菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

黒と白を混ぜて、灰色にしない。   『インビクタス 負けざる者たち』

2010年02月25日 00時04分32秒 | 映画(公開映画)
 
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第108回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『インビクタス 負けざる者たち』
 

  


 



1994~1995年に起きた南アフリカ共和国のラグビーワールドカップにおける奇蹟の実話を映画化。

ハリウッド大作的感動実話をイーストウッドが撮るとこうなるという堂々たる娯楽映画。

クリント・イーストウッドが盟友モーガン・フリーマンからの依頼で撮った作品。

白人優位政治というか、黒人差別政治というか、あのアパルトヘイトを脱しようとした生きる偉人ネルソン・マンデラと南アフリカ共和国の古き象徴ナショナル・ラグビー・チームを描いている。

映画は、黒人の差別については、実はほとんど描かない。
ほとんど白人側に立って描く。
アパルトヘイトを失い、恐怖を抱いている白人と、鬱憤を抱えた黒人との関係をいかにマンデラが解こうとしたかという視点に立って。
それは、イーストウッドのもっている品格がそうさせていると思われる。
自分の観れるもの、理解の中で、理解を超えた事実を、をきちんとそこに映画として具現させて見せるという映画への理解がなせる業なのだろう。

現実の厳しさを観客の現実を見てきたイメージの力を頼る、映画の映像喚起能力を信じているのだろう。

そのマンデラの人間を理解した達観は、政治力というよりは、人間力ともいえる方法を導き出し方が生まれたのを知るだろう。
それはビジネスであり人間理解であり、リーダーの資質であり、それが政治家という立場のあるべき姿なのかもしれない。


モーガン・フリーマンのマンデラを憑依させたような演技が、演技の持つ力をまざまざと見せつける。

その意味で、観客の目となるマット・デイモンは、抑えた演技で、映画の物語る機能を存分に理解しているのが分かる。
もちろん、その自然さを導き出す演出の妙味を味わうことになる。


画面はデジタル撮影なのか、シャープネスにかけ、ざらついているが、そこには異国のテレビの映像を見るような生生しい感触と受け取ることも出来る。
もちろん、30分近く描かれるワールドカップの再現のためのデジタル撮影かもしれない。だが、物語の意図として機能させるのが映画監督の力なのだ。

画面のレイアウトや、サブプットのとらえ方にぐいぐいと物語に引き込まれる。
おいらは、白人と黒人のボディガードのエピソードが好みです。


いつものクリント・イーストウッド組の面々ならではの魔法がある。
説明では説明しきれない堂々たるクリント・イーストウッドの映画。

ラグビーを知らなくても、まぁ試合の流れは大体分かりますよ。
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