今一緒にいる犬たちは、5歳のジーク♂と2歳のモナ♀。
その前はジークと同じケアンテリアのオズ♂。
その前はビーグル犬のリリー♀。
その前もビーグル犬のアイリーン♀。
その前は・・・、前部書くと長いので、あと5匹です。
アイリーンはビーグル犬に多いてんかん発作がありました。
最後は発作が12時間以上続いて、7歳で亡くなりました。
安楽死は否定的でしたが、
あまりにも苦しむ姿を見て安楽死を考えました。
次のリリーは、父と朝の散歩中にバイクにはねられ即死でした。
わたしは仕事で地方に出張中。
父からの電話を聞き、
父が交通事故に遭ったと、嘘をついて家に帰ってきました。
家に着くとリリーはゴミ袋に入っていました。
留守の間のリリーのことは父に任せたのだから、
事故は仕方がないことだ・・・と思っていました。
でも、わたしを見るなり父は、
「いやー、オートバイがすごい勢いでこっちに突っ込んできたんだ。
オレも転んで救急車が来たんだ。大変だったんだ」
父にケガをした様子はありません。
父の心配をするのが普通なのでしょうが、
日ごろから親子関係が悪く、言い訳だけを並べる父に、
「もう、よしてよ!」と、わたし。
ゴミ袋からリリーを出し、ふとんに寝かせ、
その日は一緒に寝ました。
わたしは、ただ、父と一緒に悲しみたかった。
可愛そうだったね・・・と、一緒に泣きたかった。
それだけなのに、それができないことに、
別の悲しみが押し寄せてきました。
アイリーンの死は病気だったから、
自分の責任はないと思っていたのでしょう。
リリーの事故死で、わたしから責められると思っていたのでしょうか。
リリーのことだって、バイクの前方不注意かもしれませんし、
父がリードを緩めて歩いていたかもしれません。
次のオズが亡くなったときは、
父と悲しみを共有するのは止めようと強く思いました。
父の代わりに、オズを愛していたご近所の方や友人たちから、
オズの死を惜しむ言葉をいただき、とても慰められました。
生物の死は、病気にしろ、事故にしろ、
それが犯罪でない限り、運命だと思っています。
これから訪れてくるであろう別れの悲しみ、
だれかと共有できればそれはそれ、できなければひとりで受け止めます。
でも、生きている間の付き合い方で、
悲しみとの向き合い方も違ってくるはずです。