一期一会

日々是好日な身辺雑記

マンダレー最終日

2016年06月23日 | 旅行



20日(月)から滞在したマンダレーも今日23日(木)で最終日となり、午前中で廻れる所という事で
エーヤワディー川をマンダレーから10kmほどボートで行った所のミングォンに行く。
ボートは行きが9:00発、戻りが12:30で決まっており、それに合わせてチェックアウトを2時間遅らしてもらった。
戻ってからシャワーを浴びないとどうにもならない。
本来は別途料金を払っても21:00頃のチェックアウトにしてもらえないか交渉したがダメだった。

ボート乗り場まではホテルに手配してもらったバイクタクシーで向かう。
行きと帰りで3,000チャット。ボート代は往復で5.000チャット。
9:00に出発したボートには15人の乗客がおり、言葉からするとヨーロッパからの人達のようだ。
いづれも男女に関係なく二人連れだ。
ボートは10kmで45分だからその性能は推して知るべしだ。
風を感じてノンビリ乗っているが、陽には焼けそうで、UV50も効かないか。



ミングォンの見所は3ヶ所で、船着場から歩いて10分位の距離内にある。
一番の見所はミングォン・パヤーで、これは世界一の仏塔を作ろうと1790年から工事が始まったが、
王の死亡で中断してしまったが、残っている台座だけでも、途方もない大きさである。
ただ台座なので、表面に小さな祠が有るだけで、見て廻る物はない。



シンピューメェはスメール山に建つスラーマニ・パヤーを模して建てられた白亜の仏塔である。
マンダレー周辺の仏塔や寺院は小高い丘にあるので上るのが少し疲れるが、
頂上は風もあり眺めも良いので救われる。





これに巨大な鐘(ミングォンの鐘)を見て、土産物屋を見て廻っても、
ボートが出るまで1時間もあったので、ミングォンの鐘の巨木の下で休もうと行ったら、
暫くして9人連れ位のインド人家族がやって来た。その一家の主人のような中年男性が(何処から)と尋ねる。
出発時刻までたっぷりあるので、逆質問して話始めたら、いつもの日本と中国の比較文化論になり、
(日本は好きだが中国は・・・)との展開に、お礼を言いつつこちらからも
(ITにおけるインド人の活躍は凄い、MSのCEOもインド人だし)とか、
(理系教育が良いのだろう)とか(息子がムンバイで働いていた事がある等と、
しなくても良い家族の話をしたらより会話は弾み、
テキスタイルの仕事をしていて伊藤忠や兼松とは取引があり、
帝人の堺にある何とかセンターに行った事があると。

その後も(日本人は親切で真面目だが、大きな問題がある)と妙な展開になる。
(営業の人間は少し英語を話すが、技術の人間は話せない)と。
これには(私もそう思う)と苦笑いすると共に、心底納得する。
今回泊まったホテルの若い男女のスタッフはベルボーイも含め流暢に話す。





そのうちに、ビニールシート敷き持参したらしいオカズで昼食が始まり、私にも勧めてくる。
ここで断っては逆に失礼かと思い遠慮なく頂戴する。
最初は2品位軽いものを頂いたが、次に皿に盛ったカレーになり、スプーンがいるかと言うから、
ここは郷に入れば郷に従えと、要らないと言い、右手を使って食べたら半分の人はスプーンを使っていた。

インドからの旅行者がミングォンで持参のランチ?と思い尋ねたら、
マンダレーに住んでいるとの事。この後もインドとパキスタンの教育の違いとか微妙な話も出たが、
出発時間が近づいたので皆さんにお礼を言って別れた。

ホテルに戻ったら14時に近かったので、急ぎシャワーを浴び着替えてチェックアウトをする。
3泊で80ドルとバガンの半額だったが、シャワーの出とその熱さ、
スタッフ心配りとBookingcomの評価ポイントが8.8なのも分かる。



この後、唯一クーラーが効いていて、長時間いれるショッピングセンターに行き時間潰しをした。
最近出来たマンダレーで唯一の近代的なショッピングセンターだが半分位しかオープンしていなく、
ユニクロもあったが、世界で一番小さなショップだろう。
途中全館停電するという得難い体験をした。

只今19:30、このブログをアップしたらタクシーの来る21:00までタイレストランで時間を潰そう。


王都巡り

2016年06月22日 | 旅行



今日22日(水)はバイクタクシーをチャーターしてマンダレー周辺にあるサガイン、インワ、アマラプラの3つの町を廻った。
それぞれマンダレー王朝の前に王都だった所で、民族の戦争の結果で遷都を繰り返したのだろう。
8:30にホテルに迎えに来たドライバーのモモーさんは、昨日バイクによる観光プランを勧めてくれた人で、
英語を話す明るく元気なオッさんだ。





最初に行ったのがマンダレー市街の外れにあるマハムニ・パヤーで、本尊のマハムニ仏は信者が買って貼った金箔で覆われている。
金箔を貼る仏像がある所は女人禁制になっており、女性は柵の外に座り、仏像に向かって祈っている。
文化の違いとは言え、変な慣習だ。
まぁ日本でも土俵には上がれないという慣習はあるが。

次に案内してくれたのが、仏像を作っている工房で、地球の歩き方に載っていない所を案内してくれる。
仏像を作っているのはミャンマーでもここだけらしい。



そして1783〜1860年に王都があったアマラプラへ向かう。
マハーガンダーヨン僧院では1,500人の僧が修行生活をしており、その食事を作る場所へ案内し、
ミャンマー語で書かれたこの日のメニューを説明してくれた。
1日2食で肉も食べるようだ。作っているのは僧侶ではなく、在家の人だ。





10時頃になると、大きな食堂の前に僧侶が整列し、食事を鉢に受け取り食堂に入っていく。
整列した道路脇では観光客が写真を撮る。
立派な身なりの中年男女が、僧侶の鉢の上に真新しい500チャット札を置いていく。
かなりの枚数を置いていた。僧侶は特に頭を下げるわけでもない。
これがミャンマーの在家信者に根ざしている(徳を積む)という行為なのだろう。

次に案内してくれたのが、尼僧が修行する寺院で
ここも食事時だったが、モモーさんによると此処には観光客が来ないとの事。
どうもモモーさんはこの寺でも顔らしく、尼僧の手伝いをしたり、食堂にも案内してくれ、
写真を撮っても良いと言ってくれたりした。
そして仏像のある所も扉を開けて入り、自身も正座しお祈りをしていた。







そしてこの寺にある幾つかの建物は、日本人のヒロコ・カワナミが寄贈した物、との説明だった。
新しい建物で文字が刻んであり、そこには(DR HIROKO KAWANAMI ENGLAND)とあった。
そしてこの人が寄贈した新しい建物が建築中だった。どんな人なのだろうと、
インターネットで検索して分かった事は、この人は(川並宏子)さんで英国のランカスター大学宗教学部専任講師で、
ご自身は上智大学卒業後、ロンドン大学院の博士課程を修了した哲学博士で、
ミャンマーでの尼僧生活を16ヶ月したとの事。多分、同年代なのだろうが優秀な人はいるものだと思った。



そして次が1760年から1764年まで王都があったザガインへ。
ここでは25分位階段を上ったザガインヒルの頂上にあるサンウーポンニャーシン・バヤーへ行く。
ここのテラスから眺める仏塔群や風景が素晴らしい。
下山した後は川縁にあるレストランというか茶屋というような店で昼食。
茶屋風ではあるが、観光客のルートになっているのか、多勢のお客で賑わっていた。

案内されたテーブルの隣には、マハガンダーヨン僧院で見かけた同年代らしき日本人男性二人がいたので
声をかける。昨日ヤンゴンから来て今夜に寝台車でヤンゴンに戻るとの事。
来週までいるらしいがバガン等へは行かず、ヤンゴンでブラブラするとの事。
私はヤンゴンは2日で充分という感じだった。

旅のスタイルは人それぞれで、定年後に行ったバリ島で一週間滞在した海辺の町サヌールで知り合った年輩の男性は、
観光はせずその町でノンビリしていた。その人の知人の男性もそうだったが、私はそこを拠点に出歩いていた。
トルコを旅行した時も地中海のリゾート地にいると何故か落ち着かなくなり、田舎町に行きたくなった。







昼食の後は1364年から1841年まで王都のあったインワへ渡し舟で行く。
モモーさんとは3時間後の4時に待合せする事にした。
インワは見所が点在し歩いて廻れないので、2時間10,000チャットの馬車で廻る事にする。
4ヶ所位廻った中で、バガヤー僧院が一番印象深かった。
チーク製の建物で全体が木彫りの装飾で出来ており、
天井が高く薄暗いお堂は今までの金ピカのお寺とは違い神秘的だった。
お堂の中では少年僧達が勉強していた。

日本人男性二人は入域チケットが必要なこの僧院には入らず、外観を見ながら写真を撮っていた。
椰子の木の田園風景とこの僧院が(ビルマの竪琴)のイメージに近い。



この後ホテルに戻る途中にあるウ・ベイン橋に寄る。
160年前に架けられたというこの木造橋は全長1.2kmあり現在でも使われている。
そして18:00頃にホテルに戻った。1日バイクに乗り太腿と腰が疲れたが、
モモーさんの案内で効率良く廻れたし、一人では行けない所にも行けた。

部屋に入りWifiを繋げたら、日経速報を受信し、鳩山邦男氏の死亡を報じていた。
67歳というあまりに早い死だが、同年代なので明日は我が身かとも思う。







今夜の夕食はタイレストランでのグリーンカレーの予定だったが、向かいの店が地元の人で賑わっていたので入ってみた。
メニューから選ぶのではなく、バイキングの様に出来ているものからチョイスして皿に盛ってもらうシステムで、
説明を聞き何となく理解して注文した一皿とパパイヤジュースに、
スープとキューカンバーがサービス?で付いて3.000チャット(300円)。
これが賑わっているだけあり美味しく、周りを見渡すと色々な料理を食べていた。
地元の人で賑わっているこの(SHAN MA MA)のような店に入らないとミャンマーは分からない。

明日はボートに乗りミングォンに行き、13:00に戻りシャワーを浴びてからチェックアウトする
レイトチェックアウトは了解してもらったが、
それからインレー湖への夜行バスが出発する22:00までどう過ごすかが問題だ。
事前に調べた情報では17時発だったので組んだプランだ。

ここにはスタバもなく、歩けばすぐ汗をかくし、
夕食はタイレストランで20:00頃からビールを飲んで粘るつもりだが、それまでが問題だ。
19:00頃がサンセットだというマンダレーヒルに行く手があるが、
帰りのバイクタクシーが捕まらなかったら大変だ。バスは18:00で終わりだし。

最悪の場合狭いロビーだが此処でiPhoneで音楽を聴き、
iPadで日経電子版を読む手もあるが日中はWifiの繋がりが悪いのだ。
まぁ、あまり考えても仕方ない何とかなるだろう。



旧王宮とマンダレーヒルへ

2016年06月21日 | 旅行



昨夜夕食を取りにホテルオススメのタイレストラン(Thai Minthan)に行ったら、
大阪からの女性二人と再会する。合流し一緒に食事をする。
やはり海外では一人でより、何人かで食事をする方が楽しい。2時間位色んな話をしながら食事をした。
彼女達は今日夕方飛行機でヤンゴンに戻り、明朝帰国の途につくとの事。
やはり仕事をしていると、旅行も超特急にならざるを得ないから大変だ。

今日21日(火)午前中は自転車を借り、旧王宮とシュエナンドー僧院と廻る。
マンダレーは1885年イギリスに占領されるまで王朝があった所で、
京都の様に碁盤目状に町が作られているので、地図を片手に廻れば道に迷う事もない。
ヤンゴンに次ぐ第二の都市だが、それからイメージする様な町の大きさではない。
長い軍政の結果この国の経済的な発展が遅れていたので、現在は発展途上という段階だろう。

ASEAN10ヵ国にはフィリピン、ブルネイ、シンガポール以外の国には、いづれも2度以上行っているが
その印象からカンボジア、ミャンマー、ラオスが経済規模は下にランクされるのだろう。
どちらも軍政、社会主義政権が長かった。



マンダレーの旧王宮は地球の歩き方の地図からすると周囲14km位あり、
一周5kmの皇居と比べてもその広さが分かる。
旧王宮に入る時にパスポートを提示し、10,000チャットを支払う。
現在も軍の施設として利用されているので、観て廻る所に制限がある。
唯、旧王宮の建物群はその壮麗さで、往時の栄華が偲ばれる。



そこから自転車で10分位の所にあるシュエナンドー僧院は木造の僧院で、
その建物全体が手の込んだ彫刻で装飾されている見事なものだ。
そこを出た所でバイクタクシーの運ちゃんに声をかけられた。
ミャンマーではあまり警戒心を持たず、聞くだけ聞こうと思って話をしたら、
マンダレーでの過ごし方になかなか説得力のある提案があったので、その話にのることにした。

バイクタクシーを1日貸切、周辺の歴史のある町インワ、ザガイン、ミングォンを廻ろうというもので、
料金は20,000チャットだ。明日8:30にホテルに迎えに来て貰う事になった。
この3つの内一つには行きたいと思っていたので渡りに船だった。
この後マンダレー最大のゼーヂョーマーケットに寄るが特に目につくものはなく、
(何とか市場)のような卸売り市場のようだった。
因みにショッピングセンターは市内中心部には一軒しかない。



とにかくここマンダレーでは信号と横断歩道がないので大変だ。
自転車もバガンのような田舎の村を走るのとは違い、
車やバイクが鳴らすクラクションの中を進路変更したりするので疲れる。
そこで一旦ホテルに戻り休む事にする。
途中路上マーケットでマンゴーを2個買う。
1個20円で、ナイフが無くても皮を手でむいてがぶりと食べれれば良いと思った。
後は駄菓子屋のような所で買ったサンドウィッチとアイス、コーラでホテルの部屋での昼食を済ませひと休み。

そして3:30頃に、丘全体が寺院になっているマンダレー最大の聖地マンダレーヒルに、
バイクタクシーで行く。

ホテルを出て歩きだすとすぐ声がかかるので、値段交渉。高めに言ってくる値段を、
地球の歩き方を見せ、そこに書かれている1,500チャットで行ってもらう。
標高236mの頂上近くまで来るまで行けるのだが、1,500チャットでは南参道入り口までで、
あとは1時間歩いて頂上にある寺院へ。
歩くのは苦にならないが暑いので喉が乾く。中瓶のミネラルウォーターを買い飲みながら行く。





辿りついた頂上寺院近くには日本人慰霊碑がありお参りをする。
行った町にある日本人慰霊碑には必ずお参りしようと思っている。
ヤンゴンではバスターミナルの近くにあるらしいが、暗かったので止め、
バゴーからの帰りにお参りする事にした。

マンダレーヒルはサンセットを観に人が集まるらしいがサンセットが6:45頃らしく、
その頃にはバスもなくタクシーやバイクだけになるので、6:00頃には下山する。
帰りは参道ではなく山道を歩いて戻るが、地元の人がジョギング姿にペットボトルを持って登ってくる。
ホテルに戻りシャワーを浴びてから8:00頃に昨日の店(Thai Minthan)に行き夕食を取る。
ホテルからはもう一軒ミャンマー料理のレストランを紹介されているが、
こちらが近いのとタイ料理の方が馴染みがあるので、こちらの方に足が向く。
ここ第二の都市マンダレーでも外人観光客の行くようなレストランは少ないのだ。





メニューの中から、昨日の女性が食べていたもので美味しそうだったチキンの挽肉と
インゲンのようなものを炒めた物を食べたがなかなか美味しかった。
中瓶ミネラルとこの一皿で4,100チャット、ワンコインディナーだ。
明日は戻ってくるのが遅いので、またこの店になるが明日はグリーンカレーにしよう。
グリーンカレーが好きで、家でも自分でよく作るのだが、今回の旅で既に3回食べており、
一番美味しかったのが、オールドバガンの(ザ・ムーン・ベジタリアン・レストラン)の、店名通りの野菜だけのグリーンカレーだ。

一人で食べる夕食は20分で終わる。明日は1日バイクの後ろ席にのるが、これはこれで疲れるだろうなぁ。
今日のバイクタクシーの体験からすると、手の掴み所に困るのだ。
オッさんの腰に手を廻すのも変だし、どうなるやら。


バガンからマンダレーへ

2016年06月20日 | 旅行



バガン滞在3日目の昨日はミンナントゥ村に点在する寺院と仏塔を自転車で廻った。
丸々2日間遺跡巡りに充てたので、主な寺院と仏塔を見る事が出来た。
シュエグーヂー寺院やシュエサンド・バヤーから眺めた平原に点在する仏塔も近くで見ると、
大きく立派なものだった。







その中の一つ、11世紀に建てられたスラマニ寺院の壁面にはフレスコ画があり、
撮影禁止ではなかったので仏像と一緒に撮った。
日本の仏像と比べると、神々しさという点で違和感を感じ、殆ど写してないが今回撮ったので載せる。

そして今日20日(月)、9:00発のバスで、最後の王朝があったマンダレーに向かった。
このバスはホテルの女性が取ってくれたもので、出発前に調べたブログや
ミャンマー関連サイトでは6時間になっていたが4時間との事だった。
やはり現地に来て知る情報であり、それがこれからの移動にも関わってくるのだが、
既に事前情報によりホテルを予約しているので、変更出来ない。

8:30にはホテルにピックアップのトラックが迎えに来る。
座席が向かいあう8人乗り位のその車に日本人らしき若い女性二人が乗っていて、
私が乗り込もうとしたら、小さな声で(must be Japanese)と言ってるのが聞こえたが、
(Yes!)と答えるのも変なので、聞こえない振りをした。
バスターミナルに着き、マンダレー行きのバスに乗り換えたら、通路を挟んで隣座席だった。
日本からですかと声をかけられたので、(そうです)と。

通路を挟んでと言っても、普通の乗り合いバスで、近かったのでマンダレーに着くまで色々と話をした。
社会人3年目の大阪の大学時代の友達で、今回は超ハードなスケジュールで明日マンダレーからヤンゴンに飛行機で戻り、
明後日の朝にはクアラルンプール乗り換えで関空に向かうとの事だった。
海外短期留学時の話とかしてくれた。色々行ってるようで、その土地がダブっていた。



二人とも明るく素敵な女性で、クーラーが効き過ぎ長袖の上着を着始め時に、
半袖Tシャツ姿の私に自分のフリースを着ませんかと言ってくれたが、さすがにそれは遠慮した。

このマンダレー行きのバスは普通の乗り合いバスで、道端で手を挙げる人が入れば乗せという具合に、
途中20分の休憩があったが、13時にはマンダレーのバスターミナルに着いた。

そこで、またミニトラック?に乗り換え、それぞれのホテルまで送るというシステムだ。
彼女達が先に降り、そこでお別れしたが、思いがけない(旅は道連れ)で楽しかった。



そしてチェックインしたホテルは、Bookingcomの口コミで選んだ(ホテル8)という
三ッ星ホテルで3泊8,300円という安さだ。
ただフロントの女性も感じが良く、最初の市内観光の説明も的確で分かり安かった。
何故か今までのホテル全てフロントは女性だった。
何より良かったのはWifiがスムーズに繋がる事だ
早速Youtubeであの3曲を聴いた。これで日経電子版も株価も見れる。



シャワーを浴びた後、ぶらり歩きで町散策に出かける。先ずはマンダレー最大のマーケットという
ゼーヂョーマーケットへ行くが今日は休みだった。
そこでまたぶらり歩きを続けるが、とにかく暑い。バガンより緑が無く、
日陰も無いので余計暑く感じるのか。





歩いている途中で、ヤンゴンで良く見かけた豚肉の内臓を串に刺し、茹でている屋台を見つける。
今までは腹を壊すのが怖くて、無難な物しか食べていなかったが、一番の目的のバガン観光も終わり、
カミさんが持たせてくれた抗生物質薬や整腸剤もあるので、トライしてみたらこれが意外にいけた。
豚肉の内臓を屋台でという事に若干の抵抗があったが、良く考えたら日本の焼き鳥(焼きトン)と同じだ。
最初はミックスした皿に盛ったものを食べたが、後は串に刺したものを食べた。
これを辛子味噌につけて食べるのだが、勿論大阪の串揚げのように2度付けは駄目というルールもない。
ニンニクと唐辛子食べ放題、スープ付きで180円、やはりここはアジアだ!
他にはお好み焼きのような物も。



マンゴーも1個70円、明日は買ってきて食べよう。ナイフは借りるか。
これから夕食はフロントの女性に教えてもらったタイ料理の店に行く。その食レポは次回に。





バガン仏教遺跡巡り

2016年06月19日 | 旅行



「ミャンマー 国家と民族」によると、バガンはビルマ族が8〜9世紀頃に移動してきて定住したが、
元はピューガマ(ピュ族の村)と呼ばれていた。
アノーヤター王が登場する11世紀頃までは、バラモン教、ヒンドゥー教、密教など様々な外来宗教が信仰されていた。
精霊信仰、占星術、飲酒や肉食妻帯など戒律が錯乱したアリー僧教団を排除する為に、アノーヤター王が清浄な宗教を求めていた。
下ミャンマーのモン族のタトン王国で、高僧シンアラハンの上座仏教が興隆している事を知り、
タトン王国を攻略し上座仏教僧をバガンに招致した。

国王が上座仏教の教団組織(サンガ)との強力な絆と互恵関係により、
上座仏教を政治的な統合の為の道具として利用した。
王族や財力のある者は寺院や仏塔への寄進を通じた積徳行為で求道した。

以上が「ミャンマー 国家と民族」からのバガン仏教遺跡の成り立ちだ。

仏教施設には、仏塔と僧院という大きな流れが二つあり、仏塔は在家仏教徒の信仰の場で
僧が居住していない。僧院は出家者の修業の場だ。
仏塔をPagoda(英語)、Paya (ビルマ語)と表記するが全く同じである。





そんな背景を頭に入れて、朝食の後7:30に自転車を借りホテルを出発する。
仏塔が集まっているオールドバガンまではメインストリートを真っ直ぐ行くだけ。
この通りは交通量も多くないので、ノンビリと景色を眺めながら自転車を走らせる。
托鉢に出る少年僧と出会う。少年と言っても7、8歳か?。点在する仏塔を見かけるが、
陽の昇りきる前にオールドバガンにと思い、先を急ぐ。



9世紀に作られたというオールドバガンの城壁タラバー門に8:00に着く。
先ずは日本人戦没者慰霊碑のあるダビィニュー僧院に行きお参りをする。
僧院の人が線香をくれたので、お布施として少しばかりの心付けをお渡しする。
何冊か読んだ本で、ビルマ戦線の悲惨さと壮絶さを知り、亡くなった日本人兵士の無念さを想うと、
目頭が熱くなるようだ。
石碑には(平和の礎になられた戦士よ安らかにお眠り下さい)とあったが、
ビルマの地で死んでいった兵士は、馬鹿な侵略戦争に突入した軍上層部の犠牲者だろう。
(アーロン収容所)には、その時の前線の装備は第一次大戦前のような、明治30年式の大砲だったという。
会田雄次が師団は総数2万人に近かったのが、終戦時には3千人足らずなったという。
客観性のない無謀な戦争だ。





この後ダビィニュー寺院、シュエグーヂー寺院や途中にある仏塔や寺院を訪ねる。
オールドバガンは平原で、そこに仏塔が点在するので、何回も地元の人に聞きながら行くのだが丁寧に教えてくれる。
シュエグーヂー寺院の階段を昇り、テラスから眺める仏塔群は素晴らしかった。





仏塔、寺院巡りの途中で入った漆器博物館では展示会が開かれており来場者カードを書いたら、
上品な身なりの中年女性が英語で話しかけてきて、(展示会を見た後に感想を書いてくれないか)と、
(日本人なので上手く英語で書けない)と、物は言いようという返事をしたら、
日本語の話せる若い男性連れてきて、案内させてくれた。
彼は長野県の(なながわ)という町で、漆器の勉強をしたらしく色々説明してくれた。
展示されていた漆器は、細やかな絵付けで素晴らしいものだった。





城壁内を見終えた後に、タラバー門を出た所の店構えの良い(サラバー)というレストランで昼食を取る。
野菜のオイスターソース炒めを食べたら美味しかった。
椎茸、ほうれん草、ミニスイートコーンを生姜と炒めたもので、今まで食べた中で一番美味しく、
デザートとしてスイカをサービスしてくれたのでチップを含めて払ったら喜んでくれた。
バガンに行かれる方にはオススメの店だ。







昼食の後はアーナンダ寺院、シュエサンドバヤーと廻る。この日廻った中で一番良かったにがアーナンダ寺院だ。
1090年に建てられたこの寺院を外回りから眺め、写真を撮っていたら、老人がジェスチャーで
(ここが良い)と立ち位置を指し示し、シャッターポイントを教えてくれる。
その後も(こっち、こっち)とばかり4ヶ所ほど連れていってくれる。
なかには(こう撮ると良い)と、カメラマンのようにアングルまで言ってくれる。
確かに良いアングルだったのでデジカメで撮る。
お礼の意味でいくばくかの心付けを渡したら喜んでくれた。
要求される前に差し上げた方が自分も気持ちが良い。
このさりげないタイミングを会得した。

そんな自転車での仏教遺跡巡りを終え、15:00にホテルに戻った。
Eバイクか自転車で迷ったが自転車で問題なかった。
でも暑く、この日は中型ミネラルウォーター2本、ポカリスエット一缶、マンゴージュースを飲み、
ホテルに戻り直ぐプールに入った。