿のあちこちに展示されています。

このプロジェクトにつき、デザイナーのアイリスさんにインタビューしたことがあるのですが。なんとリリウオカラニ女王とカピオラニ王妃のドレスを作る際には、ビショップ博物館に残っていた2人の実寸を厳密に再現したということでした。

というのもアイリスさんは2009年から、他のプロジェクトのためもあってビショップ博物館で400時間を過ごし、ハワイ王族の服飾をリサーチしてきたのです。

なのでこちらのスーツも恐らく、カラカウア王の実寸に合わせて作られたものなのでしょうね。カラカウア王が1881年に世界を一周した際、カラカウア王の立派な風貌が各地で賞賛されたとの記録が残っていますが、確かに~。背が高くてガッチリとたくましく、威風堂々とした王の様子が、このスーツからも見て取れます。

…写真だけでは身長まではピンときませんが、昨日、宮殿でジロジロ間近にスーツを見てきたお陰で、カラカウアの立体的なご様子が、頭にピシッ! と入ってきた気がします。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(再び)ヘンリー・バーガー氏秘話

2022年11月17日 | 歴史


「アロハ・オエ」を有名にしたヘンリー・バーガー氏について、地元紙からもう一つユニークな逸話をご紹介しますね。なぜドイツからヘンリー・バーガーがハワイにやって来たか…という裏話です。

時は1870年、カメハメハ5世の治世のこと。オーストリア海軍の小型駆逐艦ドナウ号が5、6カ月、修繕のためホノルル港に停泊していました。ドナウ号の軍楽隊はその間毎日、無料コンサートを開催したとか。

やがて船は去って行きましたが、ドナウ号の軍楽隊の演奏を懐かしんだのが、ホノルルの市民たちです。カメハメハ5世は新たにバンドメンバーと指揮者を雇い入れ、ドナウ号のコンサートを再現しようとしましたが、その演奏はドナウ号の軍楽隊にはるかに及びませんでした。

そこで1872年、「ハワイに軍楽隊を作るため指導者を送ってほしい」とカメハメハ5世がドイツにリクエスト。その結果、ヘンリー・バーガーがホノルルにやってきたというわけです。バーガーはまだ28歳の若者でした。

バーガーの指導のもとバンドは見る見るうちに上達し、1883年には「アロハ・オエ」の演奏でコンテストにも優勝したことは、前回書いた通りです。

…ちなみにバーガーは「世界でもトップレベルの音楽をハワイに提供する」という理念とともにハワイにやって来たそう。コンサートでも必ず1曲はクラシックの名曲を紹介したバーガーの音楽の影響は、とても大きかったようです。後年、バーガーは嬉しそうによく言ったそうですよ。

「ハワイアンはポイ作りなどの作業などしながら、よくクラシック音楽やオペラの一節を口笛で吹いていたものだよ」

う~ん、バーガーもすごい人ですが、その音楽を理解しそれほど愛したハワイの人たちも、すごい!

バーガーはそのままハワイに根づき、1929年、ホノルルで死去。享年85歳でした。バーガーがハワイの土を踏んでから、今年でちょうど150年だそうです。

(※注 バーガーはロイヤルハワイアンバンドの指揮者&指導者。そのロイヤルハワイアンバンドは1830年代、カメハメハ3世によって創設されたのですが、コラムではカメハメハ5世が新たにバンドを作ろうとしたかのように書かれていました。恐らくカメハメハ5世は新たなバンド創設というより、新メンバーを雇ったがうまくいかなかったのだろう…という風に私は解釈しています)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする