で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1557回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『アルキメデスの大戦』
巨大戦艦“大和”の建造計画の是非を巡り、海軍内部が二分する中、数学によって、この計画を阻止しようと奔走する天才数学者の奮闘を描く軍事サスペンス。
三田紀房の同名人気コミックスを『ALWAYS 三丁目の夕日』、『永遠の0』の山崎貴監督が実写映画化。
物語。
昭和20(1945)年4月7日、戦艦大和は米軍艦隊の総攻撃を受けていた。
その12年前、1933年。欧米との対立を深め、軍拡路線を進める日本では、海軍では、嶋田繁太郎少将を先鋒とする保守的な “大艦巨砲主義”の推進派と、海軍少将・山本五十六をはじめとする“今後の海戦は航空機が主流になる”と主張する“航空主兵主義”派で、激しく対立していた。
新造戦艦の建造会議で、山本らは空母を提案するが、嶋田らは世界一の戦艦を提案してくる。議長の大角海軍大臣がどちらに惹かれているかは一目瞭然であった。
原作は、三田紀房の漫画『アルキメデスの大戦』
脚本は、山崎貴。
出演。
菅田将暉が、櫂直。
舘ひろしが、山本五十六(海軍少将)。
柄本佑が、田中正二郎(海軍少尉)。
浜辺美波が、尾崎鏡子。
小林克也が、大角岑生(海軍大将/海軍大臣)。
小日向文世が、宇野積蔵(海軍大佐)。
國村隼が、永野修身(海軍大将)。
橋爪功が、嶋田繁太郎(海軍少将)。
田中泯が、平山忠道(造船中将)。
山崎一が、藤岡喜男(造船少将)。
奥野瑛太が、高任久仁彦。
角替和枝が、料亭の女将。
笑福亭鶴瓶が、大里清。
スタッフ。
製作は、市川南。
エグゼクティブプロデューサーは、阿部秀司、山内章弘。
プロデューサーは、佐藤善宏、守屋圭一郎。
ラインプロデューサーは、阿部豪。
プロダクション統括: 佐藤毅
キャスティングは、梅本竜矢。
助監督は、安達耕平。
スクリプターは、阿保知香子。
撮影は、柴崎幸三。
照明は、上田なりゆき。
美術は、上條安里。
装飾は、龍田哲児。
衣裳は、水島愛子。
ヘアメイクは、宮内三千代。
VFXは、山崎貴。
VFXディレクターは、渋谷紀世子。
特機は、奥田悟。
録音は、藤本賢一。
音響効果は、岡瀬晶彦。
編集は、宮島竜治。
カラーグレーダーは、齋藤精二。
音楽は、佐藤直紀。
1933年日本、戦艦大和建造計画阻止に数学で挑む軍事サスペンス。
山崎貴による漫画実写映画化。
VFXは抑えめにミッション準備と対決で見せる。
ド真面目外連演出の原作から三谷幸喜系に転換。数学はそんなに使わない。映画オリジナルでまとめた反戦もの。
架空歴史裏話。
菅田祭りとやや演劇風味の周囲キャストの演技合戦が楽しく、シナリオの緩さや演出の雑さを超えていく。シンプル展開はテンポのためと割り切る。
美の力はCGで。数学の美しさも見たかった。
サンチはセンチでセンチメンタル。
ネタが優先されるのが気になる。
日本式映画の竹。
反戦から現在も続く日本の性質を撃ち抜く。
図る、諮る、測る、量る、計る、謀るで語る呉越も同じ舟。
美しい国の美しい式作。
おまけ。
英語題は、『The Great War of Archimedes』。
上映時間は、130分。
製作国は、日本。
映倫は、G。
キャッチコピーは、「これは、数学で戦争を止めようとした男の物語。戦艦大和VS天才数学者」。
物語の軸をがっつり、そのまま伝えてます。
今年の夏は戦争映画自体がほぼない。
ややネタバレ。
映画『アルキメデスの大戦』の尾行する軍人役を探してもなかなか出てこない。
日本映画の方が細かいキャストリストを探すのが大変。洋画や韓国映画はデータとして細かく出されているのに。
ここら辺にも日本が映画を文化として低く見ている心根が現れてしまっている気がしてならない。
一番の脚色は主人公のキャラ変で原作とは別物になったが、映画単体で上手くまとめている。
ネタバレ。
ただ、当時、戦艦大和は極秘裏に作られていて、地元の人や一部の軍人が知ってるくらいだったはず。
だから、あの時間軸では、すでに、国の象徴として、世界七大戦艦の長門が名を馳せていた。
第二次世界大戦でも航行可能状態で残り、アメリカ軍の原爆実験の標的にされたことからも、最後まで日本の象徴を担っていたと言える。
大和はその後、ニュースで知られた秘密兵器であり、平山の狙いは話された時点で、この物語が中心にした大和建造阻止は最初から失敗していることで、建造の意味も失敗したというい二度の負け、日本の敗北を含めて、三度の負けを方tかのように描いている。
だが、その後の戦後の考え方として、残った名前、イメージ、象徴にはなった。
『宇宙戦艦ヤマト』のヤマトのイメージも影響してるだろうが。
そういった意味では、日本の時代遅れの保守的方法による自惚れと暴走を止める美学の死は負け方を教えるというよりは、桜や武士の滅びの美学を強調したとも言える。
そういう意味では、玉砕やギリギリまで戦って死を負けにしてしまうのは現在にも残っていて、20年以上の経済的交代を粉飾などによって取り黒っている現状を見ても、日本は今も負け方を学べていないと言わざるえない。
大和型戦艦は大和の他に二艦ある、武蔵と信濃。しかし、三番艦“信濃”は対米戦の戦局に合わせて設計変更され航空母艦にされた。
大和は1945年4月7日沈没、武蔵は、1944年10月24日沈没、信濃は、1944年11月29日沈没。
映画オリジナル設定である、櫂の美しいものは計りたがる設定は、思いつきで追加されたので、劇中では全体には通されない。
芸者を計るときには櫂はそれを変な癖だと理解しているのに、長門の上で田中少尉に美しいものを計りたくならないとは変わっていると自分を正当化する。
加えて、芸者の胸を計る時に帯も含めて計っているのが雑。
尾崎鏡子の顔を計っているならば、体も計っていただろうなと思われ、当時なら、裏の意味がなくても、三つと誤解される可能性はあるだろうし、鏡子もその真意を測っていただろう。二人部屋で女が寝ていることもそうだが。
原作では、カミソリの如き鋭さで目的のために嫌いな軍人になった自分との折り合いをつけていく。たた一人で世界と戦う孤高の男。ゆえに仲間や志同じくする者への思いが強い。
大和の再現が圧巻ではある。だが、10年以上前の『パールハーバー』の足元に迫ったぐらい、20年前の『タイタニック』に追いついたぐらい。CG的には機械や爆発は丁寧だが、海とか背景はけっこう抜いている。(『タイタニック』は夜なので、そこらへんはうまくごまかせている)
造型的には『スペースバトルシップ・ヤマト』 のヤマトの方が美しかったと思う。
原作では、さまざまなことに、さすがに二人ではなく、チームで取り組んでいる。映画は一応、秘密裏の作戦と言うことで人数を極限に絞っているようだが、敵と繋がっている企業の娘、一般の会社にも連絡とりまくっているのだからもう少し人うぃれてもよかったのではないかと。
日本映画のこういう知能を競うものは、推測や予備知識があまりうまく使われないのよね。
美しいものは狂気を引き起こすという物語のテーマにはつながるが。
全員が自らが持つものによって暴走していく。
櫂は最後の大和の模型を見て、計りたくなっているのかもしれないが、それを見せない。
細部にキャラは宿る。