一期一会

日々是好日な身辺雑記

王都巡り

2016年06月22日 | 旅行



今日22日(水)はバイクタクシーをチャーターしてマンダレー周辺にあるサガイン、インワ、アマラプラの3つの町を廻った。
それぞれマンダレー王朝の前に王都だった所で、民族の戦争の結果で遷都を繰り返したのだろう。
8:30にホテルに迎えに来たドライバーのモモーさんは、昨日バイクによる観光プランを勧めてくれた人で、
英語を話す明るく元気なオッさんだ。





最初に行ったのがマンダレー市街の外れにあるマハムニ・パヤーで、本尊のマハムニ仏は信者が買って貼った金箔で覆われている。
金箔を貼る仏像がある所は女人禁制になっており、女性は柵の外に座り、仏像に向かって祈っている。
文化の違いとは言え、変な慣習だ。
まぁ日本でも土俵には上がれないという慣習はあるが。

次に案内してくれたのが、仏像を作っている工房で、地球の歩き方に載っていない所を案内してくれる。
仏像を作っているのはミャンマーでもここだけらしい。



そして1783〜1860年に王都があったアマラプラへ向かう。
マハーガンダーヨン僧院では1,500人の僧が修行生活をしており、その食事を作る場所へ案内し、
ミャンマー語で書かれたこの日のメニューを説明してくれた。
1日2食で肉も食べるようだ。作っているのは僧侶ではなく、在家の人だ。





10時頃になると、大きな食堂の前に僧侶が整列し、食事を鉢に受け取り食堂に入っていく。
整列した道路脇では観光客が写真を撮る。
立派な身なりの中年男女が、僧侶の鉢の上に真新しい500チャット札を置いていく。
かなりの枚数を置いていた。僧侶は特に頭を下げるわけでもない。
これがミャンマーの在家信者に根ざしている(徳を積む)という行為なのだろう。

次に案内してくれたのが、尼僧が修行する寺院で
ここも食事時だったが、モモーさんによると此処には観光客が来ないとの事。
どうもモモーさんはこの寺でも顔らしく、尼僧の手伝いをしたり、食堂にも案内してくれ、
写真を撮っても良いと言ってくれたりした。
そして仏像のある所も扉を開けて入り、自身も正座しお祈りをしていた。







そしてこの寺にある幾つかの建物は、日本人のヒロコ・カワナミが寄贈した物、との説明だった。
新しい建物で文字が刻んであり、そこには(DR HIROKO KAWANAMI ENGLAND)とあった。
そしてこの人が寄贈した新しい建物が建築中だった。どんな人なのだろうと、
インターネットで検索して分かった事は、この人は(川並宏子)さんで英国のランカスター大学宗教学部専任講師で、
ご自身は上智大学卒業後、ロンドン大学院の博士課程を修了した哲学博士で、
ミャンマーでの尼僧生活を16ヶ月したとの事。多分、同年代なのだろうが優秀な人はいるものだと思った。



そして次が1760年から1764年まで王都があったザガインへ。
ここでは25分位階段を上ったザガインヒルの頂上にあるサンウーポンニャーシン・バヤーへ行く。
ここのテラスから眺める仏塔群や風景が素晴らしい。
下山した後は川縁にあるレストランというか茶屋というような店で昼食。
茶屋風ではあるが、観光客のルートになっているのか、多勢のお客で賑わっていた。

案内されたテーブルの隣には、マハガンダーヨン僧院で見かけた同年代らしき日本人男性二人がいたので
声をかける。昨日ヤンゴンから来て今夜に寝台車でヤンゴンに戻るとの事。
来週までいるらしいがバガン等へは行かず、ヤンゴンでブラブラするとの事。
私はヤンゴンは2日で充分という感じだった。

旅のスタイルは人それぞれで、定年後に行ったバリ島で一週間滞在した海辺の町サヌールで知り合った年輩の男性は、
観光はせずその町でノンビリしていた。その人の知人の男性もそうだったが、私はそこを拠点に出歩いていた。
トルコを旅行した時も地中海のリゾート地にいると何故か落ち着かなくなり、田舎町に行きたくなった。







昼食の後は1364年から1841年まで王都のあったインワへ渡し舟で行く。
モモーさんとは3時間後の4時に待合せする事にした。
インワは見所が点在し歩いて廻れないので、2時間10,000チャットの馬車で廻る事にする。
4ヶ所位廻った中で、バガヤー僧院が一番印象深かった。
チーク製の建物で全体が木彫りの装飾で出来ており、
天井が高く薄暗いお堂は今までの金ピカのお寺とは違い神秘的だった。
お堂の中では少年僧達が勉強していた。

日本人男性二人は入域チケットが必要なこの僧院には入らず、外観を見ながら写真を撮っていた。
椰子の木の田園風景とこの僧院が(ビルマの竪琴)のイメージに近い。



この後ホテルに戻る途中にあるウ・ベイン橋に寄る。
160年前に架けられたというこの木造橋は全長1.2kmあり現在でも使われている。
そして18:00頃にホテルに戻った。1日バイクに乗り太腿と腰が疲れたが、
モモーさんの案内で効率良く廻れたし、一人では行けない所にも行けた。

部屋に入りWifiを繋げたら、日経速報を受信し、鳩山邦男氏の死亡を報じていた。
67歳というあまりに早い死だが、同年代なので明日は我が身かとも思う。







今夜の夕食はタイレストランでのグリーンカレーの予定だったが、向かいの店が地元の人で賑わっていたので入ってみた。
メニューから選ぶのではなく、バイキングの様に出来ているものからチョイスして皿に盛ってもらうシステムで、
説明を聞き何となく理解して注文した一皿とパパイヤジュースに、
スープとキューカンバーがサービス?で付いて3.000チャット(300円)。
これが賑わっているだけあり美味しく、周りを見渡すと色々な料理を食べていた。
地元の人で賑わっているこの(SHAN MA MA)のような店に入らないとミャンマーは分からない。

明日はボートに乗りミングォンに行き、13:00に戻りシャワーを浴びてからチェックアウトする
レイトチェックアウトは了解してもらったが、
それからインレー湖への夜行バスが出発する22:00までどう過ごすかが問題だ。
事前に調べた情報では17時発だったので組んだプランだ。

ここにはスタバもなく、歩けばすぐ汗をかくし、
夕食はタイレストランで20:00頃からビールを飲んで粘るつもりだが、それまでが問題だ。
19:00頃がサンセットだというマンダレーヒルに行く手があるが、
帰りのバイクタクシーが捕まらなかったら大変だ。バスは18:00で終わりだし。

最悪の場合狭いロビーだが此処でiPhoneで音楽を聴き、
iPadで日経電子版を読む手もあるが日中はWifiの繋がりが悪いのだ。
まぁ、あまり考えても仕方ない何とかなるだろう。