女ひとり、歳をとる。

お金なしの60代、犬2匹と同居中。

プレゼント考。

2021-11-30 21:46:48 | 日記

 

おととい、従姉妹たちとその夫たちの食事会に呼ばれました。

従妹の家で手料理の食事会です。

わたしの誕生月というので、従姉妹たちからはプレゼントをもらいました。

わたしも従姉妹たちにちょっとしたもの、夫たちには日本酒を持っていきました。

わたしのは食事に呼ばれたので手土産的なもので、

全部消耗品なので使えばなくなっていくものです。

従姉妹たちからのプレゼントは、手袋と靴下でした。

家のチェストの中は、手袋も靴下もぎっしりです。

でも、わたしへの心遣いは本当にありがたく思います。

 

数年前わたしは親しい友人たちに、誕生日のプレゼントはやめてほしいと頼みました。

いただくのは小物類がほとんどで、自分の好みにぴったりというわけにはいきません。

もうずいぶん歳なのだから、自分の好きな物に囲まれて過ごしたい。

友人たちには、誕生日には一緒に食事をしてほしいと頼みました。

楽しくおしゃべりしながら、おいしいものを食べて、

一緒の時間を過ごすことは、わたしにとって一番のプレゼントです。

 

プレゼント好きのわたしですが、以前よりその回数はぐっと減って、

友人たちの誕生日プレゼント、バレンタインチョコなどは、

コロナ禍も手伝って2ほど年前からやめました。

友人たちとは友情で繋がっていたいと思っています。

でも、子供や孫たちがいたなら様子も変わってくるのかな・・・。

物より気持ちなんて思うのは、性格というよりも、

わたしが家族のいないおひとりさまだからかもしれません。

 

5年ほど前に、久し振りに会う友人3人にお菓子を持っていきました。

2人はありがとうと受け取ってくれましたが、

1人が「もらう理由が分からないから受け取れない」と、

頑なに拒否されました。

何回か押したり引いたりして、渋々受け取ってくれました・・・。

そのときわたしはとても悲しい気持ちになりましたが、

その人の気持ちは今のわたしの心境に近かったのかも。

今なら、「あっ、そうね」とお菓子を引き戻していたかもしれません。

でも、これからも、渡されたプレゼントは快く受け取るつもりです。

プレゼントに込められた気持ちは大切にしたいと思っています。

 

Kちゃんからの今年と去年2年分のプレゼントいただきました。

ありがとうございます💗

 

 


冷えた日。

2021-11-27 22:21:58 | おいしい

 

きょうは、Kちゃんと北千住の『ビリヤニ食堂』に行ってきました。

11:30開店、わたしたちが着いたのが11:40ごろ。

10席ほどの店内は満席で、順番待ちのリスト表に名前と電話番号を記入。

「席が空きましたらお電話します」

「だいたい30分ぐらいですか」

「それは分からないです」

順番待ちのリスト表の注意書きには、

電話に出なかったときはキャンセル扱いになります、と書いてあったので、

スマホを握りしめて、北風の吹く街をブラブラすることにしました。

まだか、まだかと、スマホを見つめながら待つこと1時間、握ったスマホが震えました。

「pakuさんですか。お席ができましたのでご来店ください」

 

店内は古い住宅を小さな食堂にしてあって、

テーブル席6名、カウンター席4名ありましたが、

コロナの影響なのか、満席にはしてありませんでした。

待たずに食べるには開店と同時に入店するか、

土日を外してウィークディに訪問するのがいいと思います。

 

1時間北風に吹かれていた体はすっかり冷え切って、

今季初めてのダウンコートは着たまま。

わたしはチキンビリヤニ、Kちゃんはほろほろスペアリブのスペシャルプレートを頼みました。

10分ぐらいで出来上がったビリヤニは、見るからにおいしそうです。

ビリヤニの周りの小さな小皿の野菜やカレーが並びます。

「混ぜないで、ひとつずつかけて食べてください」

わたしは混ぜたい派なのですが、ここはご指示に従ってひとつずつかけて食べました。

おいしい、確かに、おいしい、だけれど、パンチが足りない気がする・・・。

シンガポールのインド人街の汚い食堂で食べたビリヤニは、

辛くてパンチがあって、最後の一粒までその勢いが消えなかったです。

これは好みの違いだから、これでいいという人も多いでしょうね。

でも、わたしにはちょっと物足りなかった・・・。

 

きのうからエアコンの暖房を入れ始めました。

電気代を心配して、室温が20度を切るまで我慢していましたが、

暖房を入れるとあったかくて体が楽です。

でも、エアコンの暖房を入れるとあっという間に湿度が下がりました。

今まで60%ぐらいはあったのに、40%ぐらいに。

加湿器も出さなきゃだな・・・。

きょうはホントに冷えたので、温かくして休みたいと思います。

 

向こう側がスペシャルプレート¥1,850、手前がチキンビリヤニ¥1,350。

 

 


かわいい認知症になれるでしょうか。

2021-11-22 21:24:42 | 映画

 

先週『フォーリング 50年間の思い出』を観ました。

ウィルスは認知症になって、田舎の農場のひとり暮らしはできないと、

息子のジョンと娘のサラの家の近くの施設探しのために、

ジョンとジョンの家族の住む家に向かっていました。

途中、飛行機の中では訳が分からなくなって大声を出したり、

トイレの出入り方が分からずにと騒ぎを起こします。

やっと着いたと思ったら、機内に忘れ物をしたとウイルス。

忘れ物を持って戻ったジョン、でも、ウィルスの姿はありませんでした。

 

どうにか自宅で合流できましたが、

そこからは執拗と思えるウィルスの言葉の攻撃が始まりました。

認知症だからなのか、元々の性格なのか・・・。

50年前のウィルス一家の様子が、現在のジョン一家の様子と交互に現れます。

若いころのウィルスは妻や子供たちにはやさしくありませんでした。

ジョンの誕生日会では、たくさん集まっている友だちやその母親たちの前で、

「これはオレの家だ。好きなようにする」と言って出て行ってしまいます。

いつも泣いている妻のハンナ、やがて、ジョンとサラを連れて家を出ます。

 

ウィルスが口にするのは、下品で卑しい下半身の話。

同性愛でパートナーと結婚しているジョンに対しても、あからさまな性差別。

サラと子供たちが来て庭で一緒に食事をしますが、

その席でもウィルスの態度はますますひどくなるばかりで、

いつも周りの人や別れた2人の妻たちの悪口が続きます。

 

わたしの父は認知症になる前から、頑固で、家族にやさしくありませんでした。

母はとくに何度も何度も殴られていましたし、

店の借金のために銀行や親せきに出向くときは、全部母に押し付ける。

父は自分の気持ちのうっぷん晴らしをしていて、

家族を大切に守るという気持ちはなかったと思います。

認知症になってからの父とわたしは毎日怒鳴り合いでした。

わたしはそんな父との確執をまだ消化できていません。

亡くなって7年も経つというのに、思い出すと腹が立ってきます。

 

映画の紹介では、

認知症を抱える父との再会をきっかけに辿る50年間の記憶、

言葉にできなかった想いを確かめ合う親子の物語。

とありますが、わたしにはあまりそれは感じられませんでした。

若いときから思いやりに欠けた人だから、

認知症になってさらにその性格がひどくなったとしか思えません。

わたしの父がそうでしたから、余計にそう感じてしまいます。

 

主演のジョンを演じたヴィゴ・モーテンセンは、

初監督、そして脚本、制作、音楽を担い、

アメリカでは次のクリント・イーストウッドとも言われています。

画面の美しさ、音楽の美しさ、脚本の緻密さ、

観てよかったという充足感がある映画でした。

それにしても認知症のウィルス役のランス・ヘンリクセンはすごかった。

エイリアンのアンドロイドの知的な感じはまったく感じず、

ただ、ただ、イヤなじいさんに徹していました。

お見事でした!

 

ポスター画像

 

 


思い出回路の活性化。

2021-11-18 23:32:55 | 老化現象・老後準備

 

きょうは2年ぶりに友人たちと会いました。

いつもなら1年に2、3回一緒にランチしていましたが、

コロナ禍でなかなかタイミングが合いませんでした。

友人たちは一番最初に勤めた会社の同期です。

その同期会は7、8年前までなんとなく続いていましたが、

ここ数年は沿線が同じ3人で会うようになりました。

21、22歳のころ、海やスキーや飲み会、その他の催しで、

いつもワイワイガヤガヤと一緒に行動していました。

わたしとNさんのそのころの記憶は曖昧ですが、

記憶力のいいFちゃんのおかげで、思い出が次々によみがえってきました。

 

「〇〇さんと△△さんが廊下ですれ違ったとき、ふたりが目で挨拶するのを見たんだ。

ふたりは他の人には分からないと思ってたと思うけど、社内恋愛って分かっちゃうよね」

「うちの課の◇◇さんが△△さんと付き合ってて、

結婚のことを親に話すって聞いてたから、〇〇さんと結婚したときはびっくりしたわ」

「△△さんが◇◇さんに電話して、今だれといると思うって聞いたんだって。

それで、〇〇さんといるのって言ったって! それpakuさんから聞いたよ」

「それってひどいよね。でも、そのこと覚えてないわ

「△△さんってとってもきれいだったよね。今でも充分通用するぐらいだし、

なんとも言えない色気があったよね」

「あの当時髪をあんなに明るく染めてる人って社内にはいなかったわ」

「だから、うちの課では、夜の銀ぎつねって呼んでた」

「あ~、それで銀ぎつねだったのね」

 

怖かった先輩たちのこと、社内のダンスパーティーでドレスを新調したこと、

コピーとお茶くみは仕事の一部だったこと、女性社員の立場がとても低かったこと、

45年も前のことをきのうのことのように思い出して、頭も気持ちも少し熱くなりました。

歳を重ねていくと昔の日常は忘れてしまう、そう思いがちですが、

記憶力のいい友人のことば、古い写真や手紙などの、

ちょっとしたきっかけで古い記憶は現れる。

あれやこれやと思い出して、思い出の回路が活性化するのだと思います。

高齢者にとって思い出話をすることは、

ただ昔を懐かしむというの感情だけではなくて、使っていなかった頭の神経を使い、

少しだけかもしれないけれど、老化防止になるのではないでしょうか。

 

自分や他人の老化ばかりを気にしていましたが、元気だったころの自分を思い出して、

少し若返るようで頭も気持ちもすっきりした感じがしました。

また、古い友人たちと昔話がしたいです。

 

クリスマス気分が盛り上がる夕暮れのホテル前。

たくさんの人が写真を撮っていました。

 

 


老化の年ごろ。

2021-11-15 21:36:01 | 老化現象・老後準備

 

先日、出かけたついでに従兄の家に寄ってきました。

伯母が施設に入っていたときは1ヶ月に1度、従兄の車に同乗させてもらい、

施設に着く前に昼食をしながらお互いの近況報告などしていましたが、

去年からのコロナ禍で伯母との面会はできなくなりました。

そして今年の2月に伯母が亡くなると、従兄からの電話は減り、

わたしも特に用もないので連絡をしていませんでした。

 

近くに来たから寄りたいと、突然電話をすると、おいで、おいでの返事。

お土産を渡して家に上がると、

片付けが得意ではない従兄嫁、台所も居間も散らかりっぱなし。

ま、わたしも人のことは言えないけれど・・・。

従兄夫婦の住まいは4階建ての3・4階、1階と2階はアパートになっています。

4階には独身の息子が2人、その衣食住のほとんどが親がかり。

従兄は腰が悪く手術をしましたが、リハビリはせず、

伯母の施設に行くことがなくなった今は、ほとんど部屋から出ないようです。

お嫁さんだけでも買い物のついでにランチでもしようと誘いましたが、

従兄や息子たちのことが気になるので無理だと言われました。

家にこもってばかりではいろいろな刺激が少なくて、

老化が進むばかりだと思うのですが、外出の無理強いはできません。

 

きょう、Oさんから誕生日カードが届きました。

誕生日カードといっても、Happy birthdayと書かれた沖縄のポストカード。

Oさんにしてはやっつけ仕事です。

いつもは手作りのbirthdaycardが届いていました。

いただいておいて文句を言うのではなくて、Oさんの老化を感じてしまったのです。

なにより、わたしの住所の地番が全然違っていたのです。

10日の消印でしたが、郵便局で探してくれたのでしょう。

住所の下に鉛筆書きで正しい地番が書かれていました。

友人や仕事仲間の多いOさん、その住所録は大切にしていました。

以前なら住所を間違えることなどありませんでした。

 

3週間前ほど前にもOさんからレターパックが届きました。

今まで撮りためたものをフォトブックにしたようです。

その出来はさておき、レターパックの宛名に書かれた電話番号は、

わたしの固定電話でも携帯電話でもありませんでした。

住所や電話番号は緊急時には必要なものです。

多分、わたし以外の連絡網にもほころびが生じているかもしれません。

でも、Oさんは85歳、歳をとるということは、そういうことなのだと感じています。

 

わたしも意欲や好奇心は少なくなって、体のいろいろな所に不調も出ています。

出かけることが億劫になったり、自分では万全と思っていても、

抜けていたり、間違っていたり、若いころとは違っていく自分。

だれにでもやって来る心身と頭の老化。

最近の身近な人たちの様子を見て、

できるだけ緩やかに歳をとっていきたいと願うわたしです。

 

  

おととい、豊洲にある『teamLab★planets』へ行ってきました。

テーマごとのいくつもの新感覚の世界が続きます。20代の人たちが多かったです。

新感覚に触れて、わたしの細胞も少し活性化したような感じになりました。