女ひとり、歳をとる。

お金なしの60代、犬2匹と同居中。

耳が遠くなったら。

2018-02-28 22:51:43 | 老化現象・老後準備

NHKの『あさイチ』が好きでよく観ています。

先日は「私の耳 遠くなってるの?」がテーマでした。

耳が遠くなるのは、音を伝えるための有毛細胞の毛が、

老化のために抜けてしまい音が聞こえづらくなるそうです。

抜けた毛はもう生えてこないため、落ちた聴力は回復しないらしいのです。

 

わたしもずいぶん前から少し聞こえづらくなっています。

音が聞こえる方向がわかりづらい、

若い人たちが数人でしゃべっているのに

何を言っているのかよくわからない・・・、

でも、まだ、日常生活にはそんなに不便はありません。

 

友人のKちゃんは40歳ごろから聞こえづらくなりました。

そのころの健康診断での聴力は60代という結果。

Kちゃんもわたしもダイビングをしていましたから、

外耳に海水が入るためダメージを受けたからだと思っていました。

ダイバーだから耳が遠くなるのは仕方がないのだ・・・と。

Kちゃんの耳はともかく、

わたしの耳は老化による初期の難聴かもしれません。

 

『あさイチ』では補聴器の買い方もやっていました。

①難聴が進行したら耳鼻科で受診・聞こえの測定

②認定補聴器専門店で相談、(認定補聴器技能者がいる店舗が望ましい)

③作った後も自分用に調整のため、購入した店に通い調整を数回続ける

認定補聴器技能者は全国に4,500人ほどいるそうです。

日本補聴器技能者協会、日本補聴器工業会などの

団体のホームページに詳細が載っています。

いつか補聴器を作るときには参考にしたいと思います。


最近のテレビが面白くなくて、

音楽をかけていることが多くなりました。

わたしは音楽があると落ち着きます。

どのアーティストが好きとかそういうのはなくて、

そのときの気分で聴いています。

美しい音楽はホントに素晴らしい。

もう少し聞こえづらくなったらちょっと寂しいな。


お正月にKちゃんが遊びに来たとき、

犬たちの散歩へ行こうとしました。

Kちゃんの「お散歩行くよ!」の声に無反応な犬たち。

わたしの「おちゃんぽ行くよ!」の、いつもの掛け声に大騒ぎな犬たち。

我が家の犬たちの聴力はまだ大丈夫のようです。



 


訃報、どう書きますか?

2018-02-27 23:21:28 | 老化現象・老後準備

『あなたの旅立ち、綴ります』を観ました。

仕事で成功をおさめ、何不自由なく暮らしているハリエット。

何不自由なくといってもそれはお金のことです。

庭師の木の揃え方が気に入らない、

メイドのオレンジの切り方が気に入らない、

結局自分で何もかもやってしまいます。

 

80代に入り不安や孤独が忍び寄ってきます。

ある晩、睡眠薬とワインを一度に飲んで病院へ運ばれますが、

一命を取り留めたものの心は晴れません。

退院してもまた不安がよぎり、睡眠薬とワインを手にします。

そのとき目にした新聞の訃報欄。

いい人だった、思いやりのある人だった・・・、故人を褒める文字。

 

ハリエットはすぐにその新聞社に出向き、

担当記者のアンに自分の訃報原稿を依頼します。

アンはハリエットの元夫や知人に取材を始めますが、

だれひとりとしてハリエットを褒める人はいません。

ハリエットとアンはぶつかり合いながら、

しかし、やがてお互いを理解し合うようになります。

 

アメリカの訃報についてはよく知りませんが、

 映画の中のように故人を称えるようなものより、

日本と同じように故人の氏名、年齢、葬儀の詳細が

書かれているものが多いようです。


日本でも新聞に死亡広告があります。

町内会の掲示板に貼ってあるものもよく見かけます。

あとは年末にくる喪中のお知らせ。


ずいぶん前ですが、

お父様を亡くされた知り合いから喪中の案内が来ました。

ゴルフのスイングをしているお父様の写真の上に、

お父様のお人柄の文章が載せてありました。

親子関係がとてもよかったのだなと、うらやましく思いました。

 

妹が亡くなったとき、

喪中案内に落語好きだったことを書こうと思いましたが、

「とんでもねぇよ!」と父から怒鳴られ止めました。

 もう喪中の案内を出さなければならない家族はいませんが、

もし家族ができてそのときが来たら、

今度こそ温かくやさしい言葉で、訃報をお知らせしたいと思っています。

 


 


記憶は埋もれてしまうのか?

2018-02-26 22:33:59 | 老化現象・老後準備

きのう友人のKちゃんから電話がありました。

「ねぇ、去年Mちゃんの家に行ったのって、

いつだっけ? 手帳に書いてないんだよね」(Kちゃん)

「ちょっと待って、わたしのスケジュール帳見てみるから・・・。

あれ? 私のにも書いてないよ」(わたし)

「去年は行かなかったんだっけ?」(Kちゃん)

「いや、行ったよ。リフォーム後の家を見たじゃないの」(わたし)


毎年3月にMちゃんが鴨鍋の会を開いてくれています。

でも、去年はお家を全面リフォームをしたので、

3月ではなく4月にしていたのです。

60過ぎた女ふたりが、

そのことを思い出すまでにしばらく時間がかかりました。

 

ここ数年、

いろんな出来事が去年の事だったのか、

一昨年の事だったのか、はたまた5年前の事だったのか、

ほとんど思い出せなくなりました。

独身で毎年同じようなことを繰り返して暮らしていますから、

思い出すきっかけがありません。


会社を辞めた5年前から、

スケジュール帳にいろいろ書くことにしました。

他の人なら普通にやっていたことでしょうが、

とにかくズボラなわたしは、

手帳を使うのは最初の1ヶ月だけ、

あとは白紙の11ヶ月。

でも、思い出せないことが多すぎて、

いずれ困ったことになる前にと、

スケジュール帳を真剣に活用するようになりました。


先日亡くなった友人のお母様のお香典を送ろうと、

不祝儀袋や現金を準備しました。

友人関係には5,000円と決めていましたが、

あれっ?父が亡くなったとき、

友だちとお母様から別々にいただいたような気がして、

そのときのページを開いてみました。

別々に5,000円のお線香をいただいた記録あり。

あわてて袋に入れるお札を10,000円に変えました。

 

完全に忘れてはいないのですが、思い出せないんです。

でも、ちょっとしたヒントやきっかけがあれば思い出せる。

今わたしが生きていくのに、

とっても頼りにしているスケジュール帳です。





おら おらで ひとり いぐも。

2018-02-25 23:00:59 | 老化現象・老後準備

『おら おらで ひとり いぐも』を読みました。

いつもコメントくださるgoronyanさんが、

教えてくださいました。


主人公は74歳の桃子。

大好きだった夫の周造には先ただれ、

子供たちはとっくに巣立ち、長いことひとり暮らし。

やがて、周造の住む世界があるのだと願うようになります。


桃子の頭の中ではいろいろな声が聞こえ、

それは周造の住む世界と繋がっているからだと思います。

今まで生きてきた世界は信用できない、

これからは、おら おらで ひとり いぐも、

もう迷わない、この世の流儀はおらがつぐる、

と桃子は前を見始めます。

 

ひとり暮らしの小さな決め事に、

 振り回されことが多いわたしです。

 わたしのやれることに、もう複雑なことはないのですが、

いつも決断が鈍ります。


頭の中でいろいろな考えがぐるぐると回り、

何が何だか分からなくなる、

それは熟考なのか、老いなのか・・・。

いつまでも考えている時間はもうないのです。

決めてしまって、進めばいい。

違った方向へ行ったって、たかが知れてる範囲です。


でも、このブログを始めて、

心や頭に漠然とあったものを書き並べていくうちに、

スッキリと考えられるようになりました。

自分自身の輪郭も以前よりも感じるようになりました。


桃子の頭の中の無数の声たちは、

まだ聞こえてはきませんが、

いつかわたしの頭にも表れてくるかもしれません。 

そのときは、おら おらで ひとり いぐも!で乗り切ります。





寂しい女。

2018-02-24 22:04:49 | 日記

去年働いていた所で夫や子供の事を聞かれて、

「わたし、独身ですから」

と言うと、

「あら、ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」

と言われました。

変なことは聞かれてはいません。

もう独身が珍しい時代ではないのです。


今の職場でもわたしが独身だと知って、

「それじゃ、寂しいね」

と言われ、

「ええ、でも犬が2匹いますから」

と、さりげなく、寂しくないよ!アピール。

 

わたしが今まで暮らしてきた環境や職場では、

 独身の女性はたくさんいましたし、

20代から付き合っている友人たちにも独身がいます。


寂しい時期もありました。

でも、無いものねだりするのは、

もっと寂しくなりそうなのでやめました。


父が亡くなったときも寂しくはなかったです。

少しの不便は感じたけれど、

とても辛かった介護生活から解放された、

喜びのほうが大きかったです。


それなのに、独りぼっちになったわたしを気遣い、

父方の従兄弟たちが旅行に誘ってくれました。

母方の従兄弟夫妻も旅行に誘ってくれました。

ありがとう、ありがとう、

でも、わたしは、とっても、とっても大丈夫!!


先月伯母のお見舞いに行った時、その母方の従兄弟のお嫁さんが、

お肉やら卵やら野菜をくれて、わたしに言いました。

「わたしにはまだ母がいて甘えられる。

娘にはわたしがいて甘えてくる。

でも、〇〇子さんには甘えられる人がいないでしょ。

だからわたしが〇〇子さんを甘えさせてあげたいの」

その言葉を聞いた時、わたしは自分が寂しかったのだとわかりました。

クシャクシャした心のひだが、ふわっ~と広がっていきました


一つ年上のお嫁さんは20歳で従兄弟と結婚しました。

祖母と伯母と伯母(義理の母)のいる家での同居。

わたしには考えられません。

たいへんなことがたくさんあったと思います。

でも、会う時もいつもわたしの話を聞いてくれる。

こんな人になりたいです。


今日のお昼は、

メカジキとズッキーニとタマネギのトマトソーススパゲッティ。

寂しさはいつもあるわけじゃない、

女ひとりのランチは美味しくいただきました。

でもイマイチこくが足りなかった・・・。

味付けは少し寂しかったようです。