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Monkey-ATAX

北米に生息する伝説の獣人 ビッグフット を追い求め、いろいろ活動しています。

チンパンジーとヒトのDNAの違い

2006-02-04 06:58:39 | 猿系のいろいろ
DNA(上・下)ジェームズ・D・ワトソン  講談社BLUEBACKS

1970年代にメアリー=クレア・キングはDNAハイブリッド形成(ヒトと別種とのハイブリッドDNAの二重らせんの融解温度を比較する。95℃に近いほどDNAの配列は近似する。)という方法でヒトとチンパンジーのDNAの配列の違いを調査した。その結果はたった1%であり、ほとんど同じであることをが判明した。チンパンジーとゴリラのゲノムの違いは約3%なので、チンパンジーはゴリラよりもヒトに近い。

今のところ生化学レベルでわかっているヒトとチンパンジーの具体的な違いはたった二つ。
1.細胞の外側にあるシアル酸はある酵素のはたらきでチンパンジーは変化しているが、ヒトは変化していない。
2.言語に関与する遺伝子FOXP2のタンパク質の715個のアミノ酸がヒトとチンパンジー(というよりも他の調査された哺乳類全て)では2個違う。
2についてはヒトだけが言語を使えることのポイントではないかと考えられているが、1についてはどのように影響があるのかまだわかっていない。

これらより進化にとって重要な変化のほとんどはDNAの中でも遺伝子のスイッチングをつかさどる部分に起こったと考えらている。そうすれば自然はDNAの配列は同じでも、その働きを変えることにより大きくことなる生物を作り出せる。

ケーニッヒスワルト

2006-01-31 22:01:07 | 猿系のいろいろ
北京原人と同類のエレクトゥスであるジャワ原人(別名ピテカントロプス・エレクタス)はマリー・ウジェン・フランソア・トーマス・デュボアにより1891~1892年に当時オランダ領であったインドネシアのジャワ島のトリニールで発見された。この化石はピテカントロプスⅠ、PⅠであるが、PⅡは1937年8月にドイツ生まれのオランダ人フォン・ケーニッヒスワルトにより同じジャワ島のサンギランで発見された。このケーニッヒスワルトこそギガントピテクスの臼歯を1935年に香港の薬問屋で発見した人である。アメリカのUMAビッグフットやヒマラヤのイエティはギガントピテクスの生き残りであるといわれている。残念ながらギガントピテクスの化石はこの臼歯や中国華南の広西(コアンシィ)の洞窟で1955年に発見された下あごなどしかなく、全体象は不明である。
インドネシアには他にもピテカントロプスより進化したソロ人や最近話題になったフロレンシスなど貴重な人類化石が多く発見されている。インドネシアには又人猿オランペテグの伝説もあり、UMAファンにとっても興味深い地である。

The Peking Man is Missing

2006-01-29 10:13:16 | 猿系のいろいろ
北京原人の行方について書かれた本はいろいろあるが、タイトル名の本”邦題:ペキン原人失踪”は作者が失踪当時に北京協和医科大学内の解剖学教室で秘書として働いていたクレア・タシジアンであり、当時の内情や雰囲気をよく伝えていると思われる。
クレア・タシジアンは写真の中央ワイデンライヒの左横にいる白人女性であり、ペキン原人の化石を見た最後の人間の一人である。
本はミステリー調のフィクションであり、化石はアメリカ人によりニューヨークに運ばれるというストーリーであるが、タンジアンはプロの作家ではないのでペキン原人に興味がない人にはあまり勧めない。

北京原人はどこへいった3

2006-01-14 08:46:12 | 猿系のいろいろ
北京原人捜索についての興味深い話としては有名なエンパイアステートレディという謎の女性についてのものがある。

シカゴの資産家クリストファー・ジェイナスは1976年に北京原人の化石発見につながる情報の提供者に15万ドルの懸賞をだした。
この呼びかけに対して「元海兵隊員」夫人と称する女性から連絡が入り、ジェイナスは北京原人らしい骨の入った写真をエンパイアステートビル最上階の展望台で見せられた。
このドキュメンタリーをテレビでみたことがある。写真も放映されたがいろいろな化石にまざり、それらしいものが下側にあった。
北京原人化石の行方の説の一つに輸送中の海兵隊員が盗んだというのもあり、ありえない話ではない。
結局この女性はその後はあらわれず、真偽はわからない。
しかしこの話はミステリー小説のようで、とても興味深い。


北京原人はどこへいった2

2006-01-14 08:22:49 | 猿系のいろいろ
無くなった北京原人の化石骨については今まで多くの捜索がされてきた。しかしいまだに行方はわからない。当時戦時下の不安定な時期であったことが大きな原因であるが、最近の本を読むとワイデンライヒなどの発掘、研究を直接していた人たちと、他の人たちとの間の化石骨に対する思いにはかなり差があったようだ。
ワイデンライヒの上司のヘンリー・ホートン北京協和医学院長や医学院から秦皇島(アメリカ行きの船が出る予定であった港)まで輸送したアメリカ海兵隊のウィリアム・フォーリー軍医中尉も化石骨を守ることにあまり積極的でなかった印象がある。輸送途中のチェックはほとんど無く、いつどこで無くなったのかさえわかっていない。ホートン院長は医学院運営の本業があったし、フォーリー中尉は日米開戦直後であり仕方なかったともいえる。
化石骨をうばったともされる日本軍も化石骨が無くなったことに気づいたのは1942年の8月下旬とされる。医学院を1941年12月に占拠したが化石骨はそこにあるものと思い込み翌年8月まで確認しておらず、あまり積極的とは思えない。
戦後GHQの民間資産管理局CPCのパトリック・タンシィ代将も日本での捜索は1回指令書をだしただけで、その後の対応はほとんど無かったようである。



ペキン原人はどこへいった?その1

2006-01-10 22:38:02 | 猿系のいろいろ
このブログに初めてトラックバックがありました。ペキン原人についての記事があるブログでした。面白い記事でしたのでその方面に興味のあるかたはぜひご覧ください。
今日はこのブログにもあったペキン原人の化石の行方についての投稿です。

1929年12月2日にてデービッドソン・ブラック指揮下の周口店(世界遺産)遺跡で裴文中が最初のペキン原人の頭蓋を発見した。その後1936年11月までに3人分の頭骨が発見された。しかし1937年7月の蘆溝橋事件による日中戦争の勃発で、当時ブラック(1934年3月心臓発作で急死)の後を引き継ぎ、発掘を指揮していたワイデンライヒはニューヨークに逃れた。このとき北京原人の化石を一緒に持っていくことは許可されなかったが、その後のブラックの働きかけで、1941年9月にアメリカに一時的に保管のためもって行くことになった。北京原人の化石が最後に人目に触れたのは、アメリカへの輸送のため、それが箱詰めにされたときだった。化石は厳重に梱包され、木の枠箱2つに納められた。一つは事務机の大きさのもの、もう一つはそれよりやや小さかった。2つの箱は北京協和医学院の経理部長T・ボウエンのオフィスに送られた。ここまでははっきりしているようだが、その後はよくわかっていない。アメリカ海兵隊の兵舎に向かったとか、輸送の途中で日本軍に押収されたとかいろいろな説があるらしいが、いずれにしろ行方知れずとなった。

ホモ・エレクトゥスの厚い頭蓋骨

2006-01-09 08:16:18 | 猿系のいろいろ
チンパンジーのあらっぽい性格について前回投稿したが、人類進化の系統にあるホモ・エレクトゥス(北京原人やジャワ原人など)もかなり好戦的な暮らしをしていたようだ。その証拠として頭蓋骨の厚さが挙げられている。彼らの頭蓋骨の厚さは現代人の約2倍もあり、この厚さは種内戦闘時の鈍器による頭蓋外傷を絶えずこうむっていたヒト科動物にとって必要な保護機能であった。彼らの化石には同種族により損傷を与えられたとされる跡が多く残っている。当時彼らは小集団ごとに暮らし、各集団の間で日常的に闘争が繰り広げられていたと考えられている。

現代人の頭蓋骨が薄くなったのは、彼らに比べて脳が大きいためである。(北京原人約1L、現代人約1.7L)
頭蓋が厚いままだと重くなることと、脳の冷却性が悪くなるためとされる。
半分の厚みになったから、2倍平和的になったわけではないらしい。あまりチンパンジーをどうこう言えるものでもないようだ。

チンパンジーに噛まれた小池栄子

2006-01-07 22:54:33 | 猿系のいろいろ
小池栄子がチンパンジーに頬を噛まれたとのニュースがあった。
チンパンジーはテレビなどでかわいらしいイメージがある。実際陽気で楽しい性格を持つが、感情の起伏が激しく、時にはかなり凶悪な性格を示すことがある。
チンパンジーの研究家ジェーン・グドールなどの本を読むと、R指定になるような話が盛りだくさんである。
同じ類人猿のゴリラ、オランウータンおよびボノボがわりとおとなしく穏やかな性格なのに、チンパンジーは少し違う。
他の群れとの戦争、リンチ、復讐、子殺し、子食いなど例をあげればきりが無い。
又小柄なので弱そうに見えるが、6歳くらいでヒトの大人よりも力は強くなる。成熟するとヒトの2倍くらいの筋力を持つ。素手で戦ったらヒトはチンパンジーには勝てない。
あまり近づきたくはない生き物である。

トゥーマイ

2005-12-26 21:08:44 | 猿系のいろいろ
NHKでトゥーマイの特集番組があった。
トゥーマイ(現地のことばで”生命の希望”の意味)とはあだなで、本名をサヘラントロポス・チャデンシス(”サヘル砂漠から登場したチャドのひと”)という約700万年前のヒトの特徴を持っている頭骨化石である。
従来人類発祥の地とされていた東アフリカから遠く2500kも離れたアフリカ大陸の真ん中、チャド北部のジュラブ砂漠のトロ・メナラでミシェル・ブリュネ(ポワティエ大学)らが2001~02年にかけて発見した。
ほぼ完全な頭骨、下顎骨の破片2点、歯3本など人類化石としては信じられないくらいすばらしい状態であった。
この化石は愛知万博でもレプリカが展示されていた。(残念ながら自分は見れなかった。)
日本では古代人類学に関する報道はあまりされず、出版物も少ないが、今回のNHKの特集はとてもよかった。断片的にした見れなかったトゥーマイの頭骨がいろいろな角度から見れたし、有名なティム・ホワイトも登場していた。
21世紀に入ってからの古代人類学には大きな発見が数多くあり、かつてないHOTな状況にある。今回のような報道がもっとでてくることを期待してやまない。

キングコングについて その4

2005-12-15 21:50:13 | 猿系のいろいろ
駅に巨大なキングコングのポスターが張ってあった。本屋にキングコングの本が何冊もならんでいる。なんか世の中キングコングの宣伝に力が入っている。
キングコングの映画は1933年に最初に公開され、1976年にリメークされた。他にもアニメ化などもされている。”怖くなんかないんだよー♪キングコングは友達さ♪”というアニメのテーマソングを聞いたような記憶がある。
原作者の名前が進化論のダーウィンの盟友であるウォーレスと同じというのも面白い。
1933年のコングは身長15mだったが、1976年のコングは身長20mだった。今回のコングは何mだろうか?まだ詳細は知らない。
1933年のコングはプロポーションが少し本物のゴリラと違い足が長かったが、今回のコングはかなり実際のゴリラに近いような気がする。
映画の中のゴリラは現実のゴリラとはかなり異なる性格を持つ。猿の惑星でもオランウータンは知的な長老、チンパンジーは性格の良い人の理解者となっているのにゴリラは野蛮な軍人として描かれている。しかしこの中で性格的にもっとも激しいのは実はチンパンンジーであり、ゴリラはずっと穏やかで知的な生き物である。