菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

つぶやきのまとめ 9/29

2024年09月29日 00時05分54秒 | 映画(公開映画)

『cloud クラウド』もというか、黒沢清のテーマの一つは昔から「他人も家族も自分でさえも分からない」にさらに「世界なんて分かるはずもない」がある。
考えて見れば、『関心領域』も「他人も家族も自分でさえもわからない」を象徴する一本だった。
ただ『オッペンハイマー』はさらに「天才さえ分からない。分からないけど進む」という分からないを突き詰めていた。

 

 

映画は、時代のテーマと向き合う、社会を背負う、という枷をつけられている場合が多い。

 

 

現在の時代のテーマは「自分でさえ分からない」だと、おいらは言っているが、日本では「それでも分かるようにする」という方向性になってしまいがちなのよね。
すごいのは、宮藤官九郎は、『不適切にもほどがある』では「分からないけど、分かろうとしよう」、『新宿野戦病院』では「分からないけど、やることをやる」、『終わりに見た街』では「分からないけど、やらないと終わる」と日本的にガイドしている。

 

 

あれ、「無駄に」って言葉の使い方が変わってきてる?
「無駄にすごい」とか誉め言葉的に。
「普通に」とか「鬼」のような感じに。

 

 

日本人は[卵]が好きだ。
食べるだけでなく、人や形や思想でも。

 

 

 

 

 

 

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