菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

仇討ちで返す恩?     『花よりもなほ』

2006年10月20日 04時47分25秒 | 映画(公開映画)
『花よりもなほ』を観た。


日本映画の時代を超えた傑作が生まれた。

2006年に発表された『花よりもなほ』のラストシークエンスは見事と言いたい。
公開で、受け入れられなかったことが残念だが、時代に抗う作品の宿命かもしれない。

2006年だからこそ、見事と書いたのは、復讐がこれだけテーマになる時代において、復讐を物語で胸に収めるのと、物語になった実際の復讐を対比させて見せる鮮やかさがるからだ。
2006年、『ミュンヘン』『スピリット』『Vフォーヴェンデッタ』やその一連の作品と並べて見られているからこそ、そのテーマが立ち上がってくる。
ラストでも、復讐への懐疑を突きつける。
それは、忠臣蔵批判(もちろん、そこだけではない)にもなっているから、眉をしかめる方もいるやもしれない。

『忠臣蔵』を捻じ曲げているとはいえ、この映画の軸は、落語話である。
『水戸黄門』はフィクションでも、水戸黄門が諸国漫遊してないのを知っている方はそう多くは無いだろう。
でも、『水戸黄門』あって、初めて、水戸黄門が漫遊していないという話が出来ると思うのだ。
『花よりもなほ』を観た事によって、『忠臣蔵』に興味を持ったときに、初めてそこで、知ればいい。
きっかけでもよいのだ。

おいらは、虚構の寺坂に、史実の寺坂にこそ人間を見た。
虚構だからこそ、仇討ちに入らず、法で裁きを求める大石も観てみたいと思うのだ。
その時、復讐者である寺坂よりも、それを物語として伝えた弱虫の寺坂を称えたいる。(実はその保身を笑ってもいる両面性が素晴らしい)


「あの人は弱虫でいい」は『ハウルの動く城』の中の台詞だった。
でも、世の風潮は風向き一つで、弱虫を踏み潰してしまうから。


仇討ちが連鎖するということから、客観的にはわかっても、自分がその立場にいたらどうなるのか?
復讐を行ってしまうのではないかという意味で、パーソナルな次元にただ持っていくのではなく、正義があるかのような『忠臣蔵』という認められたパブリックな復讐と並べて見せたのはやはり見事だと思う。

復讐で伝えるよりも、何か別のものを伝えられないのか。
剣術ではなく何かを生む行為を。

笑顔で世界を見つめるためには、何が必要か、この映画から、それを教わった。








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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
びっくり武士道! (KAZU)
2006-10-20 19:41:14
やっと伊丹万作に日本映画が追いついたと思ったよ。



国士無双だね?
返信する
仇討流転 (ひし)
2006-10-21 04:31:46
『国士無双』はリメイクも見れてないのですが、『花よりもなほ』は当時であっても、輝いているでしょうな。

もちろん、今だからこそだ、とは思っていますが。
返信する
DNA? (倉田英志)
2006-10-24 00:26:34
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』

 (深作? 鶴屋南北?どっちのイメージでしょう)

で、結局、イエモンが、

仇討ちに参加しない(できない)で

いつの間にか死んでたりすると

なんだかなぁと思ってしまう辺り、

仇討ちというか、悪を懲らしめる感が好きなのかなぁ

と思ってしまいますね。
返信する
 (ひし)
2006-10-24 00:47:17
イエモンは、ある意味、吉良より悪人ですから、参加できないという罰に落ち着いたとも考えられますけどね。



ただ悪といっても、田沼意次や大塩平八郎の例を考えると、こみ入ってくるんですよね。



そこに、毒と生命の関係を思ってしまうんですよね

多くの物語は毒だと思うのです。

ただ、毒は分量で薬にもなるわけで。
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